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月もまた2人を見守る

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 男は黒いスーツに身を包み、22年物の女の元へ舞い降りる。

「あなたは……?」

 虚ろな目をした女。白くて丸いラムネの残骸やロープ、カッター等が床に散らばっている。

「死神だよ。」

 男は簡潔に答えた。

「そう。やっと……。」

 死神という言葉に女の表情が和らぐ。

「手を取ってくれるか?少し散歩しよう。」

「えぇ。」

 女は男が差し出した手に躊躇なく自らの手を重ねた。男はゆっくり手を握る。割れてしまわないようそっと。

 部屋の窓をカラカラと開けて、男と女は真夜中の世界へ足を踏み入れた。

 それから2人は女の生まれた病院から10年以上暮らした実家、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学を中心によく遊んだ場所や馴染み深い店などを順に回っていく。女は何も言わず、空からただ眺めているだけだった。

 そうして淡々と回り終えると、女が元いた部屋へ2人は戻った。

「これでようやく終われるのね。」

「あぁ。」

「よかった……。」

 女は心からそう呟いた。そして掃除をしてからでもいいかと女は男に聞く。男は頷いた。

「手伝うか?」

「大丈夫。」

 女はゴミ袋を片手にゆっくりと拾い始めた。

「私はなんにもできないダメな人間だった。誰からも必要とされない生きる価値のない人間だった。」
 
 男は邪魔にならないよう窓の傍で壁に寄っかかり、掃除が終わるのを待つ。

「それでも私は恵まれた環境に産んでもらったから。ここまで育ててもらったから。簡単に死んじゃダメだって藻掻いたの。でも、結局全部無駄だった。誰かに頼ることもできたはずなのにね。助けてと思った時にはもう声を出すことすらできなかった。」

 男は何も言わない。ただ黙って部屋が片付いていくのを眺めている。

「疲れちゃった。両親にはごめんって申し訳ないってたくさん思うけど。でも今は息をすることすら辛くって。もう、終わらせたい。」

 女は最後のゴミ袋の口をキュッと結んで閉じた。

「待たせてごめんね。もういいよ。」

 女は男の目の前に立つ。男の表情は分からない。向かい合う女も目線を下に向けているため、男の表情は誰にも分からない。

「ずっと、見ていた。お前が生まれてから死ぬまで。ずっと。そんな俺だから分かる。お前は誰よりも優しい人間だった。そんな俺だから知っている。お前はこの世界で最も美しい魂だった。」

 女は顔を上げる。

「そっか。こんな私にも良い所があったんだね。」

 女は初めて微笑んだ。「ありがとう」と。それは優しい空気を纏った人間の柔らかい微笑みだった。

「本当に、終わりにしていいのか。」

 女は頷く。

「私を救けて。死神さん。」

 月光が2人を照らす。この時、この瞬間だけ、世界は2人の味方だった。
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