【完結】濡れ衣

nanahi

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ワンルームの狭い床に僕が転がっている。
 
睡眠薬を大量に飲んだから、死ねたんだな、やっと。
はー、とため息を吐いたつもりが、ピユッ、ピギュギュと口をついて出る。
 
鳥の声?
いやちょっと待て。
なんだ、この羽は。
 
自分の体をまじまじと眺めて異変に気づく。
 
僕は小鳥になっていた。
彼女と一緒に可愛がっていたインコに──
 
「可哀想だねえ」
 
誰かの声がした。
振り向くと小学一年生くらいの男の子がぽつんと立っている。
どこから入った?
 
「可哀想だねえ、インコが」
 
「え?」
 
僕は再度自分の体を眺めた。
僕は目の前で死んでいる。
それなのに、インコになって動いている自分がいる。
どうなってるんだ。
 
「君はあの件で死にたくなったんだろうが、インコは違ったようだよ」
 
小さいのに妙に大人びた口調の子だ。
壁の姿見にインコの僕が映る。
 
「よほど君が好きだったんだろう。とっさに願ったんだ、君を生かしたいと」
 
鏡に映ったインコの顔に彼女の笑顔が重なる。
顔がぶれてはっきりしない。
僕は鏡から目を逸らす。
 
鳥も泣くのか。

ゴ……と、うなるような音が近づく。
 
周囲がふいに暗くなり、強風が吹き荒れる。
小さな鳥の体では飛ばされてしまいそうだ。
猛烈な速度でドス黒い物体がいくつも横切っていく。
よく見ると、細かい粒子の集合体のようだ。
あの不気味な黒い塊は何だろう。
 
「死さ」
 
男の子が答えた。
信じられないと言わんばかりの目を向けてしまったのか、男の子は僕に説明を始めた。
 
「本来、”死の因子”は目に見えないが、死に触れた人間には見えるようになるんだよ。ほら、あの黒い物体がもし今君にぶつかると、君は本当に死ぬ」
 
僕はまだ死んでないってこと? と、こわごわ男の子に尋ねた。
 
「んん……正確にいうと仮死状態だね。インコが死の因子から君を逃したんだ。だからまだ完全には死んでいない」
 
インコの魂はどうなったの?
 
「本来の器から出てしまったから、居場所を失い彷徨っている。死の因子にぶつかれば消滅する」
 
インコと僕は……生き返れるの?
 
「君が望みさえすれば。もう一度生きたいと」
 
そ……うなのか……
インコは助けたいけど、でも。
もう一度生きたい……とは、とてもじゃなきけど今更……
 
「迷っているね。あんなことがあれば無理もない。だけど、光が差し始めていることを伝えておこう」
 
光?
一体どこに。
社会的に僕はもう死んだも同然なのに。
 
「彼女の最期の想いを受け取ってあげて──」
 
彼女の?
 
ふと心に灯がともる。
大好きだった彼女。
人生を共に歩みたかった彼女。
大切な大切な人だった。
 
”彼女の最期の想い”というのが気になり、それを確かめてみたい、そのためならもう少しだけ生きてみようと思った。
 
「決まりだね。戻ろう。チャンスは一度だけだよ」
 
君は死神?
それとも天使?
 
男の子は少し間を置いて答えた。
 
「僕はこの世に生まれる前に堕胎された赤子の一人だよ」
 
男の子の長いまつげが儚くゆれた。
僕が言葉に詰まっていると、男の子は微笑んで続けた。
 
「神様はときどき人間を憐れんで、理不尽な目に遭った者たちに救いの手を差し伸べることがあるんだよ」
 
僕がお礼を言うより早く、やわらかい白光があたりを包みこみ、男の子の笑顔の余韻だけがしばらく残った。
 
 
 
 
顔がちくちくする。
目を覚ますと、床に倒れている自分の顔の上をインコがせわしなく動き回っている。
 
戻って来たんだ。
 
体が重い。
仮死状態だったんだから、無理もないか。
この億劫な重さが生きている証なんだろう。
 
「チョコ……置いてっちゃって、ごめ……」
 
インコをそっと手の平にのせ、頬擦りした。
ケージの扉と部屋の窓を開けてたのに、 逃げなかったんだね、チョコ。
 
スマホの着信音にびくりとする。
祖母からだ。
 
「濡れ衣がはれたよ! やっぱあんた無実だったんだよ」
 
震える声でそう告げた後、祖母は泣きじゃくって話にならなかった。
祖母はあの事件以来、心身ともに疲弊し入院中だった。
 
慈しみ育てた孫が地獄に落とされていく様をみるのはどれほどの苦痛だったろう。
お見舞いに行くね、とそれだけ告げ通話を終了した。
 
 
テーブル上に投げ置かれた、スリープ状態のノートPCを立ち上げる。
手が震えてスマホはうまくタップできそうになかったから。
 
インコが肩に乗り僕の頬に頭を擦り寄せてくる。
小さな体温に励まされる。
 
重苦しさを払うようにはっと軽く息を吐き出し、恐る恐る、ニュースサイトにアクセスする。
 
 
 
 
速報が流れている。
 
僕に彼女殺害の濡れ衣を着せた真犯人の顔写真が目に飛び込む。
 
 
誰だ、こいつ──!?
 
 
怒りより先に血がざわつくような不気味さが押し寄せる。
僕は突き動かされるように彼女の実家に足を向けた。
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