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序章
7.すいかさんは夢の中
しおりを挟む眠った途端、僕は不可思議な夢を見た。
沈む。
真っ黒な水の中に、白い泡が吹き上がっては落ちていく。
思わず息を止めもがくが、それは長く続かず肺から全ての空気をぶち撒ける。
それでも死ねない。黒い水が体を満たしていく。思考がまとまらない。
『名前、つけてあげる。いつまでも神様じゃ味気ないものね』
声がする、幼い誰かの声。自分に話しかけている?それとも、僕がこれを話している?
『違うよ、あなたはもうみたま様じゃない。みんなはそう思ってるみたいだけど、そうじゃない……
だから、私もそう呼ぶのを止める。』
みたま様。みたま様?願いを叶える代わりに記憶を食べる怪異だ。僕は、そんな相手と話している?
『んー、決めた。今日からあなたは──』
真っ白な翼が、目の端に映ったような気がして、それを追おうとして
そこで沈みゆく感覚が失せた。
(……)
◇◇◇
ふと、目が覚めた。いや、それは適切な表現ではない。気が付けば部屋の中に立っていた。
「朝……?いや。違う、かも。」
窓の無い小さな部屋だった。壁紙やタンスは自室に似ていたが、一回り小さく、窓がない。少なくとも、眠っていたはずのベッドは無くなっていた。
(夢……)
異常なことが起きていることは分かる、だが頭は妙に落ち着いていて、今ここで起こっていることに対し動揺することが出来ない。
(こういう時は、外に出て状況を確認。うん、すぐに外に出れば大丈夫……)
何故か、すんなりと次の行動を決めることが出来てしまう。
目の前にある扉に向かって歩くが、そこで手が止まる。
扉には蔓のような植物が絡み付いていて、そこだけ妙に異様だ。薄暗いせいでよく見えないが、青い蕾がいくつも付いている。
他に出口はない。何とか開けることはできないかとノブを捻るがにっちもさっちもいかない。かなり力を込めたが、絡まった蔓がワイヤーのような硬度を持っていて、無理やりちぎることは出来無さそうだ。
「……閉じ込められてる。誰が、一体、なんのために?」
どくん
そこで初めて、僕は焦燥感を覚えた。こんなことはありえない。そんなはずはない。いつまでもここにいてはいけない、外に出なければいけない。
(外に出て、それから……それから、どうしたいんだ?僕は何に焦ってる?)
……先ほど、潮に指摘された通り、僕はどうしたいのかが分からない。
なのに外に出るべきだという使命感がある。
その矛盾が分からぬまま扉を調べ続け、一つおかしなものを見つけた。
扉を塞ぐ蔓に、一つ、大きな蕾が生えている。その中に何かが入っているように見える。
無理やり取り出そうとしても、硬くて開きそうにない。しかしダイヤルのように数字が載っていることがわかった。
4桁の数字が入れられる仕組みになっており、まるで脱出ゲームのギミックのようだ。
しかし、今はそれ以外分からない。ともかく扉以外の部分を調べなければ埒があかないらしい。
(……落ち着こう。大丈夫。ヒントは必ず部屋の中にある。数字を探して、外に出ないと。)
とはいえ、あるのは棚と箪笥、そして鏡のみ。大したものはない。
棚と箪笥は部屋にあったものとほぼ同じようだが、中身は空っぽだった。外観を似せているだけで、やはり全く違う部屋だと考えた方がいいだろう。
「……持ち物、確認しておこうかな」
言い訳をするように呟いた後、肩にかけた鞄に手を入れ持ち物を確認する。眠った時と全く同じ。ノートと、銀時計と、壊れかけのスマホがあるだけだ。寝る前と同じく、充電が切れていた。
……物が極端に少ないが故に意図的に避けていた鏡以外はすぐに調べ終わってしまった。
(……鏡、調べないとダメ、かなぁ)
脳裏に過ぎるのはあの妙な現象だ。鏡が割れた後、何か不可思議な存在が見えたような、そうでないような。
“みたま様”だなんて鏡の怪談話を知ってしまったからか妙に恐れてしまっている自分がいる。
そんなことを考えながら件の鏡の名前まで近付いた。
(いやだけど、外に出る手掛かりがあるかもしれないし……)
先ほどの一件で、妙に鏡に対して忌避感を覚えるようになってしまった。いやいや鏡に触ってみる。
それは一見、何の変哲もない鏡だった。自室にあったものと同じく、木製の縁は古びて埃っぽい。壁に掛けてあるだけのはずなのに、何故か取り外すことが出来ない。
何もないことにがっかりしたような、ホッとしたような。そんな気持ちを抱えて鏡面を改めてよくみた時だった。
「えっ……」
鏡の中に、知らない子供が映っていた。
思わず鏡面に触れて、意識がその映像へと吸い込まれていった。
***
『んー……わからん。学校行きたかったなぁ……』
紺のジャージを着た子供が、一人きりの部屋でぶつぶつと宿題をしている。見たところ、この部屋と全く同じレイアウトのようだった。
誰かに話しかけているようにも見える。うつ伏せになって床に散らばったプリントに何やら書き込んでいる。倒れて中身がぶちまけられた筆箱を気に留めず、妙に上機嫌だ。
『授業受けてないんだよここ……僕に優しくない』
それでも手元の鉛筆を弄び、続きを進めようとしたが、やがて諦めたかのように投げ出して、大の字に寝転がった。
その顔は自分にそっくりだった。
背格好はおそらく小学校低学年程度。髪は白と黒が入り混じり、自分の同じセミの羽のようなピアスを両耳にしていて、何より口元の引き結び方があまりにも似ている。これで他人の空似と片付けるのは無理がある。
『別にいっかあ。勉強なんかできなくったって死ぬわけじゃないし。な?』
誰かに話しかけているかのような素振りは続く、もしかして部屋の中に誰か居るのだろうか。
『ごめんごめん冗談冗談!今日も勉強教えて、神様みたま様〇〇様~』
その声に呼応するように影から目が這い出して、ずるりと鏡に実体が宿る。思わず声が出そうになった。
実体のない翼が、子供の体を包み込む。
『あなたは何でも知ってるし、僕に何でも教えてくれる……本当にありがとう。』
真っ黒で、蠢いていて、明らかに大きくて、異形の姿をした何かが鏡に潜んでいる。翼のように見える不定形な塊からギョロリとした目が這い出てい、こちらをギロリと睨んだような気がした。
そのまま二人は黙々と勉強をしているようだった。神とやらの声は聞こえないが、少なくとも目の前の子供に危害を加える様子はない。
『やった!花丸!』
丸つけまで終わったらしく、子供は嬉しそうに笑った。プリントには乱雑な花丸が付けられていた。
そこで一旦、勉強はお開きになったのか、子供とみたま様は穏やかに会話をしていた。
『……⬛︎⬛︎⬛︎、諢帙@縺ヲ繧』
詳細はわからず声質はぼやけてしまっている。
それでもやり取りを注視していると、どんな話の流れになったのか、子供の手にスマホが握られていた。
それを見せびらかすように鏡の前にかざすと、意気揚々と話し始めた。
『便利だよこれ、チャットでやり取りもできるし。世界が広がった感じがする。お母さんや大人達が禁止した理由がわかるよ』
影が不満げに色を濃くしたのが分かる、しまった、と子供は弁明するように言葉を重ねる
『……でも、神様と違ってスマホとはお話出来ないから、あなたの方が、僕は好き』
『…………』
『機嫌損ねないでよ。じゃあ、とっておきを教えてあげる』
『ほら。スマホのパスワード、あなたの誕生日にしたんだ』
『危ないって……自分のじゃなくて神様のだし、問題なくない?』
『……じゃあ、スマホだけじゃなくて、大切なものには、あなたの誕生日でロックを掛けてあげる』
『んふふ、気に入った?よかった……』
***
■■ふと我に返った。
そして、気付けば先ほどの部屋の中にいて、僕はただぼんやり突っ立っていた。
鏡も元の変哲のないものに戻っていて、先程見せた幻覚なんて初めからなかったかのように白々しく僕を映している。
(こんなの、知らない……)
頬に汗が滲んで、お団子が少し崩れていた。息が荒くなり、ようやく動揺という感情が心に追いついてきた。
(……情報を整理しよう、大丈夫。外に出よう。)
まず、この世界の前に聞いた幻聴を思い返す。水の中に落ちたような感覚と共に、走馬灯のように流れた記憶だ。
『名前、つけてあげる。いつまでも神様じゃ味気ないものね』
『違うよ、あなたはもうみたま様じゃない。みんなはそう思ってるみたいだけど、そうじゃない……今はそう思ってても、いいけど。』
『んー、決めた。今日からあなたは————』
(————ここで僕は意識を取り戻した。)
幼い子供と誰かとの会話がまず頭の中に流れてきた。姿などは分からない為想像になるが、子供とみたま様という神様の会話のように思える。
そして次に考えるべきは鏡で見た映像だ。
ジャージを着た白黒の髪の子供が、影に潜んでいた怪物のようなものを“みたま様”“神様”と呼んで慕っていた。なんなら、勉強を教わっていた。
手に持っていたスマホにピアスを鑑みるに、アレは僕自身であると考えるのが自然だろう。全く同じものだと断言できる。もちろん今映ってた物が真実とは限らないが。
「昔の僕、みたま様に取り憑かれたのかな。
色んなお願い事をして、だから記憶を失った、とか?」
先程まではただの作り話だと思っていたみたま様の存在が一気に現実味を帯びてきた。そして嫌な想像をしてしまう。
「みたま様に取り憑かれた子供は、願いを再現なく叶えていくうちに、代償として記憶を取られる。
……全ての記憶を失ったら、この世界から消えてしまう。
もしかして、僕……」
ブルリと背筋が凍るような感覚。いや、大半の記憶はないが、ちゃんと名前は覚えている、コーヒーの淹れ方も分かる、なんなら今僕は過去のようなものを思い出した、だから大丈夫、そう言い聞かせて、一旦嫌な想像はやめた。
記憶の手がかりになりそうなものを見られたのは僥倖だが、現行の打開にはならない。いつまでもこの部屋にいるわけにもいかないし、早く4桁のパスワードを見つけなければ。
「大切なものは“神様の誕生日でロックを掛ける”……それで、スマホ……」
そこまで考えて、僕は不意に閃いた。
鞄からスマホを取り出す。相変わらずボロボロで指紋でベッタリ汚れている。
恐らく子供の頃の僕が中古ショップで買ったからボロボロの型落ちだったわけだ。角度を変えて光にかざしてみれば目論見通り、特定の位置が特に汚れているように見受けられた。
(やっぱり……右側と下側が特に濃く汚れている)
ちょうど、9と0のボタンがあるところだ。“四桁”かつ“誕生日”の組み合わせのパスワードは一つしかない。
(九月九日──みたま様の誕生日を大切なもののパスワードにする。
って過去の僕は言っていた)
この部屋で手に入る情報で、4桁の数字を示すヒントはこれしかない。
……こじつけのような気もするが、あの鏡が今この記憶を僕に見せた意図を考えるのであればそうおかしなことでもないはずだ。
急いで扉に向かい、静かに手を添えて蕾のダイヤルを捻る。
すると、蕾は緩やかに開き、花が咲いた。綺麗な青い花だった。しかし、扉が開く様子はない。
足元に、ひらりと一枚のメモ書きが落ちる。
そこには手書きの文字の問いかけが書かれていた。随分乱雑で、角ばっている。子供の字には見えない。
(■■……?)
文字は塗りつぶされているのではない。
僕は何故かその文字を認識できない。
(なぜ、なんで?だって、僕……)
曇りだす思考の中、メモの中の■■だけが場違いにそこにある。
(僕の脳裏に囁く者。僕に“認識”を与えた者。僕の側に居た……)
その瞬間、僕は思い出すことのできない■■というの“名前”の存在を認識した。
潮にコーヒーを入れた時も、記憶を掘り起こした時も、■■は自分に語りかけていた。
頭を割るような頭痛が走る。再び僕の思考を■■から引き離そうとする。がり、と内頬を噛んで、その衝撃に耐えた。
「やっと、認識できた……僕は■■を、忘れてる。」
それが子供なのか、大人なのか、性別、人なのかすら分からない。
だけどそれは、僕にとってとても大事な存在だったはずだ。相変わらず記憶はないが、そう“認識”している。
「……真実を導くために捧げるもの、ね。子供だましの謎解きだ。
誰だか知らないけど、僕にこんなことを試すなんて、何のつもり?」
訳のわからない状況に放り出されて(ただでさえ記憶喪失でてんやわんやだというのに!)苛立って妙な悪態をつく。
勿論、誰からも返事はない。
“この文章からそれが何か理解したのなら”と書かれている、なら答えはこのメモ書きの中にある。
そして不自然に頭文字が揃えられた文章。とても簡単な謎解きだった。
僕はその言葉を誦じる。
「“証拠”」
推理小説やドラマでも、そして現実でも、真実を導くものは”証拠”だ。
僕はしきりに外に出たいと思っていた。その理由はきっとこれだ。
「僕は記憶を取り戻すために、⬛︎⬛︎の正体を暴くために、真実を見つけるために、’’証拠’’を探したい」
その声は届いたのだろうか。がちゃん、と音が鳴って、扉の開く音がした。
(外に出て、証拠を探さなきゃ。僕の記憶、僕の過去……⬛︎⬛︎、それで。)
頭の中でよく分からない考えが渦巻いている。
僕自身のことがよく分からないまま、暗い“外の世界”に踏み出した。
その先に僕の記憶の手がかりがあるという”認識”だけを胸に抱えて。
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