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薄花色
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照りつける太陽は高く、町は凪、滴る汗がその過酷さを物語る。
日本は夏、大学生である僕も夏休みに入りそこそこ忙しい日々を送っている。レポートに追われる毎日だけれど、意外にも苦にはならなかった。
と言うのも、少し前に出会った千波さんが同じ大学である事をを知り、一緒にレポートを進めるようになったからだ。
今日も大学の図書館にて二人で調べものをし、丁度帰っている真っ最中だ。彼女は、
「家の用事があるので先に帰ります」
と言って、大学で別れた。まあ、最寄り駅は同じだからさっきまで一緒に居たんだけれど。
しかし暑い。何か別の事を考えていなければ、火照って倒れそうだ。僕は足早にいつもの店へ向かう事にした。
外から見た夕日坂古物店は、今日も閑古鳥が絶賛合唱中であった。と言うより、山根さんや千波さん以外のお客さんには会ったことがない。まあ、時間がバラバラだし仕方ないか。
見ていても仕方ないので戸を開き、店内に入る。冷房が程よく効いていて、かいた汗が引いていくのを感じる。
「いらっしゃい、朝川くん」
本日の夕日坂さん。ノースリーブの白いトップスを着ていて、まるで暑さとは無縁といった感じだ。と言うより、少し刺激が強い気もする。そんな彼女は例の如く本を……読んでいなかった。
「こんにちは、夕日坂さん。今日は本を読んでないんですね」
僕が言うと夕日坂さんはこちらを見たまま答える。
「ええ、少しやる事があったから。今ちょうど終わった所よ」
そう言って夕日坂さんはある物をカウンターの上に出した。
着物だ、薄い青のような色をして何やら模様が入っている。状態はかなり良さそうだけれど、何をしていたのだろう。
「着物ですか。きれいな色ですね」
「そうね。これは薄花色って言うのよ。少し珍しいわね。雪輪模様も入ってるし、かなり使い込まれているわ」
傍から見るとそうは見えないけれど、彼女が言うなら間違いないのだろう。
夕日坂さんは優しくその生地を撫で、目を閉じる。思い出を見ているのだろう。
そんな様子を横目に僕はカウンターへと腰をかける。しばらく待っていると彼女はゆっくりと目を開き、僕の方へ顔を向けた。
「見えましたか? その着物の物語は」
「ええ。ただ、まだ朝川君には刺激が強いかもしれないわ。それでも聞く?」
夕日坂さんがそんな事を言うのは初めてだ。どんな話なのだろう。気になるが、一抹の不安が僕の心にあるのを感じる。
少し悩んだ後、僕は聞くことにした。
「聞かせてください」
「もちろん」
彼女は僕がそういう事を知っていたかのように穏やかな表情で返す。そして、口を開いた。
時は江戸、ある遊郭に一人の遊女が居た。
彼女はその一帯で右に出るものは居ない程の人気者、男衆から武士まで皆彼女の虜であった。
遊女は口が上手く、酒と肴、少々の戯れで男を満足させていた。
そんな彼女は誰に対しても人当たりが良く、また純潔であった為、怨恨や嫉妬の類すらも無かった。
多くの人々から支持を集めた彼女が維新を平穏に過ごした事は言わずとも分かるであろう。
その後、彼女は遊女から足を洗い、日本という国の歴史を重んじ、旅館を建て、旅人達の疲れを癒やす身となった。
ある日、遊女時代の彼女を知る一人の男が旅館を訪れた。女将として働くその見て彼は遊女の時には見られなかった彼女の姿に、彼は心を射たれた。
彼曰く、「彼女はこの激動の時代に咲く一輪の花だ」と。貿易商であった彼は、頻繁に彼女の宿を利用し、叶うかも分からない想いを馳せていた。
彼が宿を利用し始めてから数ヶ月が経った日、その日は梅雨で雨が降っていた。
彼はある物をカバンから出し、女将に渡した。
「これは……?」
「地方に仕事に行ったときに見つけたのだ。是非、貴方に使っていただきたい」
それ以上彼は言わなかった。いつも通り一番いい部屋を取り、そこへと入っていく。
彼女は自室にて渡されたそれを開く、中には着物が1枚とそれらの備品がセットで入っていた。薄花色で雪輪模様の美しい品物であった。
「あの方ったら……」
彼女は涙を流す、一粒涙が雪輪に落ちた。まるで紫陽花を濡らす梅雨の雨のように。
そこで夕日坂さんの話は終わった。その後のことは分からないけど、この着物がここにあると言う事が、ただ1つの事実を表している。
「彼女はこれを着て、きっと人生を全うしたんですね。そして、それを引き継いだ誰かがここに持ち込んだ」
「そうね、きっとそう。そしてこの子はその姿が変わらないまま、彼女の生き方を認めたのかも知れないわ」
彼女はそう言って着物の表面を撫でる。気の遠くなるような暑い日、建築の進むマンションも、いつの日か見慣れる日が来るのだろう。
でも、人の気持ちはそう簡単に変わらないし、想いも簡単に変わるものじゃない。
それを伝える方法は山ほどあるのに。
Fin.
日本は夏、大学生である僕も夏休みに入りそこそこ忙しい日々を送っている。レポートに追われる毎日だけれど、意外にも苦にはならなかった。
と言うのも、少し前に出会った千波さんが同じ大学である事をを知り、一緒にレポートを進めるようになったからだ。
今日も大学の図書館にて二人で調べものをし、丁度帰っている真っ最中だ。彼女は、
「家の用事があるので先に帰ります」
と言って、大学で別れた。まあ、最寄り駅は同じだからさっきまで一緒に居たんだけれど。
しかし暑い。何か別の事を考えていなければ、火照って倒れそうだ。僕は足早にいつもの店へ向かう事にした。
外から見た夕日坂古物店は、今日も閑古鳥が絶賛合唱中であった。と言うより、山根さんや千波さん以外のお客さんには会ったことがない。まあ、時間がバラバラだし仕方ないか。
見ていても仕方ないので戸を開き、店内に入る。冷房が程よく効いていて、かいた汗が引いていくのを感じる。
「いらっしゃい、朝川くん」
本日の夕日坂さん。ノースリーブの白いトップスを着ていて、まるで暑さとは無縁といった感じだ。と言うより、少し刺激が強い気もする。そんな彼女は例の如く本を……読んでいなかった。
「こんにちは、夕日坂さん。今日は本を読んでないんですね」
僕が言うと夕日坂さんはこちらを見たまま答える。
「ええ、少しやる事があったから。今ちょうど終わった所よ」
そう言って夕日坂さんはある物をカウンターの上に出した。
着物だ、薄い青のような色をして何やら模様が入っている。状態はかなり良さそうだけれど、何をしていたのだろう。
「着物ですか。きれいな色ですね」
「そうね。これは薄花色って言うのよ。少し珍しいわね。雪輪模様も入ってるし、かなり使い込まれているわ」
傍から見るとそうは見えないけれど、彼女が言うなら間違いないのだろう。
夕日坂さんは優しくその生地を撫で、目を閉じる。思い出を見ているのだろう。
そんな様子を横目に僕はカウンターへと腰をかける。しばらく待っていると彼女はゆっくりと目を開き、僕の方へ顔を向けた。
「見えましたか? その着物の物語は」
「ええ。ただ、まだ朝川君には刺激が強いかもしれないわ。それでも聞く?」
夕日坂さんがそんな事を言うのは初めてだ。どんな話なのだろう。気になるが、一抹の不安が僕の心にあるのを感じる。
少し悩んだ後、僕は聞くことにした。
「聞かせてください」
「もちろん」
彼女は僕がそういう事を知っていたかのように穏やかな表情で返す。そして、口を開いた。
時は江戸、ある遊郭に一人の遊女が居た。
彼女はその一帯で右に出るものは居ない程の人気者、男衆から武士まで皆彼女の虜であった。
遊女は口が上手く、酒と肴、少々の戯れで男を満足させていた。
そんな彼女は誰に対しても人当たりが良く、また純潔であった為、怨恨や嫉妬の類すらも無かった。
多くの人々から支持を集めた彼女が維新を平穏に過ごした事は言わずとも分かるであろう。
その後、彼女は遊女から足を洗い、日本という国の歴史を重んじ、旅館を建て、旅人達の疲れを癒やす身となった。
ある日、遊女時代の彼女を知る一人の男が旅館を訪れた。女将として働くその見て彼は遊女の時には見られなかった彼女の姿に、彼は心を射たれた。
彼曰く、「彼女はこの激動の時代に咲く一輪の花だ」と。貿易商であった彼は、頻繁に彼女の宿を利用し、叶うかも分からない想いを馳せていた。
彼が宿を利用し始めてから数ヶ月が経った日、その日は梅雨で雨が降っていた。
彼はある物をカバンから出し、女将に渡した。
「これは……?」
「地方に仕事に行ったときに見つけたのだ。是非、貴方に使っていただきたい」
それ以上彼は言わなかった。いつも通り一番いい部屋を取り、そこへと入っていく。
彼女は自室にて渡されたそれを開く、中には着物が1枚とそれらの備品がセットで入っていた。薄花色で雪輪模様の美しい品物であった。
「あの方ったら……」
彼女は涙を流す、一粒涙が雪輪に落ちた。まるで紫陽花を濡らす梅雨の雨のように。
そこで夕日坂さんの話は終わった。その後のことは分からないけど、この着物がここにあると言う事が、ただ1つの事実を表している。
「彼女はこれを着て、きっと人生を全うしたんですね。そして、それを引き継いだ誰かがここに持ち込んだ」
「そうね、きっとそう。そしてこの子はその姿が変わらないまま、彼女の生き方を認めたのかも知れないわ」
彼女はそう言って着物の表面を撫でる。気の遠くなるような暑い日、建築の進むマンションも、いつの日か見慣れる日が来るのだろう。
でも、人の気持ちはそう簡単に変わらないし、想いも簡単に変わるものじゃない。
それを伝える方法は山ほどあるのに。
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