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6 馬車の中で
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寝起きの私が洗面台の前に立つ。
メガネを外して顔を洗う。
タオルで顔を拭いて鏡を眺める。
ぼんやりと焦点が合わず、自分の顔もよく見えない。
私はどんな顔をしてるのか、よくわからない。
学園でみんなに馬鹿にされるから、きっとみっともない顔なのだろう。
「まあ。シャロンお嬢様、今日も可愛らしいですわ」
平民時代から父が雇っていたメイド、マーサが私に声をかけてきた。
優しいマーサは私のことをよく可愛らしいと言ってくれるが、きっとお世辞だろう。
こんなにぼんやりした顔なのだから。
うちには母がいない。
私を産んですぐ、亡くなったからだ。
母の写真があれば私の顔の想像も少しはつくのだろうけど、父と母が結婚した当初は父はまだ貧しく、記念写真を撮るお金もなかったらしい。
父は設計図を書くのはすこぶる上手だけど、人の絵となるとからきしダメで、いつか描いてくれた私の顔は丸い顔にバランスの崩れた目鼻が散らばっている、不気味な絵だった。
私は気を取り直して、メガネをかける。レンズは分厚く、レンズの奥の目はとても小さい。
きっとまた学園で馬鹿にされる。
からんでくる令嬢たちには付き合いきれないが、それでも私は学園で生きていかなければならない。
昨日、パパは仕事で国土院に泊まり込みでまだ帰ってきていない。
今春、建築技官の主任に抜擢されてからさらに忙しくなったみたいだ。
私は制服に着替えて朝食をすませ、スクールバッグを手に馬車に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ」
マーサが微笑んで見送ってくれる。
「行ってきます」
ママがいたら、こんな感じなのかな。
御者が馬を鞭打つ音がして馬車が動き始める。だんだんと遠ざかるマーシャの姿に私は少しだけ寂しさを覚えた。
馬車が学園に近づくにつれ、気が重くなっていく。
学園でイビられていることは、パパやマーサには話せていない。この前ウォルターにはつい言ってしまったけど、家族にはまだ言わないでほしいと頼んである。
パパの負担になりたくない。
マーサにも心配かけたくない。
私さえ我慢していれば、あと3年やり過ごせば、この世界から抜け出せるはずだから。
結婚は……
私は本当にルアージュ様と結婚するんだろうか?
その時の私には未来がよく見えなかった。
私の馬車が学園の馬車広場に到着すると、先に到着していたルアージュ様が王家専用の馬車から降りる様子が小窓のレースの隙間から見えた。
ルアージュ様がこちらを見た。
「!」
私はとっさに顔を引っ込めた。
見つかりませんように。
数秒してもう一度小窓から外を眺めようとした時、ガチャっといきなり馬車の扉が開き、誰かが入ってきた。
「えっ」
ルアージュ様だった。
「ごめん、驚かせて。どうしても君と話したくて」
急いできたのだろうか。
少し息の上がったルアージュ様はそう言って私の目の前に腰掛けた。
私は体がちょっと強張った。
誰かに見られたら。
華たちにまた何か言われるな。
そんな心配ばかりが先に来た。
「な、なん、で、しょうか」
たどたどしく私は口を開いた。なにせ、滅多に会話などしたことのない相手だ。
「この前のポーチでのことだけど──」
「そのことはもういいですっ」
私は反射的に叫んでいた。
偏差値が一点足りず、喉から手が出るほど欲しかった地図が手に入らなかった悲しみを思い出してしまった。
私は耳を塞いで震え出した。
「シャロン!すまなかった、僕は君のことを」
「もういいんですっ!何も聞きたくないのでっ!」
私はたまらず扉を開け、外に飛び出していた。
「シャロン、待って!」
「ルアージュ様、こちらにいらしたの?」
「さあ、教室までご一緒しましょう」
私の馬車から慌てて降りてきたルアージュ様をいつもの如く令嬢たちがあっという間に囲い込む。
「通してくれ、シャロン!シャロン!」
ルアージュ様が悲痛な顔をしていたことなんて、自分のことで精一杯の私が気づくはずがなかった。
「シャロン、これルアージュ様から預かったわよ。あなたに渡してほしいって」
カリンが私のスクールバッグを差し出した。
そうだった。慌てて逃げ出したから、バッグを馬車の中に忘れたままだったんだ。
「ありがとう……」
「お礼ならルアージュ様にね」
「……」
黙りこくった私を心配そうにカリンが見守っていた。
これはなかなか前途多難ね。
カリンはため息をつく。
カリンはルアージュから個人的にシャロンのことで相談を受けていた。
シャロンを心から思いやり、ルアージュがシャロンを好きでいることを知る学園で唯一の人物なのだ。
カリンはふたりのためにできることは全部やるつもりだった。
この前、シャロンが室内靴をぼろぼろにされたときも、新しい靴を買いにいこうデパートに誘ったが、シャロンに断られた。
「この靴……パパが王立学園に通うために、忙しいのに一緒に買い物につきあってくれたんだ。だから」
「そう。そんなに大切なものだったのね」
なのでシャロンはまだ、片方がぼろぼろになったままの室内靴を履いている。
遠くからルアージュがそんなシャロンを切ない瞳で見つめていた。
シャロンとの心の距離が日に日に離れていっている気がする。
僕たちは婚約者のはずなのに。
確かに記された婚約成立の契約書なんか、何の力もないみたいだ。
どうしたらいいのだろう。
僕が急ぎすぎたのだろうか。
いや。
そもそも僕は間違っていたのだろうか……?
シャロンが遠くなっていく感覚に、ルアージュはしばらく抗っていた。
メガネを外して顔を洗う。
タオルで顔を拭いて鏡を眺める。
ぼんやりと焦点が合わず、自分の顔もよく見えない。
私はどんな顔をしてるのか、よくわからない。
学園でみんなに馬鹿にされるから、きっとみっともない顔なのだろう。
「まあ。シャロンお嬢様、今日も可愛らしいですわ」
平民時代から父が雇っていたメイド、マーサが私に声をかけてきた。
優しいマーサは私のことをよく可愛らしいと言ってくれるが、きっとお世辞だろう。
こんなにぼんやりした顔なのだから。
うちには母がいない。
私を産んですぐ、亡くなったからだ。
母の写真があれば私の顔の想像も少しはつくのだろうけど、父と母が結婚した当初は父はまだ貧しく、記念写真を撮るお金もなかったらしい。
父は設計図を書くのはすこぶる上手だけど、人の絵となるとからきしダメで、いつか描いてくれた私の顔は丸い顔にバランスの崩れた目鼻が散らばっている、不気味な絵だった。
私は気を取り直して、メガネをかける。レンズは分厚く、レンズの奥の目はとても小さい。
きっとまた学園で馬鹿にされる。
からんでくる令嬢たちには付き合いきれないが、それでも私は学園で生きていかなければならない。
昨日、パパは仕事で国土院に泊まり込みでまだ帰ってきていない。
今春、建築技官の主任に抜擢されてからさらに忙しくなったみたいだ。
私は制服に着替えて朝食をすませ、スクールバッグを手に馬車に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ」
マーサが微笑んで見送ってくれる。
「行ってきます」
ママがいたら、こんな感じなのかな。
御者が馬を鞭打つ音がして馬車が動き始める。だんだんと遠ざかるマーシャの姿に私は少しだけ寂しさを覚えた。
馬車が学園に近づくにつれ、気が重くなっていく。
学園でイビられていることは、パパやマーサには話せていない。この前ウォルターにはつい言ってしまったけど、家族にはまだ言わないでほしいと頼んである。
パパの負担になりたくない。
マーサにも心配かけたくない。
私さえ我慢していれば、あと3年やり過ごせば、この世界から抜け出せるはずだから。
結婚は……
私は本当にルアージュ様と結婚するんだろうか?
その時の私には未来がよく見えなかった。
私の馬車が学園の馬車広場に到着すると、先に到着していたルアージュ様が王家専用の馬車から降りる様子が小窓のレースの隙間から見えた。
ルアージュ様がこちらを見た。
「!」
私はとっさに顔を引っ込めた。
見つかりませんように。
数秒してもう一度小窓から外を眺めようとした時、ガチャっといきなり馬車の扉が開き、誰かが入ってきた。
「えっ」
ルアージュ様だった。
「ごめん、驚かせて。どうしても君と話したくて」
急いできたのだろうか。
少し息の上がったルアージュ様はそう言って私の目の前に腰掛けた。
私は体がちょっと強張った。
誰かに見られたら。
華たちにまた何か言われるな。
そんな心配ばかりが先に来た。
「な、なん、で、しょうか」
たどたどしく私は口を開いた。なにせ、滅多に会話などしたことのない相手だ。
「この前のポーチでのことだけど──」
「そのことはもういいですっ」
私は反射的に叫んでいた。
偏差値が一点足りず、喉から手が出るほど欲しかった地図が手に入らなかった悲しみを思い出してしまった。
私は耳を塞いで震え出した。
「シャロン!すまなかった、僕は君のことを」
「もういいんですっ!何も聞きたくないのでっ!」
私はたまらず扉を開け、外に飛び出していた。
「シャロン、待って!」
「ルアージュ様、こちらにいらしたの?」
「さあ、教室までご一緒しましょう」
私の馬車から慌てて降りてきたルアージュ様をいつもの如く令嬢たちがあっという間に囲い込む。
「通してくれ、シャロン!シャロン!」
ルアージュ様が悲痛な顔をしていたことなんて、自分のことで精一杯の私が気づくはずがなかった。
「シャロン、これルアージュ様から預かったわよ。あなたに渡してほしいって」
カリンが私のスクールバッグを差し出した。
そうだった。慌てて逃げ出したから、バッグを馬車の中に忘れたままだったんだ。
「ありがとう……」
「お礼ならルアージュ様にね」
「……」
黙りこくった私を心配そうにカリンが見守っていた。
これはなかなか前途多難ね。
カリンはため息をつく。
カリンはルアージュから個人的にシャロンのことで相談を受けていた。
シャロンを心から思いやり、ルアージュがシャロンを好きでいることを知る学園で唯一の人物なのだ。
カリンはふたりのためにできることは全部やるつもりだった。
この前、シャロンが室内靴をぼろぼろにされたときも、新しい靴を買いにいこうデパートに誘ったが、シャロンに断られた。
「この靴……パパが王立学園に通うために、忙しいのに一緒に買い物につきあってくれたんだ。だから」
「そう。そんなに大切なものだったのね」
なのでシャロンはまだ、片方がぼろぼろになったままの室内靴を履いている。
遠くからルアージュがそんなシャロンを切ない瞳で見つめていた。
シャロンとの心の距離が日に日に離れていっている気がする。
僕たちは婚約者のはずなのに。
確かに記された婚約成立の契約書なんか、何の力もないみたいだ。
どうしたらいいのだろう。
僕が急ぎすぎたのだろうか。
いや。
そもそも僕は間違っていたのだろうか……?
シャロンが遠くなっていく感覚に、ルアージュはしばらく抗っていた。
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