甘責めがつ子の惑溺愛へのナローパス

uca

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がつ子、隘路を逆走する

17.


 アパートの部屋へ戻りスマートフォンの電源を切ってローテーブルに置く。樹子はいったん放したスマートフォンをふたたび手に取り、

「……」

 暗いままの画面を下にして置き直した。
 むしるように服を脱ぐ。ブラウスのボタンをはずすと、スリップの胸もとから赤い花がのぞいた。掌をそっと花にあてる。

「……」

 肌に鮮やかに浮いているのに、熱いうずきはすでに遠のきつつあった。
 それで、いい。
 こんなところに痕をつけられてよろこぶなんて、どうかしている。
 汚れ物を入れた洗濯機のスイッチを入れて白のガーゼワンピースをがぼ、とかぶる。途中で、手が止まった。
 ぶ、びーーー。
 樹子の自宅アパートの玄関チャイムはブザー音だ。動きを止め応えずにいるとふたたび
 ぶ、び、びーーー。
 ブザー音が鳴った。
 故郷の両親から宅配便が届く予定はない。通信販売の買いものもしていない。郵便ならポストだ。新聞は電子版を購読しているのでこれ以上必要ない。押し売りや宗教の勧誘はそもそもお断りだ。
 ぶびーーー。
 ドアの向こうでドアチャイムのボタンを押しているのが広居主任だったら、どうしよう。

――そんなわけ、ない。

 主任はあの後ゲートウェイ先輩ともめたに違いない。それともしばらくぶりの再会で感激してしっぽりしけこんでいるか。両方か。中折れも治ったしちょうどいいってか。
 しかし樹子は考え込んだ。

――そういえば。

 ゲートウェイ先輩は童貞厨だ。

――わたしに童貞を失った男で妥協しろっていうの?

 しれっとうそぶく人だった。
 ん? んん?
 広居主任はゲートウェイ先輩に年季の入った童貞を捧げた。主任の言葉とゲートウェイ先輩の学生時代の行状とで喰われ捨てられたのだろうと察しはつく。
 じゃあ、どうして?
 なぜゲートウェイ先輩は喰って捨てたはずの広居主任に会いに来たのか。童貞を失った男で妥協する気になったのか。

――なったんだろうな。

 地球上の全人類など執着の対象にならぬといわんばかりの喰いっぷりはハンターどころかプレデターだった。童貞スレイヤーとて人の子、いつまでもいつまでもプレデターなんぞやっていられない。はるか外宇宙からやってきた太陽エネルギーを力の源とする異星人で普段は気の弱い新聞記者、ひとたび地球が危機に陥れば立ち上がるスーパーなヒーローを演じたマッチョ俳優を昆布のお出汁であっさりテイストに仕上げた感のある美巨漢への愛で人並みの執着を覚えたとかそんなところだろう。
 だから、なんだってんだ。
 知るか。
 知るか、知るか。知ったこっちゃない。
 着替え途中のままうずくまるうち、ブザー音は途絶えた。
 耳を澄ませる。玄関の外に人の気配はない。
 樹子はずぼ、とワンピースの襟から勢いよく頭を出した。むっすりと冷凍庫の扉を開ける。チャーハンの袋を掴んだ。レンジアップしてラップを毟り取る。樹子は熱々のチャーハンをスプーンで掬い口に運んだ。
 味がしない。
 厳密には、味はしている。ラードと醤油、葱に焼き豚、卵が入っているのが分かる。
 でも、おいしくない。
 スーパーのプライベートブランドで、価格のわりに味もちゃんとしている冷凍チャーハンだ。いつもなら「良コスパ」と納得して食べている。
 いつもなら。
 その「いつも」には広居主任が標準装備されている。買いものから帰って手早く煮物の段取りを整える背中。電車で見かけた展覧会の広告の話をしながら「野菜もちゃんと食べないとな」と冷えたトマトをスライスしてレタスを洗う大きな手。お母さんみたい、と茶化すと

――違うって分かってるくせに。自分ひとりじゃないから、ちゃんとしようって思うんだよ。

 そう返ってくるのが恒例になりつつあった。そうして食事に気を遣ってもらっていたから、主任といっしょでない日は手っ取り早くすませるだけでよかった。
 これからは、違う。
 がつがつとチャーハンを口に運ぶ。機械的に咀嚼し嚥下する。運ぶ。噛む。呑む。繰り返して手早く食事をすませると、樹子は後片付けと歯磨きをすませてベッドに潜り込んだ。カーテンの隙間から射し込む梅雨晴れの日差しに背を向ける。
 寝よう。たくさん寝て起きて、忘れよう。
 時間だけが、失恋の傷を癒やす薬だ。
 学生時代もそうやってしのいだ。あのときだって傷が一生残る、などと思ったものだ。そりゃあ、ときどきはあの痛みを思い出すこともある。でも元カレの顔も名前すらも遠く曖昧で痛みはただの記憶だ。
 ふと

――利章さん、いらっしゃるかしら?

 脳裏をゲートウェイ先輩の声、笑顔がよぎる。
 彼女はあの人の名前を呼べる。――そう思ったら、胸もとの赤い花が痛んだ。心が肌の内側へ爪を立てている。

――利章、さん……。

 あのときは名を呼べば一生癒えない傷ができると思った。間違いだった。名を呼ぼうと呼ぶまいと同じことだ。
 未練は残っている。これから先ずっと残る。
 瘡蓋かさぶたを何度も何度も繰り返しがしんだ傷を広げ血を流し醜く後悔しつづける。
 胸に咲く赤い花が薄らぎ消えてもずっと、ずっとうずく。
 でも痛みを覚える間は屍でない。まだ、生きている。
 寝て起きて食べて歯を磨きシャワーを浴び寝て、繰り返すうちに週末の休みが明けた。

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