誰何の夢から覚める時

多摩翔子

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序章

8.感情の魚たち

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 扉の先から、おおよそ普通では考えられないような、混沌と神秘に満ちた場所に出た。青黒い世界が、ただひたすら広がっている。

「綺麗……」

 自分の周りを覆っているのが空気ではなく水のような粘性のある何かだ。あたり一面は黒い澱みのようなものに覆われていて、足元はキラキラとした砂のようなもので埋め尽くされている。
 後ろを振り返れば、真っ白な扉だけがポツンと立っていて、なんともシュールだ。
 しかし何よりおかしいと思ったのは、こんなおかしな世界にやってきたと言うのに、驚きよりも安らぎのような感覚が広がっていることだった。

(僕……なんでこんなに落ち着いていられるんだろう。さっきの部屋も、今も、知らないはずなのに……)


 バイクに揺られ、裏山を走っていた時に比べれば、脳にかかる衝撃があまりにも少ない。夢の中にいるような感覚だから、感受性が鈍っているのか、それとも、過去にここに来たことがあるのか……

 記憶喪失の原因が『みたま様という怪異に記憶を食べられたから』という考え方が出来るようになったからかもしれないし、自分の脳内で”認識”を与え続けた⬛︎⬛︎のことを“認識”できた衝撃で妙に冷静になっているのかもしれない。


 そんなことを考えていると、不意に声を掛けられた。


『おはよー』
『おきたよ』
『ねぼすけ』
『まっくろけ』


 びっくりして声の方を見やると、そこには異なる色の目をした黒い魚4匹が、こちらをじっと見ていた。

 モノクロの世界の中で、色があるのは彼らだけだ。




『いきてる?』
『いきしてる』
『すごい』
『それなり』


 魚達はグルグルと好き勝手いいながら、僕に語りかけてくる。いや、口が開いているようには見えないから、直接頭に語りかけているんだろうか。


「……君たちは?」


 警戒しつつ、やっと出せた声は震えていた。見た目は真っ黒なシーラカンスだ。目や鰭の一部は派手な色がついていて、空中をスイスイと泳いでいる。彼らの周りにもモヤが掛かっていて、魚の形をした人魂のようにも見える。


『ぼく、よろこび』


 紫の目をした魚が言った。にっこりと優しく笑っている。

 
『ぼく、いかり』


 次に赤い目をした魚がそう名乗る。口元がムッと歪んでいる。

 
『ぼく、かなしみ』


 そして青い目をした魚がそう囁く。目に涙を浮かべ、口はへの字に曲がっていかにも悲しそうだ。

 
『ぼく、たのしい』


 最後に黄色い目をした魚が笑った。ニカっと笑っていて目も爛々と輝いている。


『『『『よろしくね!』』』』

「よ、よろしく……」


 常識的に考えてこんなことはありえないし、現実な訳がない、と普通の人なら判断できるのだけどあいにく記憶がないので常識は怪しく、はっきりとこの状況がおかしいと断言できないのが辛いところだ。


『ねむねむのあさの、のびやかさ、うたい終わった後の喉のつかれ。つまりしあわせ、よろこび』

「……うーん」


 じゃれるように『よろこび』が腕に絡みついてきた。まるでサラサラの絹の布ような肌触りで腕を滑っていく。しかし重みを全く感じなかった。


『くたびれた後につみあがる、うしろのかげ。いやだよね』

『ご飯を植えて、そしたらあしたの自分は十年前』

 
 『いかり』も『たのしい』追随するよう僕に戯れて来る。足に擦り寄り肩に乗り、懐いた猫のように振る舞う。話が通じるのが通じないのか、微妙なところだ。


『わかんないこと、たくさん、あるよね。こたえられることはこたえてあげる』

 
 と四匹の中で一歩後ろにひっそりと佇んでいた『かなしみ』がそういった。彼らの中のリーダー格のような振る舞いをしているし、彼ならそれなりに受け答えができそうだ。
 

「じゃ、ありがたく。まずここは一体どこだい?」

『まほろばー』
『なづけたー』
『しごのせかいー』
『ひとのむいしきー』

(しごのせかい──死後の世界?!)

 情報としてはあまりにも曖昧だが、突っ込んだところで明瞭になる気もしない。
 また、『かなしみ』以外の3匹も、挨拶にはバグのような挙動を見せたが、質問には答えられるらしい。

「僕って死んだの?」

『しんでない!』
『ここはいきてるひとも来る!』

 人の無意識、とも言っていた。ならこれは臨死体験とでもいうのだろうか。
 ──頭が痛くなってきたので一旦考えるのをやめる。

「……なるほど、現実の喫茶まほろばに戻るにはどうすればいい?」


『目が覚めたら』
『生き延びたら』
『にげきったら』
『ときがたてば』


 外見では4匹に見えるが、あまりにもセリフの息が合い過ぎていて、一匹のように錯覚してしまう。


(……時間経過で戻れるのか)


 独特な喋り口の中で気になる事を発していたのでそれも聞き出す。


「逃げるって、誰から?」

『しんだひと』
『くろのどろどろ』
『たましいの』
『くちたもの』


 死んだ人、黒のドロドロ、魂の朽ちたもの。『まほろば』が死後の世界だというなら、そりゃあ死者だっているのだろう。

 現実味のない世界で現実味のない話をされているせいか、いちいち疑おうとも思えない。僕は質問を続けた。


「ちなみに、“しんだひと”に捕まったらどうなるの?」


『『『『しんだひとになる』』』』


 ————単純明快。最低限生き延びる知識を得た。とにかくここは彼岸やあの世のようなところで、生きた人は死んだ人に捕まるとゲームオーバー。


「目が覚めるまで生き残れば帰れる、って認識でいいかしら?」

『『あってる!』』

『『ゆめのじかんとそとのじかんはちがうけどね!』』

「ありがとう、何となく現状を理解できたよ。」


 そう言って一番近くにいた『かなしみ』の頭を撫でると、彼らはきゃあきゃあ喜んで空中をくるくると泳ぐ。まるで順番待ちだ。
 可愛らしいのでついつい遊びに付き合いながら僕はゆっくりと思案した。


(……うーん。記憶の手がかりと、真実の証拠はこの世界にあるって話だったけど。
何もないところだよね、ここ。むしろ手がかりがあるとするなら現実の世界の方だと思うんだけど。)


 と、そこまで考えて思考の矛盾に気が付く。


(いや、なんでここには何もないって知ってるんだ、僕は?
ということは逆に、僕は過去にここに来たことがあって、ここのことをある程度知っているから既視感を覚えている、とか……?)

 
 僕がそうして考えていると、魚たちがぐるぐる自分の周りを泳いだかと思うと、扇動するかのように前へと泳ぎ出した。


『そろそろいかなきゃ』
『ついてきて』
『てつだって』
『かりたいねこのて』


 そのままずんずん自分を置いていこうとするので、不安になって僕は慌てて彼らについて行った。
 何もないこの空間にひとりぼっちはあまりにも心苦しい。

 追いかけながら僕は彼らに声をかける。


「何しに行くの?」
『『『『僕たちみんながしたいこと』』』』

(全く返答になってない……!)
 

 思わず眉を顰めたが、そんな僕を興味深げに観察しながら魚たちはヘドロを気にせず優雅に泳いでいる。
 足元はまるで泥のようにぬかるんでいる。真っ黒な闇のようなそれを踏みしめながら、僕は彼らに着いて行った。


「僕に何を手伝って欲しいんだい?」

『はこぶこと!』
『ちからしごと!』
『おはなしすること!』
『ぼくたちにはできないこと!』


「えーっと……誰を探しているの?」

 『『『『⬛︎⬛︎!』』』』


 その言葉を魚たちから聞いた瞬間、思考がぐにゃりとぼやけた。

 僕に認識を与えた者、メモに『探せ』と書かれた存在。

 しかしより深く考えようとすると頭痛が走り、思考が曇る。
 僕の様子がおかしいことに気づいた魚たちが心配の声を上げた。


『あの子の名前、ききとれない?』
『ちがうよ、そうされてるんだよ』
『あいかわらずのれいぞくほんのう』
『ちゅうごくのへや』


 無理やり意識が逸らされる感覚。起きている時はそれすらも自覚できなかったが、自分の思考はどうにもおかしい。

 曇り、白んでいく脳を何とか振り切り、疑問を発する。


「⬛︎⬛︎ってどんな人?……なるべく、例え話を使って欲しいな」


 直球で⬛︎⬛︎に触れると曇るのであれば、なるべく婉曲的な表現を使ってほしい、そういった意図を込めた質問だった。

 
『すてきなおはなのこ!』
『神様みたいにかわいいこ!」
『うそつきのいいこ』
『さみしいこ』

「じゃあ……どんな姿をしてるの?」


『⬛︎⬛︎は翼の生えた姿をしているよ!』
『そうでしょう?』
『そうなりたかったから!』
『素敵なお花付き!』

 お花付き、という言葉を聞いて、真っ先に思いついたのは、『鏡に映ったフード姿の神様』のことだった。
翼が生えており、顔に当たる部分には青い花が咲き誇っていたのを覚えている。


(アレが……⬛︎⬛︎?もしくは、みたま様?)


『呼べないならあだ名をつけよう!』
『何がいい?』
『てんしさん!』
『おはなさん!』


 そんな僕の様子をよそに、魚たちは好き勝手話し始める。

とはいえ、いつまでも⬛︎⬛︎と呼び続けるのは不便だし、思考が曇らされるのを回避するためにあだ名をつけるのは悪い考えではないだろう。
 思い出されるのは黙々と勉強を教わっていた子供と、それを眺める“神様”の姿だ。悪いようにはしない……と思う。

「⬛︎⬛︎って、みたま様のこと?」


 魚たちが一瞬目を見合わせた。ニコニコ、いらいら、しくしく、ふわふわの様子だった2人は、本当に困ったような顔をしているような気がした。こんな反応を返されるとは思わず、僕はおずおずと声を出す。


「違った?」
『『『『それでいいんじゃない?』』』』


 なんとも煮え切らない反応だった、断られはしないが引っかかる物がある、とはいえ今後はみたま様と呼ばせてもらおう。
 

「どうしてみたま様を探しているの?」

『“しんだひと”にたべられるから』
『ぼくらがねてるかたわら』
『あのこはいこじだから』
『それでいいのかしら?』

「……つまり“死んだ人”から、“みたま様”を助けようとしてるんだね。それなら僕も喜んで手伝うよ」


 魚たちは嬉しそうにきゃらきゃら笑っている。何というか、悪意は感じない。


 (……もし、⬛︎⬛︎が鏡の中で見た神様で、記憶を食べる怪異、”みたま様”なら、僕の記憶のことも何か知っているかもしれない。
 僕の頭の中で色々教えてくれるし。)


 元より“人のために良い事をする”のは好ましい事であり、それが自分の記憶に繋がるのであれば魚達の事を助けるのは一挙両得のはずだ。


「なにより、証拠集めをしないとね」

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