94 / 125
がつ子、隘路を逆走する
10.
しおりを挟む
裏帳簿――。
営業三課に配属されてしばらくのころ、りりちゃん先輩が落とした付箋を拾ったことがあった。
――******、URA。
和田があちらこちらと場所を移していた箱の中にあったバインダーの番号と似ている。URAは何かの略称か、ファイル管理のためのコードかとそのときは思ったが単に裏帳簿のURAだったというわけか。
「そろそろ内偵もおしまいなんだけど、表沙汰になるまでもうちょっとかかるから内々に、ってことで」
「分かりました」
曇りの晴れた眼鏡のレンズ越しにりりちゃん先輩がひた、と視線を向けてくる。
「実は大路さんもね、対象だったの」
「わた、し、――ですか?」
「そ」
「まさか、小口現金の管理に問題が――」
ぶは、とりりちゃん先輩が笑った。ふたたび湯気で眼鏡が曇る。
「そっちはだいじょうぶ。――大路さんって、調査対象のいる三課にコネで入ってきたでしょ? 例の件、あたりをつけた感じでは少額の不正だったけど、あの子ったら大路さんにやたら馴れ馴れしいし、上層部がらみの可能性もあるかもって急遽ね、裏をとることになったの」
「いやその、就活全敗で困っていたところを拾っていただいただけで――」
純然たるコネ入社です、といいそうになって樹子は口を噤んだ。弱みがあるから怪しまれるわけだ。
――内偵、ねえ。おじさん、知ってる?
――いや。ただ――わたしが知らないからないとはいいきれない。
ランチをご馳走になったときに、社長と次期社長候補が話していた。
迷惑をかけてはいけない。分かっていたのに。体中の血液がす、と冷めたような気がした。
「大路さんのほうは問題なしってことに一応、なったから」
「いちおう」
「すぐ、ってわけにはいかなかったけどね。今回の調査には関係ないから報告上げてないけど、広居くんとのこともあるし」
「…………」
樹子はカップを取り落としそうになった。
「あの、その、すみません」
「悪いなって思ったけど、こそこそされると調べなきゃだから」
りりちゃん先輩が苦い笑みを浮かべる。
「――っていってもタイミングがタイミングだったってだけで、うちの会社、恋愛NGじゃないよ。知ってると思うけど」
「はい」
知っている。りりちゃん先輩も社内恋愛を実らせて結婚し、今では二児の母だ。
少し、――いや、かなり羨ましい。樹子には望みようがないから。
りりちゃん先輩が樹子の苦い表情に気づかずくすくす笑った。
「大路さんはともかく、広居くんったら目で追ってるものね。ふたりとも仕事とプライベート、ちゃんと分けてるみたいだし、問題ないでしょ」
「あのその、――できれば、りりちゃん先輩の胸にしまっておいていただけると、助かります」
「もとよりそのつもりだけど――」
気遣わしげにりりちゃん先輩が樹子の顔をのぞき込む。
「だいじょうぶ?」
「はい。――あの、そろそろ」
「そうね。今日、締めだもんね」
「ごちそうさまでした」
ふたりは席を立った。
営業三課に配属されてしばらくのころ、りりちゃん先輩が落とした付箋を拾ったことがあった。
――******、URA。
和田があちらこちらと場所を移していた箱の中にあったバインダーの番号と似ている。URAは何かの略称か、ファイル管理のためのコードかとそのときは思ったが単に裏帳簿のURAだったというわけか。
「そろそろ内偵もおしまいなんだけど、表沙汰になるまでもうちょっとかかるから内々に、ってことで」
「分かりました」
曇りの晴れた眼鏡のレンズ越しにりりちゃん先輩がひた、と視線を向けてくる。
「実は大路さんもね、対象だったの」
「わた、し、――ですか?」
「そ」
「まさか、小口現金の管理に問題が――」
ぶは、とりりちゃん先輩が笑った。ふたたび湯気で眼鏡が曇る。
「そっちはだいじょうぶ。――大路さんって、調査対象のいる三課にコネで入ってきたでしょ? 例の件、あたりをつけた感じでは少額の不正だったけど、あの子ったら大路さんにやたら馴れ馴れしいし、上層部がらみの可能性もあるかもって急遽ね、裏をとることになったの」
「いやその、就活全敗で困っていたところを拾っていただいただけで――」
純然たるコネ入社です、といいそうになって樹子は口を噤んだ。弱みがあるから怪しまれるわけだ。
――内偵、ねえ。おじさん、知ってる?
――いや。ただ――わたしが知らないからないとはいいきれない。
ランチをご馳走になったときに、社長と次期社長候補が話していた。
迷惑をかけてはいけない。分かっていたのに。体中の血液がす、と冷めたような気がした。
「大路さんのほうは問題なしってことに一応、なったから」
「いちおう」
「すぐ、ってわけにはいかなかったけどね。今回の調査には関係ないから報告上げてないけど、広居くんとのこともあるし」
「…………」
樹子はカップを取り落としそうになった。
「あの、その、すみません」
「悪いなって思ったけど、こそこそされると調べなきゃだから」
りりちゃん先輩が苦い笑みを浮かべる。
「――っていってもタイミングがタイミングだったってだけで、うちの会社、恋愛NGじゃないよ。知ってると思うけど」
「はい」
知っている。りりちゃん先輩も社内恋愛を実らせて結婚し、今では二児の母だ。
少し、――いや、かなり羨ましい。樹子には望みようがないから。
りりちゃん先輩が樹子の苦い表情に気づかずくすくす笑った。
「大路さんはともかく、広居くんったら目で追ってるものね。ふたりとも仕事とプライベート、ちゃんと分けてるみたいだし、問題ないでしょ」
「あのその、――できれば、りりちゃん先輩の胸にしまっておいていただけると、助かります」
「もとよりそのつもりだけど――」
気遣わしげにりりちゃん先輩が樹子の顔をのぞき込む。
「だいじょうぶ?」
「はい。――あの、そろそろ」
「そうね。今日、締めだもんね」
「ごちそうさまでした」
ふたりは席を立った。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
好きの手前と、さよならの向こう
茶ノ畑おーど
恋愛
数年前の失恋の痛みを抱えたまま、淡々と日々を過ごしていた社会人・中町ヒロト。
そんな彼の前に、不器用ながら真っすぐな後輩・明坂キリカが配属される。
小悪魔的な新人女子や、忘れられない元恋人も現れ、
ヒロトの平穏な日常は静かに崩れ、やがて過去と心の傷が再び揺らぎ始める――。
仕事と恋、すれ違いと再生。
交錯する想いの中で、彼は“本当に守りたいもの”を選び取れるのか。
――――――
※【20:30】の毎日更新になります。
ストーリーや展開等、色々と試行錯誤しながら執筆していますが、楽しんでいただけると嬉しいです。
不器用な大人たちに行く末を、温かく見守ってあげてください。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-
プリオネ
恋愛
せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。
ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。
恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる