幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂

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第二章 廻る帰還

新しい名を(後半)

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 ――聞いてはいけない事、だったのかな……。

 『私はなんて軽率な質問をしてしまったのか』と、一人反省会に突入する三木。
 対して『自身でも今置かれてる状況が分からないのに、なんと答えればいいのか』と、半ば諦めモードに突入していたユメビシ。
 
 両者の間を流れる気まずい雰囲気は、マイペースの化身と苦言を呈される男の、晴れやかな声によって掻き消された。
 
「おっ待たせ~。さて、ここからが本題なんだけど……にらめっこの最中かな?」  
「そんな訳ないだろ」
 
 何を言ってるんだ、と軽く睨み付けてやるが、いつの間にか縄の拘束を解かれたヨミトは、妙に上機嫌でこちらへ近寄る。
 左手には、何やら葉のついた小枝を持っており、動くたびカサカサと揺れた。
 
「えっと……本題?」
「うん、キミに新しい名前を渡そうと思ってね」
 
 ミキの前に腰を下すと、懐から筆をと取り出し、小枝と共に彼女の前へ並べる。

「私に? ニックネームの様なものですか?」    
「まあそんな所。ちょっとした特典も満載だから、喜んで受け取ってくれて構わないよ」
「は、はあ……」 
「まずは改めて、名前を教えてほしい。フルネームで頼むよ」 
「……ん? が名前だろ?」 
「いえ、下の名前は『しずな』で、なんです」
 
 ユメビシは雷に打たれたような衝撃を、一人静かに受け止めていた。
 
 ――何故、忘れていたのだろう?
 そうだ。考えてみれば、名前には姓と名があって、当然だったじゃないか。
 それは俺も例外なく、含まれているはずだが、『』以外思い出せない。
 
 ……いや、待てよ。ユメビシ?
 今更ではあるが、変わった響きの名前だと思う。
 何を思ってこの名を付けたんだ、と既に顔も朧げな両親を思い浮かべたが、彼らにこの名で呼ばれる光景は違和感でしかない。
 ならば、いつからユメビシと呼ばれるようになったのか?
 
 ――思い当たる節なんて、一つしかなかった。

『……という名、ね。そうだなぁ……、ボクが贈る名は』 
 
 僅かに蘇る思い出は、現在目の前で繰り広げられている光景に重なった。
 同一人物であろう男は、数十年前と変わらぬ姿と声でここにいるのだから。
 
「みきしずな、ね。そうだなぁ……うん、決めた! さあ片手パーにして、掌は上で」 

 三木は先の読めない展開に怯えながらも、言われた通りに左手を差し出した。
 一体何をされるのかとヨミトを見れば、右手には先程の枝木。
 
 ――カサッ、カサッ。
 
 こそばゆい刺激が数回、掌から伝わる。
 生い茂る葉を打ち付ける様な動作は、どこかお祓いを彷彿とさせた。
 その後、ヨミトは枝から筆に持ち替える。
 筆先には、紅いインクの様な液体が付着しており、筆が掌を滑るとひやりと冷たい。
 
「はい、出来たよ」
「……? 『コエビ』って、え……!?」

 自身の左手に書かれた3文字を読み上げる。
 すると不思議なことに、『コエビ』の字が淡く発光し始めた。
 決して痛くも、熱くもないけれど……。
 
「平気だよ。勝手に染み込んで、消えてしまうからね」
 
 その宣言通り、文字は跡形もなく肌に溶け、綺麗に消え落ちていた。
 それを見届けたヨミトは満足そうに微笑む。
 
「それじゃ改めて、ようこそ季楼庵へ。ここは多様な者達が、面白可笑しく助け合って生活しててね。保護すると言ったけど実際問題、此処での生活を円満に過ごせるかどうかは、次第だよ。働かざる者食うべからずってね」

 ――どうやら本当に、コエビと命名されたみたい。
 
 それにしても、コ、エビ……何故に、海老?
 不思議なネーミングセンスだと思ったが、早々にこの名を受け入れ始めてる自分もいた。
 妙にしっくりきてしまったのだ。
 
「分かりました。それで私は何をすれば……?」 
「喫茶ダリコロを紹介しよう。そこで上手くやってご覧。まずは無事の帰還を祈ってるよ」
「は、はい!」
「彼が同行するから、早速向かって欲しい」  

 ヨミトが指差す方には、先ほど通った鳥居の前に佇む、トオツグの姿があった。
 私を待つ彼には申し訳ないが、どうしてもまだやるべき事……いや、伝えなきゃいけないことが残ってる。

「すみません……最後に少しだけ時間を下さい!」

 中立者は少女と少年を交互に見た後、薄い唇で笑みを浮かべると、静かに立ち上がった。
 
「うん、構わないよ」
 
 そう言い残し、元の位置へ帰っていくヨミト。
 こちらの気持ちを汲んでくれた彼に感謝しつつ、コエビは目的の人物と向き合った。
 
 ユメビシは心ここに在らずといった具合で、ピクリとも動かない。
 なんだかずっと遠い場所を見つめる瞳は、彼の存在ごと、何処か遠くへ行ってしまった様で。
 目の前にいるのに、何処にもいない……それが出会った時から感じてた、彼が纏う雰囲気の正体だ。
 
 ――ここの住人という訳ではないらしい彼と会えるのは、これが本当に最後かもしれない。
 
 不安な気持ちは押し殺して、どうにかして笑みを貼り付ける。
 歪だって構わない。泣くのが一番、迷惑をかけてしまうから。
 
「ユメビシさん」  
 
 ……どうか、この気持ちが上手く言葉に出来ますように、と。
 そんな祈りを込めて、私は、彼の名を口にする。
 
 
 ***
 
 
 過去の朧げな記憶と、現在の光景を照らし合わせながら、こぼれ落ちてしまった何かに想いを馳せた。
 ……きっと、一度手から離れてしまったものは、簡単には戻らないのだろう。
 それが嫌というほど身に染みて、罪状の分からない罪を暴かれた様な気分だった。

 ふと、誰かに呼ばれた気がして、顔を上げる。
 声の主は、どこか寂しげな瞳を揺らしながら、すぐ目の前にいた。 
 
「ミキ……いや、違うのか……コエビ?」 
「はい、ユメビシさん。私、そろそろ行きます。すみません、もっと早く言うべきだったんですけど……」
「こ、コエビ?」  
「本当にありがとうございました。二度も、掬い上げてくれて……」

 俺の静止を待たずして、彼女は突然深々と頭を下げた。
 少し驚きはしたものの、続く感謝の言葉に、寧ろ俺自身が救われた気持ちになる。
 先程まで金縛りにあったように、冷えて固くなっていた筋肉がじんわりと解されていく。

「……手が届いて良かったと、思ってる」

 我ながら、愛想のない返事だと分かっていたが、これ以外に浮かばなかったのだ。
 彼女は未だ顔を上げず、『その』や『えっと』と口籠もっている。
 しかし意を結したのか、僅かに視線だけこちらに上げ、遠慮がちに尋ねてきた。
 
「……また、会えます、か?」  
 
 その様子がなんだか可笑しくて、つい口元が綻ぶのを感じる。
 丸い彼女の後頭部に、ポンと右手を添えた。
     
「あぁ。コエビの帰りを待ってるよ」
「……! こ、今度改めてお礼させて下さいね……それじゃ、行ってきます!」
 
 最後に、出会ってから一番の笑顔を見せ、彼女は駆け出す。
 トオツグと合流し、二人揃って鳥居の向こうへ消えていく後ろ姿を、最後まで見送った。
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