ひみつの本としろい紙

武内れい

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第一章:出会いのページ

12、図書館の老司書(後半)

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 静かに閉まりかけた扉を押して、私はもう一度閲覧室に戻った。

 さっきまでの夕焼けはすっかり色褪せ、窓の外は青と灰色の境目のような色に染まりはじめていた。館内は照明がやわらかに灯り、本棚の影が少しずつ伸びてゆく。

 私はカウンターの向こうにいる隆さんに目をやった。彼は眼鏡越しに一冊の分厚い蔵書を読みふけっていたが、私の足音に気づいたのか、ゆっくりと顔を上げた。

「もう帰ったのかと思いましたよ」

 そう言って、小さく微笑む。私は少し戸惑いながらも近づき、例の白紙の本を胸元に抱えた。

「あの……この本のことで、もう少し、お話を聞かせていただけますか?」

 隆さんはその本を見るなり、眉をわずかに動かし、深く息を吐いた。

「ええ、もちろん。……椅子を持ってきましょうか。少し長くなるかもしれません」

 彼の声は低く穏やかで、部屋に残された静けさとよく調和していた。私は近くの椅子を引き寄せ、カウンターの端に座る。

「その本には、長い旅の記憶があるんですよ。あなたのように、“それ”を見つける人は、時折あらわれるのです」

「“それ”……ですか?」

 隆さんは頷いた。

「白紙のページです。本来は書かれていたはずのものが、意図的に消されている。そして、その空白を見て“何か”を感じる人が、ごくまれに現れるのです」

「じゃあ、これは……ただの古い本ではないんですね」

 私がそうつぶやくと、隆さんは目を細めて、懐かしむように言った。

「私が若い頃、同じようにこの本を手に取った人がいました。彼女もまた、“書かれていないこと”に惹かれていました」

「彼女……?」

「ええ。名前は伏せましょう。けれど、その人は白紙のページに、日々の思いを綴り続けた。まるで、誰にも語れない秘密を、本の中に封じるようにね」

 私は手の中の本を見つめた。ページをひらくと、そこには変わらず、何も書かれていない。
 けれど、確かにそこには「何か」があると感じた。

「……その人は、どうなったんですか?」

「ある日、本を置いて、姿を消しました。そして、その本はまた、棚に戻されたのです」

 私はふと、心の奥に冷たい風が吹いたような気がした。

「でも、この本は、呼ばれた人の手に、また届くのですよ。まるで、その人を探し出すかのように」

 そう言った隆さんの目は、どこか遠くを見ていた。

「本というのは、不思議なものです。人が書いたものなのに、人よりも長く生きて、人を導いたり、試したりする。
 この本もまた、“次の語り手”をずっと待っていたのかもしれませんね」

 私はその言葉を、胸の中でゆっくりと反芻した。

 次の語り手——それは、私?

「もしよければ、この本のことを、少し調べてみませんか。図書館の記録の中に、古い貸し出し履歴や、寄贈者名簿があります。
 そこに手がかりが残っているかもしれません」

「調べても……いいんですか?」

「もちろん。図書館は、記憶の倉庫ですから」

 隆さんは、背後の戸棚から鍵を取り出すと、カウンター脇の扉を開けた。
 その奥には、古い木製のキャビネットが並んでいた。

 私は思わず息を呑んだ。
 その場所はまるで、時間の奥に閉じ込められた秘密の書庫のようだった。

「ここは、職員でもほとんど立ち入らない場所です。ですが、あなたには特別に、お手伝いをお願いしたいと思って」

「わたしに……ですか?」

「そうです。あなたのような人に、何かを託したくなるのですよ。理由は、まだうまく説明できませんが」

 私は本を胸に抱いたまま、ゆっくりと頷いた。

 遠くで、図書館の閉館チャイムが鳴っていた。
 その音は、なぜか旅の始まりを告げる鐘のように思えた。

 隆さんの後について、私は静かにその扉の奥へと踏み出した。
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