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勇敢な灰ゴブリンは邪悪な侵入者に立ち向かうようです 2
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灰ゴブリンには性差が確認されている。我々人間には外観からは区別が出来ないが、身体能力に秀でるものや、特別な力を操るもの、また異常に目や耳がいい個体も存在する。
ルイス・ヴェーバー著
[探索者の戦闘技術]より抜粋ーー
「あら?、あらあらどうしたの?」
彼の母親が腕に抱いている娘の顔を覗き込み話しかけた。いつもニコニコしている妹からその笑顔が消えていた事に母親である彼女が気付く。
妹が生まれてまだ彼女の感覚で3カ月しか経っていない。
泣かない子だった。
上の子達は今でこそ手がかからない程度には成長したものの、この末の妹の歳の時はそれはもう毎日、毎時間泣いていた記憶がある。
それに比べて家族にとって初めての娘は、一切泣かなかった。常にその、彼らの感覚で言えば愛らしいまん丸な目をまるで眩しいものを見ているかのように細めていつも笑っていた。
家族の中で一番表情が変わらない彼女の夫もこの娘の前では心なしか頰を緩めていた。それは彼女にしかわからない些細なものだった。
その娘が泣いている。
目を閉じ、口を紡いで。瞼の右端から一擲の涙を流していた。娘を抱いている腕に必要以上の力が入る。
これはよくないものだ。と彼女は感じた。それは彼女の経験を積んだ灰ゴブリンの精霊士としての側面と、族長の妻としての側面、何より母親としての何かが彼女に囁く。
よくない事が起きていると。
彼女にはまるで娘が何かに怯えているように見えた。
幼く鋭く、そして賢い娘はそれに怯えつつ、それに見つからないように静かに涙を流しているのではないかとは思わずにはいられなかった。
ふと視線を感じる。それは他の彼女の愛する息子達の視線だった。
末の弟は目をぱち…ぱち、とゆっくり瞬きをしながらこちらを見つめている。様子を見守るように瞬きを続ける。
彼女には心なしか末の息子の顔色が悪いように見えた。
自分によく似ている。と彼女は思った。そんな自分似の末の息子に対して、ゆっくりと笑顔を作り笑ってみせる。
末の息子もそれにつられて少しだけ表情を緩めた。
それとは対照的に一切の瞬きをせずにこちらをじっと見つめている視線は兄のものだった。彼女は一瞬、夫に見つめられているのかと本気で思った。
睨みつけられているのではないかと間違える程強い視線。
夫から渡された深緑の首飾りをつけた長男は、まるで若い頃の夫がそのままそこにいるようだった。
あと数年もすれば夫の生き写しのようになるのではないかと思う。
それほどに夫似の息子だった。その息子が彼女達に近づく。ゆっくりと伸ばした手は腕に抱いた妹に向かい静かに流れるその涙を人差し指で掬いあげる。
夫以外の誰よりも大きな掌を広げて、彼女の腕の中に抱かれている娘の頭をゆっくりと、撫でた。
「恐れるな。」
撫でる手よりもゆっくりと、短く息子が語りかける。
彼女の口が小さく開いた。
妹は瞼を開き、息子の金色の目を見つめると、眩しそうに目を細めた。そしてまた瞼をとじる。今度は涙を流さずに代わりに一定のリズムで寝息が流れ始めた。
いつのまにか彼女の腕から不必要な力は抜けていた。ゆりかごのように柔らかく包まれた末の娘の寝息が地下の礼拝所に静かに染み渡っていく。
末の息子はその様子を見ていた。
そして思う。自分の兄こそが次の族長にふさわしいと。兄や父の事を思うと臆病な自分にも何故か力が湧いてくる。
2人の助けに、力になりたい。
その感情にどのような名前がついているのかは末の息子は知らなかった。自分にできることはないのだろうか。
ふと、部屋の中央に位置する石碑が視界に入る。
緑色の淡い光に照らされた、一族の宝。偉大なる精霊の依り代。彼らの力の源。末の息子はふとそれに向かい石碑の正面に片膝をつき、祈る。
不思議なことにその姿は人間と同様に掌を胸の前で組んだものだった。精霊への正しい語りかけ方はまだ習っていない。
このやり方が正しいかもわからない。だが彼が心から行う祈りの所作はこれだった。
家族全員が弟を見つめていた。
地下室を照らす緑色の光が強い。気づけば石碑の周りに緑色の光が渦巻くように不自然な照らされ方をしていた。
石碑に文字が刻まれる。彼らにしかわからない、彼らの言語で。
その言語は彼らの精霊からのメッセージだ。今まで、一族に大きな変化がある時は必ず一族全員でここへ集まり、精霊からの啓示を待った。
族長である父親を含む戦士は数日前に、彼らのみでここへ集まり啓示を受けた。戦いの時が近い、そのような内容だと父は家族に話してくれた。
そして、今また石碑が啓示をその身に受ける。ツルツルだった石碑に無数のひびが入り、一部が塞がり、やがて文字となった。
彼らがその石碑の文字に注目するとー
殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった。殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった。
「ヒッ……!」
一番近くで石碑を見つめていた弟が何かに押し倒されたようにその場から仰け反り尻餅をつく。すかさず彼は弟に肩を貸し、立たせて自分の背中の後ろへ誘導した。
母親と妹は少し離れた位置にいるが、石碑の文字は見えたのだろう。緑色に照らされた母の唇はワナワナと震えていた。
彼は肩にかけられた弟の手が震えていることにも気付く。
「どうした?!、一体なにをしたのだ、クルメク!これはなんだ!」
彼は自分でもここまで大きな声を出すつもりはなかった。
広い地下に声が響く。
弟は彼の背後で身を縮こませながら
「し、知らない!何もしてない!何もしてないよ、でも、でも、お、怒ってる、精霊様が怒ってるんだよ、兄様!聞こえないの?!」
彼の怒声に負けじと、弟が声を張り上げた。こんな弟の剣幕は聞いた事がない。
「声?、なんのことだ!?、何が聞こえているのだ?」
「そこ!、石碑の上だよ!、こっちを睨んでる!、あ、あ、あ怖い、怖い怖い怖い怖い怖い」
半狂乱になった弟を彼がなだめようとした瞬間胸元に熱さを感じた。
父から渡されたヒスイのネックレスから濃い緑色に光り輝いている。
「レド!、そのネックレスを石碑にかざしなさい」
母親は妹を片腕で抱いたまま、弟に走り寄り大きく見開かれた目を掌で覆う。
「クルメク!、目を瞑りなさい。何も見てはダメ!」
母親が弟の目に掌を当てた途端弟は落ち着きその場に腰が抜けたように座り込む。
一旦は大丈夫みたいだ。
だが母親の険しい表情は溶けない。
先程までの柔らかい母ではなく、一族の歴史で最も優秀な精霊士としての顔になっていた。
彼は気づけなかった。
その表情は勇気で作られたものではないことに。
誰もが彼ほど勇敢ではないということに気付くことができなかった。
彼は首飾りを手荒く外して、言う通りに石碑に向けて掲げる。
石が砕けるような音がして物凄い速さで石碑に文字が刻まれ、生まれていく。
*殺すべきではなかった✳︎
*あの日、この場所で、あの人間を、お前たちは殺すべきではなかったのだ✳︎
*ヤツが来る✳︎
*違う世界からおまえたちの死がやって来る✳︎
彼の頭に声が響いた。
彼の許可を聞かず、耳を通さず、彼の頭の中だけで響くその声は酷く無遠慮で許しがたいほど不快な声だ。
*後悔してももう遅い*
*灰の第ニの一族、[腕のドセミロコ]は今日滅ぶ*
*我がヒスイを継いだ子よ*
*お前の母も、弟も、妹も、みな無残に殺される*
「世迷言を…!貴様は精霊だろう!、我らを守る為にあるのでないか!」
彼は石碑の上に佇む、佇んでいるような気がする存在に向けて言い放つ。後ろの方で母が息を飲むような気配を感じた。
その言葉を無視して、石碑が、精霊が言葉を紡ぐ。
*もう終わりだ✳︎
*貴様らの啼き声と、嗚咽と、叫びを聞く為にヤツが来る✳︎
「例えどのようなものが我らを襲おうと、我が強き父と偉大な戦士がそれを打ち砕く。貴様の予言など当たるわけがない!」
「レド!!?」
母親が悲鳴のような声で彼の名を呼ぶ。精霊に乱暴な言葉をかけるどころか予言について何かいうなど、精霊士である彼女には考えられないことだ。
「偉大なる大きな腕の精霊よ!、どうかお許しを!この者は貴方の尊さがわかっていないのです!」
母親は支えていた弟を突き飛ばし、妹を手荒に地面に放り投げて、真っ青な顔を地面に擦り付け平伏した。
妹はとうとう泣き出した。声を上げて泣いている。弟は再び目を石碑の方へ向けて、瞼が引き裂けそうなほど開きそのまま固まった。
「母上?! なんてことを!! クルメク! ラプチャを、早く!」
信じられない行動をとった母親に対し、彼は声を上げると同時に、右拳を強く握った。
振り向いて、幼い妹を放り捨て地面に平伏する母親や弱き妹を鑑みずに動けない腰抜けの弟を見ると、その拳を振り抜きたくてしょうがなかった。
こんな、こんな得体の知れない者の為に家族がバラバラにされるのかと思うとやりきれなかった。
石碑を睨みつける。彼の金色の瞳が淡い緑色を帯びていく。石碑の上に何かがいる。
彼はそう確信した。大きいのか、小さいのかは何もわからないが確かにそこに、ナニかがいる。
彼はこのナニかが自分を襲ってくるのではないかと、姿勢を低くして腰の後ろに引っ掛けていた手製の鉈に手をかけた。
目の前の見えないナニかが膨らんでいるような気がする。
四つ足のトカゲと相対した始めての狩りの緊張感を何倍にも凝縮した空気を感じていた。
ふと、目の前の存在が、笑った。
そんな気がした。
*お前の父と戦士は死んだ
*人間に殺された
*傷の一つもつけられずに驚愕と恐怖のなか意味もなく死んだ
彼の視界が一瞬ブラックアウトし、次の瞬間に両方の拳から走る痛みで意識が戻る。足元には大きく四つの破片に割れた石碑が転がっていた。
もう見えないナニかなどどこにもいない。
彼は自分の荒れている息を努めて戻すようにしながら後ろを振り向く。
「ひっ」
母親の短い悲鳴が聞こえ、こちらを何回も瞬きしながら見つめてくる弟が視界に映った。
彼らを一瞥して目を背ける。
貴様らのことなど見たくもない。
いつのまにか拳の中で握り締めていたヒスイの首飾りをゆっくりと付け直す。
彼女らの近くで静かに泣いている妹のほうへ駆け寄ろうとー
カラン、コロン、カラン。
何かが上から落ちてきた。
始めて聞く音だった。
それは妹の丁度近くに落ちていて、
真っ赤な色をした小さな筒のようなものだ。
[龍]の威嚇音のような奇妙な音が響き渡り
筒からなにかが勢いよく吹き出した。
白。
一瞬で地下室を白く染めたそれ、白い煙は彼らの鼻と目を丁寧に調合された化学物質で瞬時に潰した。
死が上から落ちて来た。
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