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第4章:鏡に映る心の影
80、人質の笑顔(前半)
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宮乃と私は、しばらく黙ったまま、ゆっくりと石を磨き続けた。
ほんの少し前まで、私たちはお互いを避けていたのに、不思議と今は、この静かな時間が心地よかった。
朝の陽射しが、花壇に咲く花たちをやさしく照らしている。
白い花、赤い花、黄色の花。
足元には、小さな水たまりができていて、そこに映った空が静かに揺れている。
「ねえ、ミナ。」
宮乃が、またそっと話しかけてくる。
「倫のこと、好き?」
突然の質問に、私は思わず手を止めてしまった。
「えっ……」
「好きって言っても、そういう意味じゃなくてね。」
宮乃は、すぐに続ける。
「倫のこと、どう思ってるのかなって。」
私はゆっくりと雑巾を置いて、膝に手をのせる。
「……好きだよ。もちろん。」
自分でも驚くほど、すぐに言葉が出ていた。
「でも……まだよくわからないことも、たくさんある。倫って、時々すごく遠い人みたいに見えるから。」
宮乃は、ふっと小さく笑った。
「うん。わかる。……きっと、倫は、みんなと同じ場所にいるようで、実は違うところを見てるんだろうね。」
私はその言葉に、どこか胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
倫はいつも私たちのそばにいて、でも、その心の一番深いところは誰にも見せてくれない気がしていた。
「……ねえ、宮乃。」
私は思い切って聞いてみた。
「あなたにとって、倫は、どんな人なの?」
宮乃は少しだけ驚いたように目を瞬かせたけれど、すぐに優しく微笑んだ。
「倫はね……私にとっては、そうだな――」
彼女は一度、小さく息を吐き、それから冗談のように、でもどこか真剣な声で言った。
「……私は、倫の人質だよ。」
その言葉を聞いた瞬間、どこかで小鳥が羽ばたいて飛び立った。
その羽音が、朝の静寂をほんのわずかに震わせた。
私は、言葉を失った。
「冗談、だよ。」
宮乃は、あっけらかんと笑ってみせる。
「でもね、少しだけ、本当でもあるんだ。」
彼女は、空を見上げる。
朝の光が、その頬をやさしく照らしていた。
「倫は、私を助けてくれた。でも――たぶん、本当は、私が勝手に、倫のそばにいることを選んだだけなんだよね。」
私は、どう返していいのかわからないまま、花壇の白い花に視線を落とした。
「私がそばにいるって、勝手に決めた。勝手に守りたいって思った。……だけど、倫は、誰にも守られたくなんかないんだよね。」
宮乃の言葉は、風に溶けるように静かだった。
「それでも私は、倫のそばにいることを、ずっと選び続けた。……それだけ。」
彼女は、にこりと微笑む。
その笑顔は、やわらかくて、でもどこか遠くに見えた。
「ミナ、あなたもきっと、そうなんだと思う。倫がどんなに遠くに行こうとしても、あなたは、絶対にそばにいようとする。」
私は、胸の奥にふわりと波紋が広がるような気持ちで、彼女の言葉を聞いていた。
「ねえ、ミナ。」
宮乃は、花びらについた朝露を指先でそっと払った。
「倫ってね、意外と――」
その続きを、宮乃は言わなかった。
代わりに、いたずらっぽく笑って、私の肩を軽く小突いた。
「……まあ、あなたならわかるよ。」
「え、なにそれ。」
私は、思わず笑ってしまった。
その瞬間、昨日までの気まずさが少しだけ溶けた気がした。
けれど、私の心のどこかには、さっきの「人質」という言葉が、ずっと引っかかっていた。
たとえ冗談だと言っても――なぜ、そんな言葉を選んだんだろう。
宮乃は、ゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ、みんな朝食の時間だね。」
「うん……」
彼女は、背に朝日を浴びながら、歩き出した。
私の足元を、彼女の影が静かにかすめていく。
その影が、少しずつ離れていくのを、私はなぜか、最後まで見送ってしまった。
朝の空気は澄んでいて、微かな花の香りが風に混ざっている。
小鳥の声が遠くで響き、施設の建物からは、食器の触れ合う音がかすかに聞こえてきた。
いつも通りの、静かな朝。
だけど私の胸の奥では、小さな違和感が、ひとつ、確かに残っていた。
宮乃の「人質」という冗談――その裏に隠されたものが、私にはまだ、わからない。
けれど、どこかで知っている。
それは、きっと――もうすぐ、私たちの日常が少しだけ変わってしまう、そんな予感だった。
私は、宮乃の背中が建物の影に消えるまで、ずっと目を離せなかった。
やがて、朝露の残る中庭に、静かに新しい一日が始まる。
冷たい石の感触だけが、私の掌に、微かに残っていた。
ほんの少し前まで、私たちはお互いを避けていたのに、不思議と今は、この静かな時間が心地よかった。
朝の陽射しが、花壇に咲く花たちをやさしく照らしている。
白い花、赤い花、黄色の花。
足元には、小さな水たまりができていて、そこに映った空が静かに揺れている。
「ねえ、ミナ。」
宮乃が、またそっと話しかけてくる。
「倫のこと、好き?」
突然の質問に、私は思わず手を止めてしまった。
「えっ……」
「好きって言っても、そういう意味じゃなくてね。」
宮乃は、すぐに続ける。
「倫のこと、どう思ってるのかなって。」
私はゆっくりと雑巾を置いて、膝に手をのせる。
「……好きだよ。もちろん。」
自分でも驚くほど、すぐに言葉が出ていた。
「でも……まだよくわからないことも、たくさんある。倫って、時々すごく遠い人みたいに見えるから。」
宮乃は、ふっと小さく笑った。
「うん。わかる。……きっと、倫は、みんなと同じ場所にいるようで、実は違うところを見てるんだろうね。」
私はその言葉に、どこか胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
倫はいつも私たちのそばにいて、でも、その心の一番深いところは誰にも見せてくれない気がしていた。
「……ねえ、宮乃。」
私は思い切って聞いてみた。
「あなたにとって、倫は、どんな人なの?」
宮乃は少しだけ驚いたように目を瞬かせたけれど、すぐに優しく微笑んだ。
「倫はね……私にとっては、そうだな――」
彼女は一度、小さく息を吐き、それから冗談のように、でもどこか真剣な声で言った。
「……私は、倫の人質だよ。」
その言葉を聞いた瞬間、どこかで小鳥が羽ばたいて飛び立った。
その羽音が、朝の静寂をほんのわずかに震わせた。
私は、言葉を失った。
「冗談、だよ。」
宮乃は、あっけらかんと笑ってみせる。
「でもね、少しだけ、本当でもあるんだ。」
彼女は、空を見上げる。
朝の光が、その頬をやさしく照らしていた。
「倫は、私を助けてくれた。でも――たぶん、本当は、私が勝手に、倫のそばにいることを選んだだけなんだよね。」
私は、どう返していいのかわからないまま、花壇の白い花に視線を落とした。
「私がそばにいるって、勝手に決めた。勝手に守りたいって思った。……だけど、倫は、誰にも守られたくなんかないんだよね。」
宮乃の言葉は、風に溶けるように静かだった。
「それでも私は、倫のそばにいることを、ずっと選び続けた。……それだけ。」
彼女は、にこりと微笑む。
その笑顔は、やわらかくて、でもどこか遠くに見えた。
「ミナ、あなたもきっと、そうなんだと思う。倫がどんなに遠くに行こうとしても、あなたは、絶対にそばにいようとする。」
私は、胸の奥にふわりと波紋が広がるような気持ちで、彼女の言葉を聞いていた。
「ねえ、ミナ。」
宮乃は、花びらについた朝露を指先でそっと払った。
「倫ってね、意外と――」
その続きを、宮乃は言わなかった。
代わりに、いたずらっぽく笑って、私の肩を軽く小突いた。
「……まあ、あなたならわかるよ。」
「え、なにそれ。」
私は、思わず笑ってしまった。
その瞬間、昨日までの気まずさが少しだけ溶けた気がした。
けれど、私の心のどこかには、さっきの「人質」という言葉が、ずっと引っかかっていた。
たとえ冗談だと言っても――なぜ、そんな言葉を選んだんだろう。
宮乃は、ゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ、みんな朝食の時間だね。」
「うん……」
彼女は、背に朝日を浴びながら、歩き出した。
私の足元を、彼女の影が静かにかすめていく。
その影が、少しずつ離れていくのを、私はなぜか、最後まで見送ってしまった。
朝の空気は澄んでいて、微かな花の香りが風に混ざっている。
小鳥の声が遠くで響き、施設の建物からは、食器の触れ合う音がかすかに聞こえてきた。
いつも通りの、静かな朝。
だけど私の胸の奥では、小さな違和感が、ひとつ、確かに残っていた。
宮乃の「人質」という冗談――その裏に隠されたものが、私にはまだ、わからない。
けれど、どこかで知っている。
それは、きっと――もうすぐ、私たちの日常が少しだけ変わってしまう、そんな予感だった。
私は、宮乃の背中が建物の影に消えるまで、ずっと目を離せなかった。
やがて、朝露の残る中庭に、静かに新しい一日が始まる。
冷たい石の感触だけが、私の掌に、微かに残っていた。
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