神託農園エルネスタ 〜外れスキル《雑草生成》から始まる、世界の種の物語〜

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第48話「名を持たぬ約束と、土に編まれる静かな絆」

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夜が明けきる頃、農園の空は薄い蒼に染まっていた。

冷たい風が畑を抜けると、
無数の無名花《ナナシグサ》の葉が小さく揺れ、
その音はかすかな鈴の音のようにも聞こえた。

畑の中央に立つ神枝苗《ネスタリア・コア》は、
朝露をまとって静かに光を返していた。

その根は遠くまで広がり、
数えきれないほどの小さな祈りや涙や願いを抱いている。

土に触れると、ひんやりしたその下に、
確かに微かな脈動が感じられた。

それは誰のものとも知れない鼓動であり、
けれど決して孤独ではなかった。

エルネスタは土の上に膝をつき、ゆっくりと息を吐いた。

目を閉じると、耳の奥に土が奏でる音が響く。

――ざわり
――ざわり

それは声ではなく、ただ根が擦れ合い、土が緩む音。
でもその中に、小さな声のようなものが確かにあった。

「……ここにいたい」

名を呼ばない願い。
誰にも知られたくない、けれど確かに土に伏せられた、
とても小さくて、けれど強い祈り。

エルネスタは土に掌を沈め、そっと答えるように指先を動かした。

「いていいよ。
名前なんてなくても、ずっとここにいていいんだよ」

その瞬間、根がわずかに撓んだ気がした。

畦道を歩くと、ところどころで小さな跡があった。

誰かが膝をついた跡。
掌を押し当てた跡。
涙が土に落ちた、淡いしみ。

どれも名前は残さない。
でも、それらは確かに「誰かがここにいた」という印だった。

近くの無名花が葉をひとつ開き、その中央に小さな露を抱いた。

それは朝日の光を受けて、虹のようにきらりと光った。

そのとき、年若い娘が一人、畑の隅でしゃがみ込んでいるのが見えた。

顔は土に伏せ、肩が小刻みに震えていた。

エルネスタはそっとその隣に座った。
声をかけることはしなかった。

ただ、そっと同じように土に掌を置いた。

娘はしばらく何も言わなかったが、
やがてかすれるような声で吐き出す。

「……もう、誰にも呼ばれなくていいって、思ってた。
でも、こんなに苦しいのは……きっとまだ、どこかで呼ばれたいって、思ってるからだよね」

土は何も答えなかった。

けれど、根の奥で小さな音がした。

無数の名を持たぬ祈りが、その声をそっと抱き込むように揺れたのだ。

エルネスタはそっと目を閉じた。

「呼ばれなくてもいい。
でも、呼ばれたいって願ったあなたの声は、この土がちゃんと覚えてる」

娘は土を強く握りしめ、そして小さく息を吐いた。

それからしばらく二人は黙っていた。

ただ風が無名花を撫で、葉がわずかに揺れる音だけが周囲を満たした。

それは、名前にはならないけれど――
確かに誰かと誰かが、土の上でつながっている証のようだった。

娘が立ち去ったあと、そこに小さな芽がひとつ顔を出していた。

白くか細い双葉。
それがゆっくりと葉を開くと、中央に小さな露を集めた。

エルネスタはその芽をそっと撫でる。

「あなたは誰の名も記さない。
でも……いま確かにここで、誰かの祈りをひとつ抱えたんだね」

土の奥から、小さな温度が掌に伝わった。

それは呼ばれぬ約束。
声にはならないけれど、この畑だけが知っている静かな絆。

朝の光が強くなるにつれ、土はまた静かになっていった。

しかしその沈黙の奥では、無数の根が緩やかに動き続けていた。

それは声を持たぬ者たちが、夜の間に交わした約束を
土の奥で確かめ合う、静かな動きだった。

エルネスタは立ち上がり、畑を見渡した。

無数の名を呼ばれぬ祈りが、この土の奥で絡まり合い、
それでもちゃんと生きて、静かに次の命を育もうとしている。

「ありがとう。
名もなく、言葉もなく、それでもここにいてくれて」

そっと呟くと、近くの無名花がかすかに葉を揺らした。

まるでその言葉を、静かに、でも確かに受け止めたように。

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