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宿場街グロムで迷子になりました
8.
サルケ市場の賑わいが遠のき、街と砦を隔てる壁が近づいてくる。門番に騎士団の身分証代わりの紋章を見せた。
「団長、珍しいですね。女性連れですか――」
「秘書官のランキラです」
要らぬ誤解を招いてはならないので割って入る。門番はエステルの仏頂面と紋章とを交互に見比べ
「あっ、そうですか、おと、お通りください、はい」
口ごもりながらふたりを砦に通した。
「お疲れさまです」
「ご苦労」
退勤する兵や聖騎士たちとすれ違う。そのたびにエステルはむっすり仏頂面を見せすれ違う面々をたじろがせた。狭い通路と階段を進むうち、人気がなくなっていく。宿舎の士官専用階に着いた今は団長とエステルしかいない。
「暗いから、足もとに気をつけて」
「はい」
差し出された手を握り返す。
「あの、今夜は遅くなられるとおっしゃっていたと、思うんですけど」
「む」
大きな手がきゅ、とエステルの手を包んだ。
「休憩のとき自室に戻ったら伝言が残されていたから、その、会議を切り上げた」
「?」
伝言と会議を早く終えたこととの相関関係がエステルには見えない。
「お疲れなんですね」
「や、それほどでも――」
ぐぎゅるぎゅる。
盛大に腹が鳴った。
ぼばばば、と団長の頬が赤く染まる。
「お夕飯、まだなんですか」
「食べそびれてしまった」
「さきほどサルケ市場にいらっしゃいましたのに」
「む、きみと早くふたりになりたくて――」
ちゃんとした安眠枕がないからだ。そしてエステルを枕代わりにせざるを得ないから判断力が低下するのだ。目を泳がせる団長の手を握り、うなずく。
「分かっています。とても眠いのですね」
「や、それほどでも――いやいや、眠い。とても眠い」
「やはり。新しい枕をつくるにあたり確認したいことがあったのですが、今夜は難しそうです。すぐに寝支度を整えてお部屋にうかがいます。持っていただいた鞄に夜食の包みが入っています。召し上がってください」
「あ、ああ。ありがとう」
エステルは自室へ戻り大急ぎで入浴をすませ支度を整えた。
ノックをして部屋に入ると、ヴェーメル団長がベッドに腰掛け濡れた髪をごしごし拭いている。
「夜食、いただいた。ありがとう」
「おなかいっぱいだったので、食べていただけてよかったです」
就寝までもう少し時間がありそうだ。
――いけない。
眼鏡を自室に忘れてきた。
エステルは団長に預けていた鞄からノートを取り出し、ベッドの隅に腰掛けた。ノートを読んでいれば垂れ目下睫毛不真面目顔を晒さずにすみはしないが露出は減るはずだ。エステルの焦りを知ってか知らずか、髪を拭き終えた団長がどっす、と隣に座った。
「それは?」
「祖母が書いた〈碧杖印〉六十三番の製作ノートです」
「六十三番、俺の枕か。――すまない。見てはいけないな」
「ご覧いただいても平気ですよ」
「呪具師の技術上の秘密が書かれているのでは?」
「そうといえばそうなんですけど、おそらく問題ないかと。――暗号のようなものなんです」
「ほう」
団長に見えるようノートを差し出した。興味深げに覗きこんだ団長が首をかしげる。
「これは、…………枕の製法、なのか?」
無理もない。国一番の呪具師であった祖母の技術の粋が書きこまれたノートを開いてみれば、くだらない魔人風ジョークの羅列である。団長のきょとんとした顔がおかしくてエステルは
「へ、えへ」
つい、笑ってしまった。不真面目顔を誤魔化すための眼鏡もないというのに。ノートからエステルの顔に視線を移した団長が青い目を瞠る。
――や、やっちゃった。
ところ構わず降って湧いてくる魔人風ジョークもさることながら、「えへ」と気の抜けた笑い声が出てしまうのも、堅物の仏頂面をぶち壊しにする笑い顔もよろしくない。鏡を見るまでもなくだらしない顔になっているはずだ。エステルは子どものころから変わらない自分のしまりのない笑い顔が嫌いだった。
しかし団長は瞠った青い目を潤ませ
「ああ、ステラ……」
エステルの手を取った。なぜに涙ぐむのか。しかも枕の名前呼びである。
――でも、どこかで見たような気がする。
ヴェーメル団長とはつい半月前に出会ったばかりだ。依頼のために工房を訪れた半月前、取り乱して涙ぐんだようすが強烈だったから既視感を覚えるのだろうか。
「きみは、大きくなった。……でも笑顔は、変わらない」
「変わら、ない?」
エステルの心の奥底で埋もれていた記憶が少しずつ、姿を現しはじめた。
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