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がつ子、社会の荒波にもまれる
5.
しおりを挟む「うん、……優先順位はこんなもんだと思う。ぱっと見、無理はなさそうだ。このまま進めよう」
「はい」
営業三課のみながみな、新入社員の樹子にいちいち気をまわしてくれるわけではない。人によっては引き延ばしに延ばしてぎりぎりになった書類作成だの手伝いを持ち込んでくる。だから頼まれごとのデッドラインはあらかた「できるだけ急いで」だ。初めはどれもこれも優先度が高く設定されていて困った。りりちゃん先輩も気をつけてくれるが時短勤務のため、不在時まではカバーしきれない。
「進捗に問題があるようなら夕方――そうだな、四時は難しいかもしれないができるだけ急いで戻るから、そのあとで」
「ありがとうございます」
りりちゃん先輩の退勤後は広居主任が面倒を見てくれる今の状況は正直、手厚いと樹子は考えている。学生時代の友人の中には火事場のような会社の修羅場のような部署につっこまれ中身があるんだかないんだかの分厚いマニュアルを渡され放置されているものもいる。マニュアルを読み電話応対をするほか何をすればいいか分からず、「今年の新人は自分で仕事を見つけられない」などと陰口をたたかれたそうでまいっていた。
広居主任のこの手厚さは下心から来ているかもしれない。
ひやりと心に冷たいものが忍びこんでくる。
慌ただしさに紛れ、上司との踏み込みすぎた関係について考えずにすんでいた。締日を何とかしのいだ今はそうもいかない。
母親を介して親戚づきあいのある社長だが、そのコネクションも入社まで。血のつながりがうっすらあるからといって樹子から社長のかずおじちゃんへの働きかけは不可能だ。だから樹子はただの新入社員、体以上のもの――たとえば出世とか――を捧げられるわけではない。広居主任ほどの人が見誤るとも思えないが、何がどう転ぶか分からないのが人生だとも聞く。
――下心があるんだったら……。
今のところ、樹子は広居主任に厭な気持ちを抱いていない。自分にも恋愛感情があるとはいえない以上、お互いさまだ。主任に下心や何らかの目論見があったとしてもそうでなくても関係はすでに始まっている。学生のころであればともかく、社会人となった今はわーわー騒ぎを大きくするのは得策でない。自分だけでなく相手にも癒えない傷が残る可能性を考えながらメリットとデメリットを見極める必要がある。見切り発車をしてしまったからには慎重に動かなければ。
「だいじょうぶか」
頭上に影が差した。広居主任が気遣わしげにのぞき込んでいる。外出の支度が調っているのを見て取って樹子は頷いた。
切り替えよう。仕事だ。
「はい」
「俺のほうはまだ時間があるが――」
「だいじょうぶです。いってらっしゃい」
外線電話が鳴る。ぺこりと頭を下げ樹子は電話を取った。
「お電話ありがとうございます。三宅精機でございます――」
反故の裏にメモを書き付けながらオフィスを出る広居主任の大きな後ろ姿を見送る。
「おはよーございまーす。セーフ、セーフううう!」
入れ替わりに和田が出社してきた。定時ぎりぎりだ。
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