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大砂龍縲緤獄
3.
いつまでもしょんぼりしていても仕方ない。こういうときは、仕事だ。働いて気を紛らわせるに限る。
「元気が出るまで、放っておいてもいいのだぞ。仕事なんて」
タピオは気遣ってくれた。鏡磨きの仕事はもともとゴーレムがやっていたことだ。ネストリ王にしてもただ目の前から追い払いたくて適当に仕事をあてがったに過ぎない。
「でもまあ、じっとしていられないよな」
そういって通風口の点検に出かけた祖父タピオの血を、エステルはしっかり受け継いでいる。
作業着にグローブ、ブーツ、頭には布を巻いた。雑巾とバケツも持った。腰の鞄に呪具師の診断鏡とメモ帳、鉛筆、そしてルドのハンカチを入れた。準備完了だ。
「よし、行きますか」
「がふっ」
有翼狼のギヨムが返事をした。自分も過去に十八歳のミルヤと恋仲になったくせにタピオはエステルへの子ども扱いをやめない。妖精級、怪人級ゴーレムたちが砦内外の清掃に、怪物級ゴーレムたちが日光浴に出かけていることもあって、今日はギヨムがエステルのお守りだ。
大砂龍縲緤獄。
仰々しい名前だ。大砂龍なる怪物を縄で縛り閉じこめる監獄を意味するという。
アウヌラ宮の最東端にあり、門も兼ねる縲緤獄は深坑で底がどこか確かめた者はいない。門を破ることは困難で、仮に破ることができたとしても門番である大砂龍の前に人間は無力だ。千年以上争ってきて、人間が侵入したことは一度もない。
――ぞ、ぞごご……。
大砂龍縲緤獄を通ったときの恐怖をエステルはありありと思い出すことができる。
エステルの仕事はこの深坑の上部に設置されている鏡の掃除だ。
鏡は怪人級ゴーレムほどの高さがあり、回転扉のような造りになっている。まず縲緤獄の外側から裏面をざぶざぶごしごしと洗い、次にぐるりと回転させて普段は縲緤獄に向いている鏡の表面を掃除して磨く。つまり、鏡磨き係は縲緤獄の中に入らずとも作業可能になっている。
砦から引いてある水道の水をざっぱざっぱかけ、備え付けのデッキブラシでごっしごっしとまず裏面からやっつける。
「きれいになったね」
「ぐふ」
有翼狼のギヨムが行儀よく傍らに座った。並んで鏡の裏面を眺める。
巨大な一枚鏡の裏面に、術式が彫ってある。
「たぶん、魔法の術式の一部。術式のこの先で指定されている何かをどうにかするんだけど、何をするかっていうとあっち側に書いてある、かも」
「わふう」
「分からないよね。確かめてみないことには私も分からない。さて、掃除の続きに取りかかるとしますか。――よいしょ、っと」
大きな扉のように重い鏡をぐるりと回転させる。隙間から縲緤獄の重苦しい空気が漏れてきた。
――何に使われてるんだろ、この鏡。
毎日掃除をしているというのに、毎日毎日ぬるぬるのどろっどろである。
「まあ、いいや」
エステルが掃除を始めるのは午後一番と決まっている。大砂龍がおとなしくなる時間帯だからだ。ざぶざぶ水で繰り返し洗い流し、鏡面に傷をつけないよう布で磨く。何度も洗って磨くうちに曇りがとれて艶が出てきた。
呪具師の診断鏡を手に、巨大な一枚鏡の前に立つ。
「やっぱり、ない」
手鏡の中のエステルに重なって映し出される術式に不眠の呪いは現れていない。西幽湖畔の宮殿を追い出されて竜車でニムーブ砦へ蜻蛉返りする最中も、砦に到着してからも、診断鏡を取り出して何度確かめても不眠の呪いの術式は映らなかった。
「おかしい。ここ地下迷宮、アウヌラ宮のどこかに呪いの発生源があるはずなの」
「ぐふ」
前脚をそろえ行儀よく座るギヨムが「おまえを喰ってやる」といわんばかりの強面をこてん、と傾けた。
「怪しいのはこの鏡の向こう、縲緤獄」
「くふ」
「というわけで、行ってみるね」
「わふ?」
「しー」
静かに、と唇に指を当てるとギヨムがすん、と姿勢を改めた。
「ここで待っててね」
エステルはバルコニーのような台に載り、巨大な一枚鏡を
ぐる、ん。
回転させた。
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