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シーララ山の潜伏者
6.
「ぎゅぴぴぴ、ぎゅぴ、ぴ」
足をばたつかせていた石龍馬たちに蹴り上げられ舞い上がっていた砂埃が静まりだんだんと視界が晴れていく。呆気にとられていた三人は目を見合わせた。
「待っていろ、とは」
「あれって誰に向けていったんですかね」
「私?」
ないない。ないわ。
遠い昔、先祖のなかに魔人の血が入った者があったらしいが、エステルに魔人の知り合いなどいない。
「螺旋爽草の群生地をお目にかけようと思っていたんですけど、――戻りましょうか」
オルガが唇をきゅう、と引き結んだ。ルドも、有翼狼の出現に驚きまだオリーブ色の羽根を逆立てたままの石龍馬クルリとケルリの頸をぽんぽんと撫でながら険しい目で辺りを見回している。
「そうしよう。――ランキラ殿は俺の石龍馬へ」
「ええ。それがいいと思います。帰路に襲撃されてはたいへんですから。団長といっしょのほうが安全ですね」
「そんな……」
「わたしは何とでもなります」
ひとりで石龍馬に乗れないのでは反論のしようがない。促されてエステルはルドとともにケルリに乗った。
「急ごう。砦に戻ったら捜索隊を編成しなければ」
「はい」
弓を携えたオルガが先に立つ。出発しようとしたが
「ぎゅぎゅぴ、いいい……」
ケルリは機嫌が悪そうだ。動こうとしない。いったん走り出し、離れたところでクルリを止めたオルガが振り返った。
「だいじょうぶですかあ」
「馬具を確かめてみる。少し、待ってくれ」
ルドの巨体に加えて小柄とはいえないエステルの体重もかかる。積載重量超過なのでは、と心配したエステルに対し
「そのはずはない。石龍馬は重種の輓馬並みに力がある。――もしかして、これか」
手綱や轡を確かめていたルドが困ったように眉を下げた。視線の先にたたんで紐で縛った白っぽい物体がくくりつけられている。〈碧杖印〉六十三番の枕カバーだ。絞って水気を払おうとしたものの、びしょびしょの布が完全に乾くわけがなく、ケルリのオリーブ色の羽根をぺっとり濡らしてしまっている。
「気持ち悪いんでしょうね」
「うむ……、何とか砦まで我慢してくれないか。戻ったら人参を一本、差し入れよう」
「ぎゅぴっ」
「足りないか。では、角砂糖もひとつつけよう」
「ぎゅぴ、い」
「おやつを一度に与えすぎると、厩務員に叱られるのだ。人参と角砂糖二個で手を打ってくれないか」
大男が大真面目に石龍馬とおやつ交渉をしているさまはなかなかに珍妙な眺めだった。感心してよいものか、迷う。
「くるっく」
やがておやつ交渉が妥結に至ったか、ケルリは機嫌を直した。
石龍馬二頭は来た道をかなりの速度で戻っていく。干からびた草、棘を生やした灌木、白茶けた砂煙、シーララ山の風景があっという間に背後へ流れ去った。
「ケルリの次は、きみか。――どうした」
耳もとでルドが溜め息をついた。呆れ声なのにいちいち色っぽい。本人が大真面目で自覚がないこともあって質が悪い。エステルはむっすりと前方へ目を据えたまま応えた。
「何でもないです」
「おいおい、何でもないってことはないだろう。気になるのは、何だ。おやつか」
「ち、違います。気が抜けたというか……」
「何の話だ」
ルドがケルリの速度を緩めた。
「あの、〈碧杖印〉六十三、番がその、それほど似てないなって」
「似て……? きみに?」
「はい」
ピンチャブ川でばっちゃばっちゃ洗われていた人型枕カバーにはネグリジェを模したであろうひらひらのレースが縫いつけてあっただけでなく、頭部に簡略化、戯画化された顔とおぼしきパーツが刺繍されている。目のところは下がり気味の線の下にちょんちょんちょん、と短い線が加えられていてどうやら垂れ目と下睫毛を表しているらしい。
――おばあちゃん、ひどい。気にしてるのに……!
簡略化されているのに、自分の顔だと分かる。分かるがしかし、似姿というほど似てはいない。断じて似ていない。
「きみ、もしかしてタピオが盗んだ枕に嫉妬しているのか」
「ち、っ、違っ、違いますけど?」
勘違いしたエステルが悪い。〈碧杖印〉六十三番の製作ノートに暗号で置き換えられていた自分の採寸データやらステラという呼称やら何やらでてっきり抱き枕が自分に似ていると思い込んでいた。よくよく考えればたいして絵心もない祖母ミルヤが孫娘を精巧に模した抱き枕をつくれるはずがない。一途に恋をし続け十年間、がんばって出世したというのに、ミルヤ・キヴァリは孫娘をピネッキ砦に嫁にやれないと頑として拒んだとのことで、ルドとしては思いの丈を語りかけるよすが欲しさにステラと名づけた抱き枕を注文したという。
「似ているもいないも、……枕だぞ?」
「ええ、そうですよ、枕ですよ」
「何といえばいいのか」
溜め息が耳をくすぐる。どん引きの気配だ。
枕偏愛が昂じて枕に似た女に結婚を申し込む奇人かと思えば実際は逆で、エステルが人型をしているだけの抱き枕にやきもちを妬いていることになっている。
業腹だ。
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