聖騎士と眠りの魔女 ―ダブルワーク女子は抱き枕の身代わり―

uca

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向背

9.


 診断道具を携え押っ取り刀で駆けつけてみれば、医務室は大変なことになっていた。

「うぅうう、うー!」

 四肢を縛りつけられ猿轡さるぐつわを噛まされた大神官補佐ミヒルがベッドに横たわっている。――厳密には横たわっているだけでなくぎっちぎちびったんびったん身をよじっている。縄を引きちぎらんばかりの勢いだ。

「だいぶ、おとなしくなったんですけど……」

 衛生兵たちがぜいぜいと息を切らしている。これでおとなしくなったのならばその前はかなり大変だったに違いない。ベッドから枕が医務室のあちらの隅へ、やたら高級そうな先の尖った靴が反対のこちらの隅へと散らばり、床にはかつて水差しだったものが砕け散っている。

「お怪我は」
「平気です。――こちらの神官さん、入国して三日目とのことですが、眠れてないそうです」
「えっ、入国してから一睡もしてないんですか」
「第一聖騎士団さんによれば、そうです」
「それは気がかりですね」

 衛生兵の説明を聞きながら白銅の鏡を大神官補佐ミヒルにかざす。
 ぼ、う。
 猿轡を噛み切りそうなすさまじい形相のミヒルの顔と重なるように術式が浮かび上がる。呪い耐性の低い者特有の術式だ。

――この耐性の低さで「地下迷宮のお気に入り」を引き受けたのではひとたまりもないだろうな。

 意識の奥でむずず、とのたうち立ち上がろうとするイメージが見えてきた。呪い耐性が低いため、どうしても口にしなくてはならないほど思いつく魔人風ジョークもきつくない。ミヒルの場合はこれまで築いてきた足場が崩れること、追いかけている対象が遠くへ行ってしまうことに対する恐怖が強い。不眠の呪いはその恐怖につけこんで作用している。

――呪いを解除するのはわりと簡単だけど、効き過ぎそうだな。

 まじないも複雑でなく一般的なものですむ。その代わり、簡単に呪いを取り払ってしまえばミヒルの人生を縛ってきた恐怖までも他人の手でさくっと取り除けてしまう。

――たぶん、それじゃ駄目だ。

 恐怖はミヒルにとっておそらく人生を損なう呪いとは違う。恐怖を原動力として突き進んできた人生を、不眠の呪いとともに否定してはならない。エステルは呪いを排除せず、緩和するための術式を構築することにした。
 続いて鈴を取り出し視界に入らないよう、頭頂を中心に右に左に、繰り返し動かす。ちりりん、ちりりん、と鳴る鈴の音は聞こえているようだが位置を把握するには至らないらしい。
 次に匂い袋を取り出す。鈴と同様に動かすと血走った目が匂い袋を追ってよろろ、とついていく。
 できれば問診もしたいが

「うー! うぅううっ! うーーー!」

 この様子だと質問したところで返答は期待できそうにない。
 診断道具とともに自室から持ち出したポーチから小さな布の袋、小瓶を取り出す。診察台から紙を一枚拝借し、呪いを緩和する術式を書き込み、裏返して小瓶から少しずつ藍色羊歯、螺旋爽草、マメユ海の塩、レンクス薔薇の花びらを取り出す。術式を書き込んだ紙でそれらを包み、医務室の隅に跳ね飛ばされた枕のカバーを外し、包みを中に入れた。

「頭の下にこちらを」

 衛生兵に枕を渡す。エステルは診察台からさらに一枚紙を拝借し、術式や診断内容、まじない素材の配合などを記した枕箋をつくった。薬でいう処方箋のようなもので、まじない素材の揃った呪具師の工房へ持っていけば、枕に差し込んだのと同じ包みを作ってもらえる。

「お、おっ、お、女ぁっ、どど、どうして、ここにっ?」

 どうやら衛生兵が枕をあてた拍子に、それまでミヒルが噛んでぼろぼろにした猿轡が切れてしまったようだ。

「わたっ、わたしの枕に、なな、何をしたっ? ままま、まさか魔法じゃ、あるまいな」
「あなたの枕ではありません。第三聖騎士団医務室の枕です。そして魔法ではありません。まじないです」
「同じことだ、まじないなど穢らわしいっ! わたしは神官だぞ! 魔人の業なんぞでなく教法で、神の御業みわざでわたしから呪いをはらえ!」

 またびったんびったん暴れ出した。いくらマウエン教会の教法では呪いが祓えないと説明しても聞こうとしない。

「――もう放っときましょうよ、こんなやつ」

 目の周りに打撲痕をこしらえた衛生兵がぼそっ、とつぶやいた。

「不眠時の譫言うわごとを真に受けてはなりません。呪い耐性が低い分、まじないの効きは早いはず。もう少しで落ち着くでしょう」
「だって、――」

 疲れ切って涙目の衛生兵たちを尻目に、大神官補佐ミヒルがさらに激しく暴れ出した。

「放せ、わたしを解放しろっ、こ、こっ、この、魔人混ざりどもめがっ!」
「おいおっさん、いっていいことと悪いことがあるぞ」
「もう、我慢ならん」
「っぎゃ、あああぁぁあああっ!」

 けたたましい罵倒と絶叫に耳を塞ぎたくなったが、どうもそれだけとは思えない。様子がおかしい。エステルと衛生兵たちは血走ったミヒルの目が凝視するほうを見遣った。
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