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第2章:まなざしの檻
21、降り立つ地(前半)
しおりを挟む世界が止まるような音だった。
船が岸に接触したとき、ほんのわずかな振動が床を伝って足元から胸の奥まで届いた。
鋼鉄の船体と、異様に静まり返った水辺のあいだで生まれたその鈍い音は、まるで何かを断ち切るような冷たい響きを持っていた。
外にはまだ霧が立ちこめていて、何も見えなかった。
けれど、空気が――変わった。
ぬるりとした潮のにおいの奥に、湿った草と苔、それからどこか焦げたような植物の匂いが混ざっている。温度は低くはないのに、風は不思議と肌を這うように冷たかった。
まるで、肌そのものが観察されているような錯覚。
「……着いたの?」
誰かが小さくつぶやく。船の中に張り詰めた静寂を破らぬように、囁くような声だった。私は応えず、手すりを握りしめたまま、扉の向こうに広がる霧の気配を見つめていた。
やがて、がちりという音とともに、船の扉が開いた。
濃密な霧が静かに、けれど迷いなく船内へと入り込んでくる。
前を歩いていた子どもが、一歩踏み出す。誰もが口を閉ざしたまま、そのあとに続く。
まるで、何かの儀式のように。足音は控えめで、床板がきしむたびに、ひとりひとりの存在が浮き彫りになっていくようだった。
私は、右手にイザベルの手をしっかりと握り、左手でレオの肩に軽く触れた。倫は先頭近くにいて、ルーカンは私の少し前を歩いていた。
桟橋に降り立った瞬間、肺に入ってきた空気は、どこか重たかった。
土のにおい。植物のにおい。確かに自然の気配なのに、それはあまりに整いすぎていて、違和感を感じるほどだった。
色の少ない世界。
霧はまだ晴れず、空は鈍い鉛色。空と海と地面の境界が曖昧で、目に映るものすべてが、どこか遠くから借りてきたみたいに感じられた。
足元の砂は黒っぽく、細かく砕けた石のようだった。波打ち際には、どろりとした泡が残っている。私たちが歩いている音だけが、静かにその上をかすめていった。
黒い制服で腰には無骨なスタンロッドを差した大人たちが無言で並び、子どもたちを列に沿って誘導していく。顔の見えないマスク。目だけが、じっとこちらを見ている。
言葉は発せられないのに、その視線が、命令よりも強く背中を押してくる。
私は、ちらとルーカンを見る。
彼は無表情のまま前を向いていたが、私の視線に気づいたのか、ほんの少しだけ顎を動かしてこちらにうなずいた。言葉は交わさなくても、それだけで十分だった。
ふと、誰かの気配を感じて、私は足を止めかけた。
霧の向こう、森の縁――まだはっきりとは見えないその奥に、何かがいた。
光だ。いや、目だ。
森の影から、鋭く、けれど静かな光がこちらを見ていた。
それは獣のように本能的なものではなく、人の――そして、子どもではない何かの――意志を帯びた視線。私の背骨に、すうっと冷たい風が走った。
ほんの一瞬のことだった。誰も気づかなかったようで、子どもたちはそのまま進んでいく。
でも私は知っていた。あの目は、私たちを見ていた。
誰よりも静かに、誰よりも遠くから。
そして、その視線はきっと、ここにいる誰よりも深くこの場所を知っている者のものだった。
「……だいじょうぶ、ミナ?」
イザベルの声に我に返り、私はすぐに微笑んで見せた。
「うん、平気。イザベルは?」
「うん!」
その小さな返事が、ほんのすこし霧を晴らしたように思えた。
そして私は、心の中で問いを反芻する。
――ここは、ほんとうに自然なのか?
それとも、わたしたちの檻なのか。
静けさに満ちたこの浜辺は、きっともう、ただの通過点ではない。
そして、あの目が見ていたのは、きっと私たちの未来だった。
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