甘責めがつ子の惑溺愛へのナローパス

uca

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がつ子、隘路を逆走する

24.


 オフィスビルの並ぶ路地を、駅に向かって歩く。

「桃のタルト、おいしかったわね」
「どうしてくれるんですか、先輩。もうあの店、行けないじゃないですか」
「会社から離れたところ選んであげたんから、いいでしょ? 確かに、――もう行けない。惜しい気もするわね」

 夜になってわだかまっていた温気うんきがほどけ、いくぶん涼しくなっている。喫茶店に入る前より人の行き来がまばらになって、静かだ。

「ねえ、覚えてる? 大学の近くでいっしょにお茶したときのこと」
「喫茶ラバーですね。パウンドケーキがキャラメル味でおいしかった。忘れられませんよ。もう先輩ったら、どこもかしかも修羅場にしちゃうんだから」
「わたしのせい?」

 弾むように隣を歩く美しい人が笑った。
 樹子も、笑った。


 ゲートウェイ先輩の思いを、恋でないと断ずる人は多いだろう。
 ただの執着で、依存なのだというだろう。
 だから何だというのだ。
 胸に恋を秘めるくらい、ゆるされていいじゃないか。
 折りたたみ傘をズッキーニと取り違え、靴下を取り違え、ちょっとした悪戯を仕込んで子どもみたいに笑い合う。
 児戯じぎに過ぎない。失った子ども時代を取り戻したいだけだといいたければ、いうがいい。
 それが何だというのだ。
 樹子は強く願った。この人がたどり着いた幸せがつづけばいい。


 乗り換え駅の通路で、立ち止まった。ここからは電車の路線が異なる。分かれ道だ。
 ゲートウェイ先輩が、樹子を見上げた。

「お願いがあるの」
「何でしょう」
「兄には、いわないで」
「申しません。ただ、――」
「分かってる。兄と話す」

 睫毛まつげが白い頬に影を落とす。

「利章さん、――広居さんとはもう終わってるってもう一回ちゃんと話すわ。それと誰とも結婚する気がないってことも」

 見つめ合う。

「じゃあ、さよなら」
「お元気で」

 ふたりはそれぞれに帰途についた。



 帰宅して気がつくと、スマートフォンに通知が入っていた。チャットツールのアプリが右肩に赤に白抜きの数字をくっつけている。開いてみると、メッセージの送り主は母方の親戚で経営企画部に所属する三宅滋之だった。
 三宅精機創業者一族は悪人面の家系で、その遺伝形質を濃厚に受け継ぐ滋之は顔つきも声も生まれつきやたらに険しい。そんな滋之のアイコンはかわいらしい猫のキャラクターだ。脳内でその猫が

〈明日、ランチいこうよ。おじさんが会いたがってる〉

 滋之の地を這うような不機嫌ボイスでメッセージを読み上げているところを想像してしまった。ちょっと和む。
 ランチの誘いはおそらく社長の三宅和彦の意向だ。
 企業の創業者一族のトップという立場は、ただ若者をかわいがりたい気持ちと相性がよくない。昼ご飯を食べる誘いというだけで強制力がついてまわるのを和彦は理解していて直接でなく滋之を通じて打診してくる。
 樹子はうーん、とアパートの天井を見上げ思案した。

〈たぶん行けると思うんだけど、念のため明日の朝、予定を確認してから決めてもいいかな〉
〈了解〉

 やりとりを終えてスマートフォンを充電ケーブルに接続する。
 疲れた。軽めとはいえ残業の後にゲートウェイ先輩との修羅場だ。体が重い。
 のろのろと浴室へ向かい、シャワーを浴びた。
 ざ、ざ――。
 熱い湯に打たれながらついさっき確認したばかりのチャットツールの画面を思い出す。広居主任から、新しいメッセージは来ていなかった。
 いつもなら、――。
 出張前の主任に会いに行っているところだ。それがいったん日常でなくなってしまうとどう理由をつけて会いに行けばいいのか、分からない。ゲートウェイ先輩の件は落着しているものの

〈邪魔をして、悪かった。プライベートではもう、会わない〉

 ぴしゃりと線引きされてしまった今、どう動いてよいものか、樹子には分からなかった。広居主任はすでに割り切っていて、樹子との関係などなかったことにしているかもしれない。
 会いたい。会ってどうするのか、どうなるというのか。会いたい……。
 胸もとの花が、うずく。
 強めに口づけられただけだ。そもそも痛みなど感じなかったのに、疼く。
 最後の逢瀬から数日。胸もとに刻まれた所有の印、赤かった花は色せてきていた。
 懊悩おうのうし足踏みしている間に、時間だけが過ぎていく。
 洗い終えた髪を、うなじを、きつく噛んだ唇を滴が伝う。

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