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大砂龍縲緤獄
9.
「きみの鏡で祖父君を診てくれないか」
「はい」
エステルは立ち上がり、白銅の手鏡にタピオの姿を写した。体の状態を表す術式の他に複雑な紋様、不眠の呪いの術式が浮かび上がっている。
縲緤獄の一枚鏡の術式を書き換えた結果が呪いとなって現れている。
もともとの魔力の高さもあって呪いの耐性は普通の人間より高い。自覚は薄いかもしれない。しかし確実に大砂龍の呪いが魔人のタピオを蝕んでいる。
「の、――」
「どうだろう。こちらの抱き枕、キヴァリ殿の遺作を祖父君に譲ってもだいじょうぶだろうか」
口を開きかけたエステルを阻むようにルドが言葉をかぶせてきた。大真面目な顔をして、青い目に悪戯っぽい光を浮かべている。
ピネッキ砦の部屋に〈碧杖印〉六十三番の製作ノートを置いてきてしまった。しかし何度も何度も読んで内容は覚えている。記憶している内容と、怪訝そうなタピオの顔とともに鏡に映る術式とを比べ吟味し、エステルは顔を上げにっこり微笑んだ。
「問題ありません」
「うむ、よかった」
「なんだ、なんだ」
置いてけぼりを食ったタピオが戸惑いながらエステルとルドへ視線を送る。
「こちらは故ミルヤ・キヴァリ殿、先代眠りの魔女が手ずからつくりあげた逸品〈碧杖印〉六十三番の枕だ」
「人の、というか女の形をしているがな」
「要らんのか」
「もちろん、要る」
「ではいちいち茶々を入れるな」
すん、とおとなしくなったタピオに、ルドは抱き枕のステラを差し出した。
「やる」
「くれるならくれるで、もったいなどつけずさっさと――要るううぅ、要るから引っ込めるなああ」
「ニムーブ門の破り方だが、――」
切り出したルドを、タピオは枕を抱いたままじっとりと睨んだ。
「俺の胸に納めておこうと思う」
「そうしてもらえればありがたいが、――なぜに」
「いつでも攻め込めるが敢えてそうしない」
「わ、われらががニムーブ門の鍵を変えるとは思わないのか」
「それができない事情があるのだろう?」
かつて高度な魔法文明を築いたアウヌラ王国では今も魔人たちはその恩恵を享受しているが、古い魔法を繰り返すのみだ。知識と技術とを受け継ぎ新しい魔法を編み出す魔術師はもう存在しない。
「愛する妻の実家だからな。無下にはしない。――では、ステラは連れて帰るぞ。いいな」
「よくない。が――」
タピオが唸りながら枕を抱き締めた。
「エステル、このいけ好かない小童とともにあればおまえは幸せなのだな?」
「はい」
しっかりと頷きエステルは微笑んだ。
「ならば否やもなし」
「よい判断だ」
ルドはエステルの手を取り席を立った。
「これから魔界でもさまざまな変化があろう。今後は戦でなく交易へ移行できるとよいな」
「魔界からそちらに売るものはあっても、そちらから買い入れるものなどないぞ」
「そうか? 我が妻エステル姫は眠りの魔女だ。ご用命あらば俺を通してもらおう。――では失礼する」
「小童、――何だ? 何なんだ?」
タピオの狼狽えた声を背に、ルドとエステルはニムーブ砦を後にした。
鍵の魔法を発動させた怪物級ゴーレムのクラディが光の術式陣にルドとエステル、有翼狼のギヨムを載せてゆっくりと静まり返った縲緤獄をのぼっていく。やがて光の陣は縲緤獄から門を脱け、ニムーブ涸沼へと出た。立ち枯れた木々の円陣の中央、太古の昔に涸れた湖の跡は暑熱に曝され乾ききっている。
「クラディ、ありがとう」
巨大なゴーレムが角が一本欠けたままの牛頭をおっとりと下げた。蔓草と苔でできた大きな手がそっとエステルの纏布に包まれた頭を撫でる。
「またね」
ルドとともにギヨムにまたがると視線がぐん、と高くなった。
「わふ」
ギヨムが走り始める。
手綱を取るルドの腕の中から、エステルは後ろを振り返った。
苛烈な日差し、雲ひとつない青空に白茶けた砂、濃い影。立ち枯れた木々の円陣の中央、砂漠の窪地に佇むクラディは突然現れた森のようだ。みずみずしく優しい緑の森がおっとりと踵を返し光の術式陣とともに溶けるように消えていった。
マウエン教界の版図であるピネッキ魔境最先端のキャンプ地「旅舎赭絲」に到着すると有翼狼のギヨムはルドとエステルを降ろした。
「がふがふわふ」
「ぎゅぴぴぴぴ」
ひとしきり石龍馬のケルリと威嚇し合い、たっぷり水を飲んでルドとエステルにわっしわっし撫でてもらったのち、ギヨムは
「わっふ」
機嫌良くニムーブ涸沼へ帰っていった。
ケルリはというとルドが留守をした間に、おやつをすっかり平らげてしまっている。
「いい子で待っていてくれたんですね。ありがとう」
「くるっく」
得意げに囀りケルリがオリーブ色の羽毛をぽやぽやと生やした頭を上下する。
砂避けゴーグルや馬具を調整しなおして準備が整うと、ルドは弓の弦を張った。箙から獣除けの鏑矢を取り出し弓に番え大きく引くと
ぎゅぱ!
東の空へ、ピネッキ砦へ向けて放つ。
ぎゅい、いいいぃぃいいいん!
素っ頓狂な音とともにけばけばしい色合いの煙を噴き出しながら矢が奔る。
「さあ、行こうか」
「はい」
オリーブ色の羽毛の生えた頸が前へぐい、と向かう。鏑矢のけばけばしい色の煙を追うように、ルドとエステルを乗せてケルリは走り出した。
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