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がつ子、隘路を逆走する
13.
「そうか――」
がっくりと落ちた広居主任の肩越しにキッチンから持ってきた水のボトルが見える。凝った滴が
つ。
冷えたボトルの表面を伝う。
「和田は発覚前に辞めるつもりなんだな」
「おそらく」
逃げるつもりなのだろう。
ぺらぺらとしゃべったくせに口止めしてきた和田の姿が脳裏によみがえる。りりちゃん先輩のあの様子から見て、円満に退職できるとはとても思えない。
「調査はあらかた終わっているようなお話でしたが、表に出るまでもう少し時間が必要とのことです。どうぞご内聞に」
「分かった。そうする」
俯き両手で顔を覆う主任が呻くように返事をした。
「あの――」
「だいじょうぶ、平気だ」
のろのろと顔を上げた主任が長い間水の中に潜っていたかのように大きく息をつく。
広居主任はサイドチェストに置いた水のボトルに手を伸ばした。キャップを外し
ごっ。
中身を呷る。無精髭の生えはじめた顎から露わになった喉の、水を飲むにつれて動くさまが力強く、美しい。
いけないものを見ている気がして、ボトルをサイドチェストに戻す主任から目を逸らした。
「すみません、いい話でなくて――」
「なにをいう。いい話じゃないからこそ先に知らせてもらえて助かった。心の準備ができる」
「こころの、じゅんび」
「ああ。俺は役職についてないからまだ――、いや、処分がどうなるかは分からないな。三角課長はどうなるだろう。どの程度で収まるか、火の粉がどこまで飛ぶか」
「そんな――」
和田の不始末の責任をとる可能性があるのか。くたびれマッチョの三角課長や、疲れと失望に沈む目の前のこの人が。
おろおろと狼狽えていると、あたたかい大きな手が背中に触れた。
「話を聞いてやっと腑に落ちた。和田がきみにみょうに絡むのはちょっかいをかける以上に――隠れ蓑にするつもりだったんだな。潰しておけばよかった」
溜め息とともに物騒なつぶやきが漏れた。
「そういうわけにも……」
「分かっている。丸尾さんの調査に支障を来したらたいへんだから、余計なことはしない」
「和田さんのこと、全然気づきませんでした……」
抱き寄せられるまま、あたたかい胸に縋る。
「かずおじちゃ――、社長に迷惑をかけるわけには」
「監査部が動いているのだから、だいじょうぶだ。きみにも迷惑は及ばない」
「そんな、私のことなんてどうでも――」
「こら。なんて、はやめろ」
むに。
頬がつままれた。
「はひふんへふは、ふ、いいいん」
「大事なことだからよく聞きなさい」
頬から指が離れる。
熱く大きな掌が樹子の頬を包んだ。
「きみが仕事と会社を大事に思うように、三角課長も課のみんなも――社長も経営企画の三宅さんもきみのことを大事に思っている。自分なんて、などと考えては駄目だ」
少し淡い色の目に樹子を案じる心が見える。
親指が樹子の頬を撫でる。その軌跡が熱い。明日になれば、この指も目も肌も、すべて自分のものでなくなってしまう。
頬から唇へ、親指が這う。
す、りり。
ゆっくりと指の腹が唇をなぞった。うっとりと撫でられるにまかせる。指が唇から離れたときにはもう、主任の顔がすぐそばにあった。
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