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アウヌラ宮殿へ
8.
かりかりと書き込みつづける診断書に視線を落としたまま、ユリアがもじもじしている。
「シピ王太子は、何かおっしゃっておいでだった、かしら。わたくしどもの結婚について」
「ええっと、その……」
言い淀んでしまって、エステルは後悔した。すっぱりと「聞いていない」と嘘をつけばよかったのだ。角五本の息子が産まれたせいで離婚になったと聞いたと認める羽目になった。
「あの莫迦。まるで分かってない」
妖艶な美貌が憤怒に歪む。
「ええっとえっと、シピさんがですね、ヘルッコさんについてその、楽しくて、いい子だっていって、ました」
「あの、莫迦……」
ユリアは困ったように、照れたようにうつむいて目をしばたたかせた。
「人間は、伴侶を失ったのちに新しく恋をするのだそうですね」
「人によるのではないかと思います」
配偶者と一生添い遂げる者もあるには、ある。
そもそも伴侶を失うとはどういう状態を指すのだろうか。
聖騎士団管理本部の腰かけ文官たちの中にはより条件のよい結婚相手を得るために何度も恋をする者もある。ユリアとシピのように、あるいは祖母ミルヤとタピオ王子のように仲違いして別れる者もある。皆が皆、失った伴侶を思い続けているわけではない。
「シピとわたくしが別れたのは百年ほど前のことです。人間であれば次の恋を探すところなのかもしれません。でも、魔人はそうできないのです。一度恋を失えば二度と、手にすることはできない」
ユリアはペンを擱き、エステルの頬に手をあてた。じっと目を覗きこみ、微笑む。
「なんとお美しい目。タピオ王子の琥珀色の目を受け継がれたのはお母さま、となると緑はお祖母さま、青はお父さまかしら。ご家族の目のお色すべてをお持ちなのですね。ここまで近づかなければこの目の色を見ることはかなわない。この距離でこの目を見た者が――心を許されたお相手がおいでなのですね」
「はい」
エステルがうなずくと、ユリアはさびしげに微笑んだ。
用意された服を身につけ髪を結い上げ、身だしなみを整える。
「よくお似合いです」
ユリアの表情に光が射した。しかし、また悲しげに曇る。
「まいりましょう。ひいおじいさまのネストリ慨嘆王がお待ちです」
部屋を出て蓄光石の青い光を頼りにエステルはユリアとともに宮殿の奥へと向かった。
玉座の間は広々として天井が高く、まるで聖堂のようだった。
白い壁に青い蓄光石が星のようにまたたき、二本の角に明るい砂色の髪、褐色の肌に琥珀色の目をした美しい青年が物憂げに玉座に腰掛けている。ネストリ慨嘆王だ。四百五十歳を過ぎ、老齢にさしかかっているとのことだがとてもそうは見えない。
王の傍らには、タピオ王子とシピの姿もあった。
ユリアに従い、エステルも跪き目を伏せる。
「――ユリア、報告を」
「はい。エステル・ランキラと申すこの娘は現在二十歳、間違いなくタピオ王子のご令孫、そして陛下のご曾孫でございます」
「確認は――」
「王家のゴーレムがこぞって角を捧げようとしました。医鏡でも関係を確認済みでございます」
「確かに、似ているな」
ネストリ王は頬杖をついたままじっとエステルを見下ろした。
「他には?」
「エステル姫は二十歳ですが、成人です」
「二十歳で?」
「はい。すでに性的に成熟されておいでです」
「ということは、結婚可能ということか」
「仰せのとおりでございます」
「人間の成長は早いな。では、六十六侯の中から適齢期を迎えた者を――」
「お待ちください、陛下」
跪いたユリアの手が小さく震えている。
「エステル姫は、魔人の男性と番えません」
「なんと――?」
優美な垂れ目を瞠り、ネストリ王は驚いた。
「まさかすでに純潔を失っているというのか。まだ二十歳だぞ」
「人間は成長が早うございます」
「では姫も人間のように次の番を持てるな?」
「いいえ。姫は人間ですが、魔人でもあります。われわれと同じく、生涯に番う相手はひとりだけ。すでに唯一の番のためにお体が整えられてございます」
「なんということだ……」
ネストリ王だけでなくタピオ王子とシピも頭を抱えている。
「陛下、驚きはしましたがむしろよい機会です。姫と番の人間を魔界に迎えてはいかがでしょう」
「ユリア、何をいっているのか」
ネストリ王が顔を上げた。
「王家に人間混ざりの血を入れろというのか?」
「仰せのとおりでございます。このままではわれら魔人は滅んでしまいます。――アウヌラ宮はすでにそうなりかけているではありませんか」
住まう者もなく、ゴーレムだけがただ決められたとおりに殖やされ成長し行き来しながら宮殿や街道、農地や鉱山を丁寧に浄め整えつづけ自壊を待つ。そんな穏やかで虚ろな地下世界をその場にいる者は皆容易に想像できた。
ネストリ王が気怠く首を横に振る。若く美しい姿を保っているというのに、琥珀色の目は疲れと倦み、諦めで曇っていた。
「元のところに戻してこい」
「なりません。魔獅子や有翼狼の仔を拾ってくるのとはわけが違います。姫はご自身が魔人であることを知らず人間として育ってきました。無理にかの世界から連れてきたのはわれら魔人なのです。われらには、姫を保護し慈しむ責任があります。姫の番をも迎え入れ――」
「ならん。姫――、いや、そこの人間混ざりをつまみ出せ」
「陛下!」
怪人級ゴーレムが近づいてきた。恭しくお辞儀をするとユリアの後ろでひざまずいていたエステルをひょい、と抱え上げる。
「元の場所へ戻せないのならば、大砂龍縲緤獄の鏡磨きをさせるがよい」
玉座から冷たい声が降ってきた。
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