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照らすは人か幻か
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夏がくる。梅雨の明けた空は蒼く、少し湿度の高い風が生命に力を与える。
大学はこれから夏期休暇にはいる。卒業までのカウントダウンが本格的に始まったような気がして、あまり気乗りしない。
日は高く昇りジリジリと僕の身を焦がす。額から流れる汗を拭きながら、足早に歩く。
夏の商店街は熱が籠もりやすいのか、やたらと暑い。店の店主達は腰を掛け、団扇をあおいだり、扇風機の前で涼んでいる。
そんな風景を横目に商店街を抜け、夕日坂さんの元へ。
戸を開けて中に入ると、珍しく先客がいた。
「どうしても、引き取ってもらえないんですか?」
女の人の声、それもまだ若い。どうやら夕日坂古物店に物を持ってきたらしい。
「ええ。それはまだ引き取れないわ。古物と言うには新しすぎるもの」
そんな会話を聞きながら店の奥へと歩みをすすめる。
そこには少し茶色に染めた髪を肩くらいまで伸ばした女の子がいた。
夕日坂さんは相変わらずカウンター越しにいて、凛としている。
「あのー、取り込み中ですか?」
「あら、朝川くん。いらっしゃい」
「あ、お客さんですか……」
僕が言うと二人の女性は別々に答える。
「いや、僕は客と言うかうーん……まあ、古物を売ったり買ったりはしないので」
そう言っていつもの席に座る。若い女の子は不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいるけれど、特に何かを言いたい訳ではなさそうだ。
「まあ、それなら良かったです。でも、店長さん。この裁縫道具は私がお母さんから貰ったものなんです。でも、もう新しいミシンもあるし自分のお金で新しい物も買ったので、引き取ってほしいんです」
彼女はそう言って、手元にある木の皮で編まれた古そうな裁縫箱を夕日坂さんに押し付ける。
彼女はそれを見て、女の子に言う。
「だからこそよ。その裁縫箱は貴女のお母さんが持ってくるべきもの。必要が無いならお母様に返すか、普通のリサイクルショップに持っていくといいわ」
ふむ、少し珍しい状況のようだ。夕日坂さんはいつもの調子で「分かったわ」と受け取る訳ではなく、相手を諭すような口調だ。
女の子の方も何故かこの店にこだわるかの様な雰囲気こそ出しているが、リサイクルショップ等に持っていくという訳ではなさそうだ。
「もう、最初からずっとそればっかり……」
「多分、まだ古物と言えないんだと思うよ」
不意に口から出たその言葉に、彼女は少しムッとした表情でこちらを見る。おっと、お節介だったかな。
そんな彼女を止めたのは夕日坂さんだった。
「朝川くんの言うとおり。まだこの子はうちに置ける程月日を経てないの。千波さんには悪いけれど、やっぱり受け取れない」
どうやら若い子の名前は千波と言うらしい。
「仕方ないですね……多人数に言われたら仕方ないですね」
意外と物分りがいい雰囲気を出しているが、夕日坂さんの様子を見る限り、そこそこの時間ここで会話を交わしていたのだろう。
僕は更にお節介かもしれないと思いながら、千波さんに問う。
「良かったらさ、千波さん……だっけ? 君が知ってるその裁縫箱の話。聞かせてくれない?」
そう言うと彼女は目を丸くする。元々大きい瞳の持ち主だけれど、より一層大きく見えたんだ。
「うーん、実はそんなに知らないんですけど、いいですか?」
「うん、是非。そうだ、自己紹介がまだだったね。僕は朝川っていいます」
僕が名乗ると彼女も一度服を整え口を開く。
「ご丁寧にどうも。私は千波といいます。結構変わった苗字ですよね」
「そうかな、そこにいる夕日坂さんの方が珍しい苗字だと思うんだけど……」
そう言うと彼女は目にも止まらぬ早さで夕日坂さんを見る。そうか、夕日坂さんは基本的に名乗ることってないんだ。
「ふふ、そうね。私の苗字の方が珍しいと思うわ。みんな一度は驚くもの」
そうですかと言って千波さんは乗り出した身体を引く。夕日坂さんは特に何もありませんと言った感じで紅茶をすする。
「それで、裁縫箱についてのお話ですよね。うまく話せるかは分かりませんが……」
そう前置きして彼女は自身の裁縫箱にまつわる話を始めた。
「元々、母はデザイナーをやっていました。当時から機械を使わずに針と糸で試作を続けていたんです。
でも、世の中ってそういう拘りに対して厳しいみたいで……。母も最終的にはミシンを使うようになりました。それでも、道具はまだ死んでないって私に言って、この子達をくれたんです。
私も趣味程度ですが服を作るようになりました。母から受け継いだ意思を大切にしたいって思ったんです。思ったんですが……」
そこで千波さんの口が止まった。うつむき、目元を押さえている。泣いているのだろうか。
「すみません……。ですが、私の作る服は何かの模造品。オリジナルではないんです。それが悔しくて、母の意思を受継げていない気がして。だから、この子とお別れすればなにか分かるんじゃないかと思ったんです」
そう言って千波さんは涙を堪えたまま夕日坂さんを見る。
視線を向けられた本人は目の前に置かれた裁縫箱をじっと見つめていて、それに応えない。
僕はある違和感を感じていた。物に宿る思い出をそれなりに聞いてきたからこそ感じるもの。夕日坂さんの話すそれらとは明らかに違っていた。
ストーリーはある。たくさんの思い出があるのも分かるし、千波さんがどんな思いで裁縫箱を持ってきたのかも。
ただ、それだけだった。それだけという所が違和感だった。
顎に手を当て思考を巡らせていると、夕日坂さんが声をかけてきた。
「朝川くんは何となく分かったんじゃないかしら。私がこの裁縫箱を受け取らない理由が」
……本当にお見通しなんですね。そう言いたい気持ちを抑え、僕は千波さんに問う。
「千波さん、その裁縫箱ってお母さんがいつ頃買った物なのか知ってるかな?」
それを聞くと、彼女は涙を拭い一度裁縫箱を見る。そして、口を開いた。
「分からないです。ただ、母が結婚する前から使っていたという事くらいしか……」
なるほど、つまりそういう事だ。
「そっか。じゃあ、千波さんはまだその裁縫箱の事を全然知らないって事だ。僕が言える立場じゃないけれど、これだけは分かる。きっと、お母さんは入れ物を一度変えてる。中の道具は同じかもしれないけれど、入れ物が変わっていたら、その裁縫道具という1つの形としては再スタートしてると思うんだ」
それを聞いた千波さんは怒るでもなく、ただ黙って裁縫箱を見る。
そして、上げた顔はどこか満足げで納得した様な印象を受けた。笑顔が素敵な女の子だとも思う。
「朝川さんの言うとおりですね。私はまだまだこの子達との思い出や、母から聞いてない事が沢山あるみたいです。気付かせてくれてありがとうございます!」
そう言って彼女は裁縫箱を手に取り、足取り軽やかに店を出ていった。
カランカランと出入り口のベルが鳴り響き、少しの静寂が僕たちを包む。
「僕……お節介でしたか?」
静寂を破ったのは僕だった。それを聞いた夕日坂さんは、ゆっくりと顔を上げ微笑んだ。
「そんな事無いと思うよ。朝川くんが言ったことは正しいもの。どう? このお店継がない?」
冗談混じりに言う夕日坂さんに、僕はいやいやと手を振りながら答える。
「いやいや……僕には荷が重いと言うか、これまでに夕日坂さんの話を聞いていたからこそ感じるものがあっただけですよ」
それを聞いて夕日坂さんは、
「そうかしら」
とだけ返す。僕は彼女にどう思われているのだろう。どうにも他人からのイメージは判りにくい。当たり前の事だけど。
いつの間にか出されていたコーヒーを飲み、時計を見る。時刻は17時、意外と時間が経っていてびっくりしてしまう。
「それじゃあ、今日は帰ります。コーヒーご馳走様でした」
そう言って財布から小銭を少々カウンターに置いて席を立った。
外は少し風が出てきて、まだ残る湿気を飛ばしたのか過ごしやすい気温になっていた。
季節が変わる。僕も何か変化しているのだろうか。
でも、千波さんのお母さんが変わらない何かを持っていたのと同じ様に、自分の中で1つだけでもそういう物を持っていたいと感じる。
そんな、6月の終わり。夕日と夜の境界線はまだ薄く、縫いかけの様な空が広がっていた。
Fin.
大学はこれから夏期休暇にはいる。卒業までのカウントダウンが本格的に始まったような気がして、あまり気乗りしない。
日は高く昇りジリジリと僕の身を焦がす。額から流れる汗を拭きながら、足早に歩く。
夏の商店街は熱が籠もりやすいのか、やたらと暑い。店の店主達は腰を掛け、団扇をあおいだり、扇風機の前で涼んでいる。
そんな風景を横目に商店街を抜け、夕日坂さんの元へ。
戸を開けて中に入ると、珍しく先客がいた。
「どうしても、引き取ってもらえないんですか?」
女の人の声、それもまだ若い。どうやら夕日坂古物店に物を持ってきたらしい。
「ええ。それはまだ引き取れないわ。古物と言うには新しすぎるもの」
そんな会話を聞きながら店の奥へと歩みをすすめる。
そこには少し茶色に染めた髪を肩くらいまで伸ばした女の子がいた。
夕日坂さんは相変わらずカウンター越しにいて、凛としている。
「あのー、取り込み中ですか?」
「あら、朝川くん。いらっしゃい」
「あ、お客さんですか……」
僕が言うと二人の女性は別々に答える。
「いや、僕は客と言うかうーん……まあ、古物を売ったり買ったりはしないので」
そう言っていつもの席に座る。若い女の子は不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいるけれど、特に何かを言いたい訳ではなさそうだ。
「まあ、それなら良かったです。でも、店長さん。この裁縫道具は私がお母さんから貰ったものなんです。でも、もう新しいミシンもあるし自分のお金で新しい物も買ったので、引き取ってほしいんです」
彼女はそう言って、手元にある木の皮で編まれた古そうな裁縫箱を夕日坂さんに押し付ける。
彼女はそれを見て、女の子に言う。
「だからこそよ。その裁縫箱は貴女のお母さんが持ってくるべきもの。必要が無いならお母様に返すか、普通のリサイクルショップに持っていくといいわ」
ふむ、少し珍しい状況のようだ。夕日坂さんはいつもの調子で「分かったわ」と受け取る訳ではなく、相手を諭すような口調だ。
女の子の方も何故かこの店にこだわるかの様な雰囲気こそ出しているが、リサイクルショップ等に持っていくという訳ではなさそうだ。
「もう、最初からずっとそればっかり……」
「多分、まだ古物と言えないんだと思うよ」
不意に口から出たその言葉に、彼女は少しムッとした表情でこちらを見る。おっと、お節介だったかな。
そんな彼女を止めたのは夕日坂さんだった。
「朝川くんの言うとおり。まだこの子はうちに置ける程月日を経てないの。千波さんには悪いけれど、やっぱり受け取れない」
どうやら若い子の名前は千波と言うらしい。
「仕方ないですね……多人数に言われたら仕方ないですね」
意外と物分りがいい雰囲気を出しているが、夕日坂さんの様子を見る限り、そこそこの時間ここで会話を交わしていたのだろう。
僕は更にお節介かもしれないと思いながら、千波さんに問う。
「良かったらさ、千波さん……だっけ? 君が知ってるその裁縫箱の話。聞かせてくれない?」
そう言うと彼女は目を丸くする。元々大きい瞳の持ち主だけれど、より一層大きく見えたんだ。
「うーん、実はそんなに知らないんですけど、いいですか?」
「うん、是非。そうだ、自己紹介がまだだったね。僕は朝川っていいます」
僕が名乗ると彼女も一度服を整え口を開く。
「ご丁寧にどうも。私は千波といいます。結構変わった苗字ですよね」
「そうかな、そこにいる夕日坂さんの方が珍しい苗字だと思うんだけど……」
そう言うと彼女は目にも止まらぬ早さで夕日坂さんを見る。そうか、夕日坂さんは基本的に名乗ることってないんだ。
「ふふ、そうね。私の苗字の方が珍しいと思うわ。みんな一度は驚くもの」
そうですかと言って千波さんは乗り出した身体を引く。夕日坂さんは特に何もありませんと言った感じで紅茶をすする。
「それで、裁縫箱についてのお話ですよね。うまく話せるかは分かりませんが……」
そう前置きして彼女は自身の裁縫箱にまつわる話を始めた。
「元々、母はデザイナーをやっていました。当時から機械を使わずに針と糸で試作を続けていたんです。
でも、世の中ってそういう拘りに対して厳しいみたいで……。母も最終的にはミシンを使うようになりました。それでも、道具はまだ死んでないって私に言って、この子達をくれたんです。
私も趣味程度ですが服を作るようになりました。母から受け継いだ意思を大切にしたいって思ったんです。思ったんですが……」
そこで千波さんの口が止まった。うつむき、目元を押さえている。泣いているのだろうか。
「すみません……。ですが、私の作る服は何かの模造品。オリジナルではないんです。それが悔しくて、母の意思を受継げていない気がして。だから、この子とお別れすればなにか分かるんじゃないかと思ったんです」
そう言って千波さんは涙を堪えたまま夕日坂さんを見る。
視線を向けられた本人は目の前に置かれた裁縫箱をじっと見つめていて、それに応えない。
僕はある違和感を感じていた。物に宿る思い出をそれなりに聞いてきたからこそ感じるもの。夕日坂さんの話すそれらとは明らかに違っていた。
ストーリーはある。たくさんの思い出があるのも分かるし、千波さんがどんな思いで裁縫箱を持ってきたのかも。
ただ、それだけだった。それだけという所が違和感だった。
顎に手を当て思考を巡らせていると、夕日坂さんが声をかけてきた。
「朝川くんは何となく分かったんじゃないかしら。私がこの裁縫箱を受け取らない理由が」
……本当にお見通しなんですね。そう言いたい気持ちを抑え、僕は千波さんに問う。
「千波さん、その裁縫箱ってお母さんがいつ頃買った物なのか知ってるかな?」
それを聞くと、彼女は涙を拭い一度裁縫箱を見る。そして、口を開いた。
「分からないです。ただ、母が結婚する前から使っていたという事くらいしか……」
なるほど、つまりそういう事だ。
「そっか。じゃあ、千波さんはまだその裁縫箱の事を全然知らないって事だ。僕が言える立場じゃないけれど、これだけは分かる。きっと、お母さんは入れ物を一度変えてる。中の道具は同じかもしれないけれど、入れ物が変わっていたら、その裁縫道具という1つの形としては再スタートしてると思うんだ」
それを聞いた千波さんは怒るでもなく、ただ黙って裁縫箱を見る。
そして、上げた顔はどこか満足げで納得した様な印象を受けた。笑顔が素敵な女の子だとも思う。
「朝川さんの言うとおりですね。私はまだまだこの子達との思い出や、母から聞いてない事が沢山あるみたいです。気付かせてくれてありがとうございます!」
そう言って彼女は裁縫箱を手に取り、足取り軽やかに店を出ていった。
カランカランと出入り口のベルが鳴り響き、少しの静寂が僕たちを包む。
「僕……お節介でしたか?」
静寂を破ったのは僕だった。それを聞いた夕日坂さんは、ゆっくりと顔を上げ微笑んだ。
「そんな事無いと思うよ。朝川くんが言ったことは正しいもの。どう? このお店継がない?」
冗談混じりに言う夕日坂さんに、僕はいやいやと手を振りながら答える。
「いやいや……僕には荷が重いと言うか、これまでに夕日坂さんの話を聞いていたからこそ感じるものがあっただけですよ」
それを聞いて夕日坂さんは、
「そうかしら」
とだけ返す。僕は彼女にどう思われているのだろう。どうにも他人からのイメージは判りにくい。当たり前の事だけど。
いつの間にか出されていたコーヒーを飲み、時計を見る。時刻は17時、意外と時間が経っていてびっくりしてしまう。
「それじゃあ、今日は帰ります。コーヒーご馳走様でした」
そう言って財布から小銭を少々カウンターに置いて席を立った。
外は少し風が出てきて、まだ残る湿気を飛ばしたのか過ごしやすい気温になっていた。
季節が変わる。僕も何か変化しているのだろうか。
でも、千波さんのお母さんが変わらない何かを持っていたのと同じ様に、自分の中で1つだけでもそういう物を持っていたいと感じる。
そんな、6月の終わり。夕日と夜の境界線はまだ薄く、縫いかけの様な空が広がっていた。
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