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4 デートのお誘い
夫に触れられもせず、さんざんな初夜となったが、クラリスは一晩泣いてすっきりしていた。
朝食を一人で取り、昼食も一人で取った。そして思った。
ここ、なんて楽なの!
実家にいた頃のクラリスは、家の差配や領地運営、会計仕事など毎日仕事に追われていた。ところが、グラシエ家の執事たちは優秀で領地の経営も諸事もテキパキとこなしてくれる。
「ここは楽園よ!」
クラリスは両手を空に広げ、微笑んだ。
「奥様、こちらに来て、何かお辛いことはありませんか?」
執事が気を利かせてクラリスに聞いてきた。
「ないわ」
「ええ?」
執事が意外そうにクラリスを見た。
「だって思ったの。ここには素晴らしいことがいくつもあるの。まず、ものが腐らない!」
「え?」
「生物の保管にどれだけ私たちが苦労してきたと思ってるの?王都にある氷室は王族しか使えないし、グラシエ辺境伯家の冷蔵スキル最高!」
「お、おお……」
執事が戸惑いながらも頷いた。
クラリスが言うように、夏でも寒いこの屋敷では、アルスターの魔力で勝手に食料が凍り、わざわざ冷蔵設備を整える必要がなかった。
「まだあるわ。氷の呪いを恐れて盗賊がやってこない!」
「た、確かに……!」
執事がうんうんと頷いた。
「そしてこれが一番大事なのよ。氷の呪いのおかげで旦那様に変な虫がつかない!」
「お、おお~!」
執事がさらに激しく同意した。
クラリス様は物事を引きずらない性格をお持ちのようだ。
頼もしい奥様だ。
得意げに笑っているクラリスを眺めながら、執事は内心、感心していた。
どんな方がお越しになるのか不安もあったが、前向きでとても良い方が来てくださったのかもしれない。
旦那様、よかったですな。
孤独な主人を知る執事はクラリスの笑顔に心があたたまる心持ちだった。
「そういえば、アルスター様は?」
「おそらく書庫にいらっしゃるかと」
「そう、わかったわ。確か一階の奥よね」
「書庫に行かれるのですか!?」
執事は事情があるものの夫から距離を取られクラリスが傷ついているのではないかと思っていたので、クラリスの行動にふと不安がよぎった。
「な、何をされるおつもりで?」
旦那様に怒りをぶつけに行かれるのではないか。
執事はクラリスを止めた方がいいのではと焦った。
「デートのお誘いよ」
「へ?」
執事は一瞬、ぽかんとした。
「だって私暇なの。あなた達が優秀すぎてやることがないし、体も動かしたいの。恋愛感情がなくても、アルスター様は旦那様なんだし、妻とお出かけするくらいしてくれるでしょ?」
執事の心配をよそに、クラリスはアルスターを誘いに書庫へと向かった。
昼下がりの光が差す書庫は書物の匂いで満ちていた。ずらりと書物が並び壁一面を覆う背の高い本棚の前でアルスターは緋色の表紙の重厚な本を開いていた。歴代の名戦を記した軍事本だ。
その足元の床には霜が広がり、手が本に触れている箇所には冷たい霜がついていた。ページをめくるたびに、霜がパラパラと床に落ちる。
それでもアルスターの銀眼は熱心に本を見つめていた。
本は裏切らない。
凍りついても読めるし、私から離れていくこともない。
でも人は──
ページをめくるアルスターの指がふと静止する。
怖い。
アルスターは唇を僅かに噛んだ。せっかくクラリスがこの家に来てくれたのに、アルスターは妻に近づく勇気がなかった。
私の呪いを恐れて、私を嫌になって、離れていってしまうかもしれない。
みんなそうだった。4歳で魔女から呪いを受けた後、はじめてできた友達と手を繋ごうとした時、友達が突然叫んだ。彼の手が凍り始めていた。友達は痛みと冷たさに泣き叫び、病院で治療を受けることになった。
私は父に激しく叱られた。私は泣きながら、自分は人に触れてはならないのだと強く言い聞かせた。もうその頃から両親に抱きしめられた記憶がない。着替えも、寝る準備も、勉強も、一人でこなすことが当然となった。今現在、屋敷にメイドがいても私に直接触れることは絶対にないのだ。
執事やメイドたちは離れずにいてくれるが、きっと仕方なくここにいてくれているにすぎないのだろう。だったらクラリスとは最初から距離をとっておいた方がいい。
「嫌われたく、ない」
アルスターがぽつりと呟いた時、背後からクラリスの声が響いた。
「アルスター様!」
びくりとアルスターは肩をすぼめた。
「くく、クラリス!どうしてここへ!?」
「どうしてって私、あなたの妻ですから。一緒にスケートに行きませんか?」
クラリスはあっという間にアルスターのすぐ前まで歩いてきた。
これ以上近づいたらクラリスが凍るかもしれない!
「ちょ、待っ!」
アルスターは背を向け、慌てて離れようとした。
「はい、行きますわよ」
クラリスにアルスターは袖をがちっと掴まれた。
「え?」
そしてそのままクラリスにぐいぐいと外に引っ張っられていった。
朝食を一人で取り、昼食も一人で取った。そして思った。
ここ、なんて楽なの!
実家にいた頃のクラリスは、家の差配や領地運営、会計仕事など毎日仕事に追われていた。ところが、グラシエ家の執事たちは優秀で領地の経営も諸事もテキパキとこなしてくれる。
「ここは楽園よ!」
クラリスは両手を空に広げ、微笑んだ。
「奥様、こちらに来て、何かお辛いことはありませんか?」
執事が気を利かせてクラリスに聞いてきた。
「ないわ」
「ええ?」
執事が意外そうにクラリスを見た。
「だって思ったの。ここには素晴らしいことがいくつもあるの。まず、ものが腐らない!」
「え?」
「生物の保管にどれだけ私たちが苦労してきたと思ってるの?王都にある氷室は王族しか使えないし、グラシエ辺境伯家の冷蔵スキル最高!」
「お、おお……」
執事が戸惑いながらも頷いた。
クラリスが言うように、夏でも寒いこの屋敷では、アルスターの魔力で勝手に食料が凍り、わざわざ冷蔵設備を整える必要がなかった。
「まだあるわ。氷の呪いを恐れて盗賊がやってこない!」
「た、確かに……!」
執事がうんうんと頷いた。
「そしてこれが一番大事なのよ。氷の呪いのおかげで旦那様に変な虫がつかない!」
「お、おお~!」
執事がさらに激しく同意した。
クラリス様は物事を引きずらない性格をお持ちのようだ。
頼もしい奥様だ。
得意げに笑っているクラリスを眺めながら、執事は内心、感心していた。
どんな方がお越しになるのか不安もあったが、前向きでとても良い方が来てくださったのかもしれない。
旦那様、よかったですな。
孤独な主人を知る執事はクラリスの笑顔に心があたたまる心持ちだった。
「そういえば、アルスター様は?」
「おそらく書庫にいらっしゃるかと」
「そう、わかったわ。確か一階の奥よね」
「書庫に行かれるのですか!?」
執事は事情があるものの夫から距離を取られクラリスが傷ついているのではないかと思っていたので、クラリスの行動にふと不安がよぎった。
「な、何をされるおつもりで?」
旦那様に怒りをぶつけに行かれるのではないか。
執事はクラリスを止めた方がいいのではと焦った。
「デートのお誘いよ」
「へ?」
執事は一瞬、ぽかんとした。
「だって私暇なの。あなた達が優秀すぎてやることがないし、体も動かしたいの。恋愛感情がなくても、アルスター様は旦那様なんだし、妻とお出かけするくらいしてくれるでしょ?」
執事の心配をよそに、クラリスはアルスターを誘いに書庫へと向かった。
昼下がりの光が差す書庫は書物の匂いで満ちていた。ずらりと書物が並び壁一面を覆う背の高い本棚の前でアルスターは緋色の表紙の重厚な本を開いていた。歴代の名戦を記した軍事本だ。
その足元の床には霜が広がり、手が本に触れている箇所には冷たい霜がついていた。ページをめくるたびに、霜がパラパラと床に落ちる。
それでもアルスターの銀眼は熱心に本を見つめていた。
本は裏切らない。
凍りついても読めるし、私から離れていくこともない。
でも人は──
ページをめくるアルスターの指がふと静止する。
怖い。
アルスターは唇を僅かに噛んだ。せっかくクラリスがこの家に来てくれたのに、アルスターは妻に近づく勇気がなかった。
私の呪いを恐れて、私を嫌になって、離れていってしまうかもしれない。
みんなそうだった。4歳で魔女から呪いを受けた後、はじめてできた友達と手を繋ごうとした時、友達が突然叫んだ。彼の手が凍り始めていた。友達は痛みと冷たさに泣き叫び、病院で治療を受けることになった。
私は父に激しく叱られた。私は泣きながら、自分は人に触れてはならないのだと強く言い聞かせた。もうその頃から両親に抱きしめられた記憶がない。着替えも、寝る準備も、勉強も、一人でこなすことが当然となった。今現在、屋敷にメイドがいても私に直接触れることは絶対にないのだ。
執事やメイドたちは離れずにいてくれるが、きっと仕方なくここにいてくれているにすぎないのだろう。だったらクラリスとは最初から距離をとっておいた方がいい。
「嫌われたく、ない」
アルスターがぽつりと呟いた時、背後からクラリスの声が響いた。
「アルスター様!」
びくりとアルスターは肩をすぼめた。
「くく、クラリス!どうしてここへ!?」
「どうしてって私、あなたの妻ですから。一緒にスケートに行きませんか?」
クラリスはあっという間にアルスターのすぐ前まで歩いてきた。
これ以上近づいたらクラリスが凍るかもしれない!
「ちょ、待っ!」
アルスターは背を向け、慌てて離れようとした。
「はい、行きますわよ」
クラリスにアルスターは袖をがちっと掴まれた。
「え?」
そしてそのままクラリスにぐいぐいと外に引っ張っられていった。
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