49 / 73
第49話「声にならない土の歌と、祈りを織る影」
しおりを挟む
朝の光がしだいに高くなるころ、
畑に差し込む陽射しは優しく土を撫で、
そこに眠る無数の小さな命に微かな暖かさを与えていた。
土の中で根が音もなく動くたび、
その振動が静かに周囲へ伝わり、
まだ眠る芽や祈りの残響にそっと触れていた。
エルネスタは神枝苗《ネスタリア・コア》の根元に腰を下ろし、
掌を土に伏せてじっとその気配を感じていた。
目を閉じると、土の奥にいくつもの“声にならない声”が重なっていた。
――ここにいていいのか
――呼ばれなくても
――ただ黙って寄り添ってくれるだけでいい
それは言葉にならない。
だが確かに、土が抱きしめた無数の影が織り成す、静かな歌だった。
エルネスタはそっと胸に手を当て、小さく息を吐く。
「……わたしの声も、きっと同じだったのかもしれない」
自分の名を呼ぶことすらためらった夜があった。
呼ばれてしまえば、それは奪われる気がしたから。
けれど、名を呼ばれないままでも――
この土はずっと彼女の声を、声にならないまま抱いてくれていた。
そのとき、畑の端に一人の旅人が立っているのが見えた。
古びた外套に隠れるように肩をすぼめ、
足元を見つめたまま動かない。
やがてゆっくりと歩みを進め、畦道にそっと膝をついた。
そして何も言わず、ただ掌で土を撫でた。
その掌は細く、震えていた。
けれど土は拒まず、その震えを受け止めるようにわずかに温度を返した。
旅人の肩が揺れた。
声を上げるでもなく、泣くでもなく――
ただ、長い間抱えていたものを少しだけ土に預けるように。
エルネスタは近づくことをしなかった。
この畑では、声をかけることが必ずしも優しさではない。
ただ遠くからその人を見つめ、
土がそっと抱きしめてくれる様を見守る。
やがて旅人は立ち上がり、足元の土に向かって小さく頭を下げた。
そして何も持たずに去っていく。
ただ、その足跡のそばに一輪の無名花が葉を開き、
そこに朝の露を受けて輝いていた。
それは声にも名前にもならなかった祈りの、小さな証だった。
昼が近づくにつれ、畑は再び静けさを取り戻した。
けれど土の中はずっとざわざわと賑わっていた。
――根が伸びる音
――微細な水脈を通る振動
――そこに紛れ込むように漂う、誰かの「もう少しここにいたい」という声なき願い
それらはやがて複雑に絡まり合い、
名前を持たぬまま土の深くへ沈んでいった。
それでよかった。
この農園では、名を持つことより、
名前を呼ばれないままそっと土に融けていくほうが、ずっと自然だったから。
エルネスタは畑を見渡し、
いくつもの無名花がそよぐのを見て静かに微笑んだ。
「ここは……誰のものでもない場所。
でも、誰かが“いた”ってことだけはずっと残っていく」
その呟きを聞いたように、神枝苗《ネスタリア・コア》の葉がそっと揺れた。
根の奥ではまた小さな音がした。
声にならない影たちが土の深みで抱き合い、
互いの願いを編むようにして小さく息をついている。
それはどこまでも静かな、
けれど確かに生きている祈りの音だった。
その夜。
月が高く昇るころ、畑は白い光に満たされた。
無数の無名花がわずかに葉を開き、
月光を浴びてそっと息を吐く。
その吐息は目に見えない。
けれど確かに夜気の中を漂い、
名を呼ばれずに土へ戻った者たちと、再びそっと手を繋いでいた。
エルネスタはその光景をただ黙って見つめていた。
何も言葉にはしなかった。
けれど胸の奥で静かに確信した。
ここは祈りの終わりではない。
名を呼ばれなかった声が寄り添い合い、
やがてまた次の誰かをそっと迎える――
それがこの畑の、名もない約束だった。
畑に差し込む陽射しは優しく土を撫で、
そこに眠る無数の小さな命に微かな暖かさを与えていた。
土の中で根が音もなく動くたび、
その振動が静かに周囲へ伝わり、
まだ眠る芽や祈りの残響にそっと触れていた。
エルネスタは神枝苗《ネスタリア・コア》の根元に腰を下ろし、
掌を土に伏せてじっとその気配を感じていた。
目を閉じると、土の奥にいくつもの“声にならない声”が重なっていた。
――ここにいていいのか
――呼ばれなくても
――ただ黙って寄り添ってくれるだけでいい
それは言葉にならない。
だが確かに、土が抱きしめた無数の影が織り成す、静かな歌だった。
エルネスタはそっと胸に手を当て、小さく息を吐く。
「……わたしの声も、きっと同じだったのかもしれない」
自分の名を呼ぶことすらためらった夜があった。
呼ばれてしまえば、それは奪われる気がしたから。
けれど、名を呼ばれないままでも――
この土はずっと彼女の声を、声にならないまま抱いてくれていた。
そのとき、畑の端に一人の旅人が立っているのが見えた。
古びた外套に隠れるように肩をすぼめ、
足元を見つめたまま動かない。
やがてゆっくりと歩みを進め、畦道にそっと膝をついた。
そして何も言わず、ただ掌で土を撫でた。
その掌は細く、震えていた。
けれど土は拒まず、その震えを受け止めるようにわずかに温度を返した。
旅人の肩が揺れた。
声を上げるでもなく、泣くでもなく――
ただ、長い間抱えていたものを少しだけ土に預けるように。
エルネスタは近づくことをしなかった。
この畑では、声をかけることが必ずしも優しさではない。
ただ遠くからその人を見つめ、
土がそっと抱きしめてくれる様を見守る。
やがて旅人は立ち上がり、足元の土に向かって小さく頭を下げた。
そして何も持たずに去っていく。
ただ、その足跡のそばに一輪の無名花が葉を開き、
そこに朝の露を受けて輝いていた。
それは声にも名前にもならなかった祈りの、小さな証だった。
昼が近づくにつれ、畑は再び静けさを取り戻した。
けれど土の中はずっとざわざわと賑わっていた。
――根が伸びる音
――微細な水脈を通る振動
――そこに紛れ込むように漂う、誰かの「もう少しここにいたい」という声なき願い
それらはやがて複雑に絡まり合い、
名前を持たぬまま土の深くへ沈んでいった。
それでよかった。
この農園では、名を持つことより、
名前を呼ばれないままそっと土に融けていくほうが、ずっと自然だったから。
エルネスタは畑を見渡し、
いくつもの無名花がそよぐのを見て静かに微笑んだ。
「ここは……誰のものでもない場所。
でも、誰かが“いた”ってことだけはずっと残っていく」
その呟きを聞いたように、神枝苗《ネスタリア・コア》の葉がそっと揺れた。
根の奥ではまた小さな音がした。
声にならない影たちが土の深みで抱き合い、
互いの願いを編むようにして小さく息をついている。
それはどこまでも静かな、
けれど確かに生きている祈りの音だった。
その夜。
月が高く昇るころ、畑は白い光に満たされた。
無数の無名花がわずかに葉を開き、
月光を浴びてそっと息を吐く。
その吐息は目に見えない。
けれど確かに夜気の中を漂い、
名を呼ばれずに土へ戻った者たちと、再びそっと手を繋いでいた。
エルネスタはその光景をただ黙って見つめていた。
何も言葉にはしなかった。
けれど胸の奥で静かに確信した。
ここは祈りの終わりではない。
名を呼ばれなかった声が寄り添い合い、
やがてまた次の誰かをそっと迎える――
それがこの畑の、名もない約束だった。
0
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
異世界に転移したらぼっちでした〜観察者ぼっちーの日常〜
キノア9g
ファンタジー
※本作はフィクションです。
「異世界に転移したら、ぼっちでした!?」
20歳の普通の会社員、ぼっちーが目を覚ましたら、そこは見知らぬ異世界の草原。手元には謎のスマホと簡単な日用品だけ。サバイバル知識ゼロでお金もないけど、せっかくの異世界生活、ブログで記録を残していくことに。
一風変わったブログ形式で、異世界の日常や驚き、見知らぬ土地での発見を綴る異世界サバイバル記録です!地道に生き抜くぼっちーの冒険を、どうぞご覧ください。
毎日19時更新予定。
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
目立ちたくない召喚勇者の、スローライフな(こっそり)恩返し
gari@七柚カリン
ファンタジー
突然、異世界の村に転移したカズキは、村長父娘に保護された。
知らない間に脳内に寄生していた自称大魔法使いから、自分が召喚勇者であることを知るが、庶民の彼は勇者として生きるつもりはない。
正体がバレないようギルドには登録せず一般人としてひっそり生活を始めたら、固有スキル『蚊奪取』で得た規格外の能力と(この世界の)常識に疎い行動で逆に目立ったり、村長の娘と徐々に親しくなったり。
過疎化に悩む村の窮状を知り、恩返しのために温泉を開発すると見事大当たり! でも、その弊害で恩人父娘が窮地に陥ってしまう。
一方、とある国では、召喚した勇者(カズキ)の捜索が密かに行われていた。
父娘と村を守るため、武闘大会に出場しよう!
地域限定土産の開発や冒険者ギルドの誘致等々、召喚勇者の村おこしは、従魔や息子(?)や役人や騎士や冒険者も加わり順調に進んでいたが……
ついに、居場所が特定されて大ピンチ!!
どうする? どうなる? 召喚勇者。
※ 基本は主人公視点。時折、第三者視点が入ります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる