19 / 55
すずちゃんのJK生活
第17話 黒い雫と、夏のはじまり
しおりを挟む
朝の陽射しがまぶしくて、思わずカーテンを手で押さえた。
(……暑い)
グリフィンチ学園は夏休みに入ったが、私たち裏文芸部は完全にオフというわけではない。
むしろこの時期は、“奴ら”の活動が活発化する可能性が高いらしい。
(夜の通知……一郎くんが何か感じたんだよね)
カーテンの隙間から入り込む光に、まぶたがきしむような感覚を覚えながら、私はゆっくりと起き上がる。
制服はすでに不要。今日は“私服で部室集合”という連絡が来ていた。
私は麦わら帽子と、涼しげなミントグリーンのワンピースを選んで身支度を整える。
冷たい麦茶をひと口飲んで、扇風機の風に後ろ髪を撫でられながら、私は鞄を肩に掛けた。
グリフィンチの裏門から抜け、図書館棟を通り過ぎて部室のある別棟へ向かう。
誰もいない廊下。夏の空気はそこでも熱を帯び、扉を開ける瞬間だけが救いのように感じられた。
部室の扉を開けると、既に数人の姿があった。
「おはよう、小鈴ちゃん。涼しそうな格好だね、夏の少女って感じ」
「優凜さん、おはようございます」
テーブルにはアイスティーと、読まれかけの文庫本。
彼女は相変わらずの優雅さで椅子に腰かけていた。
本の栞の位置は、昨日のままだろうか。彼女の指が軽やかにページをなぞるのが見えた。
「一郎くんはまだだけど……」
「あ、来たよ」
ドアのすぐ外から、足音とともに姿を見せたのは、黒酒一郎くん。
手にはあの“記録帳面”を抱えていた。
「昨夜、都心の地下鉄でちょっとした事故があったんだ。人の気配のない車両で急に照明が全部落ちて、誰もいないのに金属音が響いたって」
「異能力者……?」
「いや、これは……“生まれ損ね”の類かもしれない」
「生まれ損ね……?」
紅葉先輩が、いつになく真面目な表情で補足する。
「普通、異能力ってのは持ち主と共に“形”を得る。でも時々、誰にも選ばれないまま意志だけ残ってしまうことがある。未確定の能力が、宿主なしにこの世にこぼれ落ちる──黒い雫みたいにね」
「……それが、暴走する?」
「そう。意思を持たずとも、無差別に接触者へ影響を与えることがある。悪夢、幻覚、衝動の暴走……あまり近づくべきものじゃない」
私は、無意識に両腕を胸の前で抱いていた。
まるで肌の奥に、冷たい水を垂らされたような感覚。
「小鈴ちゃんの《貪食》なら……そういう未確定の力を“取り込む”こともできるかもしれないんだ。もちろん、危険もあるけど」
「やってみます。……私にできる可能性があるなら、やります」
心臓が早鐘のように鳴っていた。
けれどその言葉に迷いはなかった。
「場所は地下鉄構内……人の少ない時間帯を狙って行く」
紅葉先輩が机の上に路線図を広げた。
「都斗と楓は?」
「楓は今日は部活の合宿準備、都斗もそれに付き添ってる」
「……よかった。楓ちゃんが巻き込まれるのは、何としても避けたい」
そう言った紅葉先輩の声は、真剣そのものだった。
楓ちゃんにだけは、“その先”の世界を知られたくない――それがこのチームの、たぶん唯一の共通意識だ。
──
そして数時間後。
地下鉄の構内は、昼下がりだというのにひどく静かだった。
駅の蛍光灯の光が鈍く揺れている。風がないのに、どこか潮の匂いがした。
私たちはホームの端に立ち、耳を澄ます。
遠くでレールが軋む音がして、それが人の息遣いのように聞こえた。
「……いる」
一郎くんの声が落ちる。
誰もいないはずのトンネルの奥で、“何か”が呻いていた。
「気をつけて。これは……意識だけが取り残された力だ」
その言葉の先に現れたのは、黒い霧のような塊だった。
まるで夜の水が逆流してくるかのように、うねるように空間を歪ませながら、ゆっくりと近づいてくる。
それは“生きている”というより、“存在している”という感じだった。
「来ます……!」
私は足元に力を込め、能力を展開する。
《貪食》の半透明の球体が現れ、ぴたりと私の指先の動きに追従する。
「誘導する。紅葉、転移頼む」
「任せて」
一郎くんが指を鳴らすと同時に、霧が私たちに襲いかかってきた。
瞬間、紅葉先輩が空間をねじ曲げる。歪んだ空気の層が盾のように出現し、霧の進行方向をわずかに逸らした。
その隙に私は、全力で《貪食》を打ち込む。
「……っ、取り込め……!」
球体がぐぐっと膨張し、霧をまるごと吸い込んでいく。
内側に何かが砕けるような音がして、空間が軋む。
ギュゥゥゥン、という耳鳴りのような音。
やがてすべてが収束した。
静寂のホームに、私たちの呼吸だけが残された。
「……終わった?」
「うん、完全に沈静化したみたい」
優凜さんがそっと確認してくれる。
私はうなずきながら、大きく息を吐いた。
「小鈴ちゃん、安定してきたね」
「……ありがとうございます!」
自然に出たその言葉の奥に、自分でも気づくような誇りがあった。
ほんの少しだけでも、ここに“いていい”と、思えた。
──
帰りの電車。
誰もが少し黙って、車窓の外を眺めていた。
窓に映る自分の表情が、いつもより少しだけ大人びて見える。
その沈黙を破るように、一郎くんが呟いた。
「……最近、“自我を持った未確定能力”が生まれてる気がする」
「それって、敵がいるってこと……ですか?」
「まだ確証はない。でも、偶然が重なりすぎてる。何かが裏で起きてると考えた方が自然だ」
誰もが目を合わせることなく、その言葉の重みを受け止めた。
──この夏は、ただの休暇では終わらない。
何かが始まっている。
私たちだけがまだ、それに気づき始めたばかりだ。
(……暑い)
グリフィンチ学園は夏休みに入ったが、私たち裏文芸部は完全にオフというわけではない。
むしろこの時期は、“奴ら”の活動が活発化する可能性が高いらしい。
(夜の通知……一郎くんが何か感じたんだよね)
カーテンの隙間から入り込む光に、まぶたがきしむような感覚を覚えながら、私はゆっくりと起き上がる。
制服はすでに不要。今日は“私服で部室集合”という連絡が来ていた。
私は麦わら帽子と、涼しげなミントグリーンのワンピースを選んで身支度を整える。
冷たい麦茶をひと口飲んで、扇風機の風に後ろ髪を撫でられながら、私は鞄を肩に掛けた。
グリフィンチの裏門から抜け、図書館棟を通り過ぎて部室のある別棟へ向かう。
誰もいない廊下。夏の空気はそこでも熱を帯び、扉を開ける瞬間だけが救いのように感じられた。
部室の扉を開けると、既に数人の姿があった。
「おはよう、小鈴ちゃん。涼しそうな格好だね、夏の少女って感じ」
「優凜さん、おはようございます」
テーブルにはアイスティーと、読まれかけの文庫本。
彼女は相変わらずの優雅さで椅子に腰かけていた。
本の栞の位置は、昨日のままだろうか。彼女の指が軽やかにページをなぞるのが見えた。
「一郎くんはまだだけど……」
「あ、来たよ」
ドアのすぐ外から、足音とともに姿を見せたのは、黒酒一郎くん。
手にはあの“記録帳面”を抱えていた。
「昨夜、都心の地下鉄でちょっとした事故があったんだ。人の気配のない車両で急に照明が全部落ちて、誰もいないのに金属音が響いたって」
「異能力者……?」
「いや、これは……“生まれ損ね”の類かもしれない」
「生まれ損ね……?」
紅葉先輩が、いつになく真面目な表情で補足する。
「普通、異能力ってのは持ち主と共に“形”を得る。でも時々、誰にも選ばれないまま意志だけ残ってしまうことがある。未確定の能力が、宿主なしにこの世にこぼれ落ちる──黒い雫みたいにね」
「……それが、暴走する?」
「そう。意思を持たずとも、無差別に接触者へ影響を与えることがある。悪夢、幻覚、衝動の暴走……あまり近づくべきものじゃない」
私は、無意識に両腕を胸の前で抱いていた。
まるで肌の奥に、冷たい水を垂らされたような感覚。
「小鈴ちゃんの《貪食》なら……そういう未確定の力を“取り込む”こともできるかもしれないんだ。もちろん、危険もあるけど」
「やってみます。……私にできる可能性があるなら、やります」
心臓が早鐘のように鳴っていた。
けれどその言葉に迷いはなかった。
「場所は地下鉄構内……人の少ない時間帯を狙って行く」
紅葉先輩が机の上に路線図を広げた。
「都斗と楓は?」
「楓は今日は部活の合宿準備、都斗もそれに付き添ってる」
「……よかった。楓ちゃんが巻き込まれるのは、何としても避けたい」
そう言った紅葉先輩の声は、真剣そのものだった。
楓ちゃんにだけは、“その先”の世界を知られたくない――それがこのチームの、たぶん唯一の共通意識だ。
──
そして数時間後。
地下鉄の構内は、昼下がりだというのにひどく静かだった。
駅の蛍光灯の光が鈍く揺れている。風がないのに、どこか潮の匂いがした。
私たちはホームの端に立ち、耳を澄ます。
遠くでレールが軋む音がして、それが人の息遣いのように聞こえた。
「……いる」
一郎くんの声が落ちる。
誰もいないはずのトンネルの奥で、“何か”が呻いていた。
「気をつけて。これは……意識だけが取り残された力だ」
その言葉の先に現れたのは、黒い霧のような塊だった。
まるで夜の水が逆流してくるかのように、うねるように空間を歪ませながら、ゆっくりと近づいてくる。
それは“生きている”というより、“存在している”という感じだった。
「来ます……!」
私は足元に力を込め、能力を展開する。
《貪食》の半透明の球体が現れ、ぴたりと私の指先の動きに追従する。
「誘導する。紅葉、転移頼む」
「任せて」
一郎くんが指を鳴らすと同時に、霧が私たちに襲いかかってきた。
瞬間、紅葉先輩が空間をねじ曲げる。歪んだ空気の層が盾のように出現し、霧の進行方向をわずかに逸らした。
その隙に私は、全力で《貪食》を打ち込む。
「……っ、取り込め……!」
球体がぐぐっと膨張し、霧をまるごと吸い込んでいく。
内側に何かが砕けるような音がして、空間が軋む。
ギュゥゥゥン、という耳鳴りのような音。
やがてすべてが収束した。
静寂のホームに、私たちの呼吸だけが残された。
「……終わった?」
「うん、完全に沈静化したみたい」
優凜さんがそっと確認してくれる。
私はうなずきながら、大きく息を吐いた。
「小鈴ちゃん、安定してきたね」
「……ありがとうございます!」
自然に出たその言葉の奥に、自分でも気づくような誇りがあった。
ほんの少しだけでも、ここに“いていい”と、思えた。
──
帰りの電車。
誰もが少し黙って、車窓の外を眺めていた。
窓に映る自分の表情が、いつもより少しだけ大人びて見える。
その沈黙を破るように、一郎くんが呟いた。
「……最近、“自我を持った未確定能力”が生まれてる気がする」
「それって、敵がいるってこと……ですか?」
「まだ確証はない。でも、偶然が重なりすぎてる。何かが裏で起きてると考えた方が自然だ」
誰もが目を合わせることなく、その言葉の重みを受け止めた。
──この夏は、ただの休暇では終わらない。
何かが始まっている。
私たちだけがまだ、それに気づき始めたばかりだ。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる