灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの

武内れい

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第2章:まなざしの檻

25、仮初めの居場所(前半)

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 霧の向こうに、灰色の建物が見えた。

 廃墟のようでいて、まだ生きている。そんな印象の施設だった。石造りの外壁には蔦が絡み、ところどころ崩れかけている。
 それでも、扉や窓は修復された跡があり、人の手が入っていることがわかる。まるで、壊れた時間を無理やり繋ぎとめたような建物だった。

「降りろ」

 無機質な声が響き、私たちは荷台から一人ずつ降ろされた。足元は湿った土。重たい空気が、肺の奥まで沈みこむ。

 足音だけが響くなか、私たちは建物の前に並ばされた。年齢も背丈も違う十数人が、不揃いな列をつくって立っている。その姿は奇妙で、どこか無防備だった。

 私たちの着ている服は、乗船時に支給された同じ作業着――くすんだ灰色の布地に、名札もなにもない。袖や裾は少し長く、まだ子どもの身体には馴染まない。
 けれど、それを調整する余裕などないと、誰もが黙っていた。

「年齢で分けろ。まずは年少、次に年長」

 白衣の仮面たちのひとりが命じる。その声には感情がなかった。生きた人間の声というより、装置が言葉を吐き出しているようだった。

 そのとき、前にいた少年――倫が一歩、進み出た。

「年齢や性別で区別する必要はありません。生活に支障があるなら、僕たち自身で調整します」

 静かな声だった。けれど、はっきりとした意志を持っていた。その声には、仮面たちとは違う体温があった。

 沈黙が走る。

 仮面のひとりがわずかに動いたように見えたが、その行動はすぐに止められた。後方に控えていた別の影――その者だけは、他の者とは違っていた。
 白衣ではなく、黒を基調にしたコートを纏っていた。顔は見えない。けれど、ただそこに立っているだけで空気が変わった。

 彼――いや、たぶんあれは人間なのだろうけど――の命令なのか、それとも観察の結果なのか、白衣の仮面たちは動きを止めた。そして、黙って後退した。

「……やるじゃん、リーダー気取りくん」

 さっきの赤茶髪の女性が肩越しに囁くように笑う。その隣には、赤銅色の髪をした青年が立っていた。冷たい目をしていて、周囲とはまるで違う空気をまとっている。

 その彼が、倫の前に立った。

 顔には一切の感情がなかった。ただ、その眼差しだけが、氷のように鋭く深かった。

「……交渉できるやつか」

 それが、彼が倫に向けて発した最初の言葉だった。

 倫はその言葉に、ゆっくりと小さく頷いた。

 二人の間に、短い沈黙が生まれた。睨み合いではない。だが、それは相手の奥底を見つめ、試し合うような静かなやり取りだった。
 言葉よりもずっと多くの情報が、視線を通して交わされていた。

 その後ろで、ルーカンが小さく一歩、前に出る。無音に近い動きだったが、私は気づいた。彼の動きは、もしものときの備え。
 倫に対する盾としての役割――そう、私は感じた。

 けれど、他の誰も気づいていないようだった。

 そのことが、少しだけ私の胸を締めつけた。見ていることしかできない自分の小ささが、悔しかった。

 やがて、黒衣の人物が手をあげると、仮面たちが整然と動き出し、私たちを建物の中へと導いた。

 扉の内側は、外よりもさらに冷たかった。壁も床も、石と鉄でできている。けれど、どこか――説明のつかない落ち着きがあった。

 その理由に気づいたのは、部屋の木枠に手が触れたときだった。

「……この部分だけ、木か」

 ルーカンがぽつりと呟いた。

 確かに、窓枠や柱の一部には、新しい木材が使われていた。それは、外に見たねじれた樹々と同じ質感だった。荒く乾いた手触り。けれど、どこかあたたかい。

 まるで、私たちをここに受け入れるつもりがあるかのように。

 けれどそれは錯覚だと、すぐにわかる。

 壁に掲げられた鉄板には、無数の番号が記されていた。

「ここからは、番号で呼ぶ」

 低い声が響く。黒衣の人物が、影のように立っていた。

「俺はバラカン・フォルンシュタール。おまえたちには名前は必要ない。人間は、まだおまえたちの段階ではない。行動評価により、序列が与えられる。生活班も、その評価により変動する」

 序列という言葉に、空気が張り詰めた。

 誰かが息をのむ音が聞こえた。私は、思わず隣のルーカンを見た。彼の表情は変わらなかったが、その瞳の奥に、かすかな光が灯った気がした。

 それが怒りか、冷笑か、希望なのかは――まだ、わからなかった。

「Z-302。おまえは別だ」

 唐突に、バラカンが倫の番号を呼んだ。

 仮面のひとりが動き、倫の肩に手を置いた。私は思わず身を乗り出しそうになったが、ルーカンの手がわずかに私の腕を制した。その静かな圧が、「待て」と言っていた。

 倫は抵抗しなかった。ただ、振り返って私たちを見た。いつもの、包み込むような微笑を浮かべて――そして、何も言わずに連れて行かれた。

 コートの裾が石床をかすめる音が、どこまでも冷たく響いていた。

「あれが特別か」

 赤銅色の髪の青年が小さく呟く。その声音には、冷静さの中に、ごくわずかな興味の揺らぎがあった。

「リーダー気取りの次は、特別扱い?」
 赤茶髪の女性が皮肉っぽく笑ったが、どこか不安げだった。

 誰もが気づいていた。
 ここに安全などないこと。
 この仮初めの居場所には、私たちの居場所など、本当はどこにもないのだと。

 けれど――だからこそ、心のどこかで願っていた。

 せめて、誰かひとりだけでも、ここを抜け出せるのなら、と。
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