27 / 120
第2章:まなざしの檻
25、仮初めの居場所(前半)
しおりを挟む霧の向こうに、灰色の建物が見えた。
廃墟のようでいて、まだ生きている。そんな印象の施設だった。石造りの外壁には蔦が絡み、ところどころ崩れかけている。
それでも、扉や窓は修復された跡があり、人の手が入っていることがわかる。まるで、壊れた時間を無理やり繋ぎとめたような建物だった。
「降りろ」
無機質な声が響き、私たちは荷台から一人ずつ降ろされた。足元は湿った土。重たい空気が、肺の奥まで沈みこむ。
足音だけが響くなか、私たちは建物の前に並ばされた。年齢も背丈も違う十数人が、不揃いな列をつくって立っている。その姿は奇妙で、どこか無防備だった。
私たちの着ている服は、乗船時に支給された同じ作業着――くすんだ灰色の布地に、名札もなにもない。袖や裾は少し長く、まだ子どもの身体には馴染まない。
けれど、それを調整する余裕などないと、誰もが黙っていた。
「年齢で分けろ。まずは年少、次に年長」
白衣の仮面たちのひとりが命じる。その声には感情がなかった。生きた人間の声というより、装置が言葉を吐き出しているようだった。
そのとき、前にいた少年――倫が一歩、進み出た。
「年齢や性別で区別する必要はありません。生活に支障があるなら、僕たち自身で調整します」
静かな声だった。けれど、はっきりとした意志を持っていた。その声には、仮面たちとは違う体温があった。
沈黙が走る。
仮面のひとりがわずかに動いたように見えたが、その行動はすぐに止められた。後方に控えていた別の影――その者だけは、他の者とは違っていた。
白衣ではなく、黒を基調にしたコートを纏っていた。顔は見えない。けれど、ただそこに立っているだけで空気が変わった。
彼――いや、たぶんあれは人間なのだろうけど――の命令なのか、それとも観察の結果なのか、白衣の仮面たちは動きを止めた。そして、黙って後退した。
「……やるじゃん、リーダー気取りくん」
さっきの赤茶髪の女性が肩越しに囁くように笑う。その隣には、赤銅色の髪をした青年が立っていた。冷たい目をしていて、周囲とはまるで違う空気をまとっている。
その彼が、倫の前に立った。
顔には一切の感情がなかった。ただ、その眼差しだけが、氷のように鋭く深かった。
「……交渉できるやつか」
それが、彼が倫に向けて発した最初の言葉だった。
倫はその言葉に、ゆっくりと小さく頷いた。
二人の間に、短い沈黙が生まれた。睨み合いではない。だが、それは相手の奥底を見つめ、試し合うような静かなやり取りだった。
言葉よりもずっと多くの情報が、視線を通して交わされていた。
その後ろで、ルーカンが小さく一歩、前に出る。無音に近い動きだったが、私は気づいた。彼の動きは、もしものときの備え。
倫に対する盾としての役割――そう、私は感じた。
けれど、他の誰も気づいていないようだった。
そのことが、少しだけ私の胸を締めつけた。見ていることしかできない自分の小ささが、悔しかった。
やがて、黒衣の人物が手をあげると、仮面たちが整然と動き出し、私たちを建物の中へと導いた。
扉の内側は、外よりもさらに冷たかった。壁も床も、石と鉄でできている。けれど、どこか――説明のつかない落ち着きがあった。
その理由に気づいたのは、部屋の木枠に手が触れたときだった。
「……この部分だけ、木か」
ルーカンがぽつりと呟いた。
確かに、窓枠や柱の一部には、新しい木材が使われていた。それは、外に見たねじれた樹々と同じ質感だった。荒く乾いた手触り。けれど、どこかあたたかい。
まるで、私たちをここに受け入れるつもりがあるかのように。
けれどそれは錯覚だと、すぐにわかる。
壁に掲げられた鉄板には、無数の番号が記されていた。
「ここからは、番号で呼ぶ」
低い声が響く。黒衣の人物が、影のように立っていた。
「俺はバラカン・フォルンシュタール。おまえたちには名前は必要ない。人間は、まだおまえたちの段階ではない。行動評価により、序列が与えられる。生活班も、その評価により変動する」
序列という言葉に、空気が張り詰めた。
誰かが息をのむ音が聞こえた。私は、思わず隣のルーカンを見た。彼の表情は変わらなかったが、その瞳の奥に、かすかな光が灯った気がした。
それが怒りか、冷笑か、希望なのかは――まだ、わからなかった。
「Z-302。おまえは別だ」
唐突に、バラカンが倫の番号を呼んだ。
仮面のひとりが動き、倫の肩に手を置いた。私は思わず身を乗り出しそうになったが、ルーカンの手がわずかに私の腕を制した。その静かな圧が、「待て」と言っていた。
倫は抵抗しなかった。ただ、振り返って私たちを見た。いつもの、包み込むような微笑を浮かべて――そして、何も言わずに連れて行かれた。
コートの裾が石床をかすめる音が、どこまでも冷たく響いていた。
「あれが特別か」
赤銅色の髪の青年が小さく呟く。その声音には、冷静さの中に、ごくわずかな興味の揺らぎがあった。
「リーダー気取りの次は、特別扱い?」
赤茶髪の女性が皮肉っぽく笑ったが、どこか不安げだった。
誰もが気づいていた。
ここに安全などないこと。
この仮初めの居場所には、私たちの居場所など、本当はどこにもないのだと。
けれど――だからこそ、心のどこかで願っていた。
せめて、誰かひとりだけでも、ここを抜け出せるのなら、と。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる