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第54話「土の奥に還る声と、名なき光の綾」
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夜がなおも畑を覆っていた。
けれどその闇は冷たいだけのものではなかった。
土の奥から伝わってくる静かな脈動が、
闇にひそむ無数の声を優しく撫でている。
それは、名を呼ばれぬまま置き去りにされた声たちが、
決して一人きりにはならぬように寄り添い合う、
柔らかな網目のような温もりだった。
エルネスタは神枝苗《ネスタリア・コア》の根元に膝をつき、
そっと土に掌を伏せた。
目を閉じると、すぐに土の奥から微かな音が返ってくる。
――ざわり
――ざわり
それは根が静かに動く音。
根は声にならなかった無数の祈りを抱え込み、
名前を告げることなく、それでもしっかりと結びついていた。
掌の下でその細かな震えを感じるたび、
胸の奥に熱がゆっくりと満ちていった。
そのとき、遠くから人影が近づいてきた。
薄い外套を羽織った旅の男。
顔は隠れ、視線はずっと地面を見つめたまま。
やがて彼は無名花《ナナシグサ》の群れのそばに立ち止まり、
ゆっくりと土に膝をついた。
声はなかった。
ただ小さく肩が震えていた。
長い時間、そうしていた。
やがて男は手を伸ばし、土を掬い上げた。
その手は痩せて血管が浮き、爪の間には古い泥が詰まっている。
――この人は、どれだけ長く名を呼ばれないまま歩いてきたのだろう。
エルネスタはそっと息を呑んだ。
次の瞬間、男は掌の土を胸に押し当てた。
そして、何も言わずに目を閉じた。
土の奥で無数の根がわずかに撓んだ。
その動きは呼吸のように優しく、
男の胸に押し当てられた土の中に隠れた祈りへそっと触れた。
男はゆっくりと立ち上がり、畑を去っていった。
その足元には何も残らなかった。
ただ、土の奥で小さな芽がわずかに動き、
やがて無名花の葉を一枚そっと開いた。
それは声をあげることなく、ただそっと夜気を吸い込んでいた。
エルネスタは畦道に座り込み、手のひらで土を掬った。
「呼ばれたくなかったんだね。
でも、それでもここに来てくれてありがとう」
土は何も答えない。
けれど、その沈黙の奥から小さな音が届いた。
――ざわり
――ざわり
声にならなかった願いが、土の奥で他の影たちと結びつく音。
それは誰にもほどくことのできない、名のない絆だった。
夜空を見上げると、雲の切れ間から月が覗いていた。
畑のあちこちに散らばる無名花が、
月光を受けてそっと葉を震わせる。
葉先から零れた露は、白い光の粒となって静かに地面へ落ちた。
それは誰の名も呼ばなかった。
けれど土は、その露を吸い込むたびに、
またひとつ祈りをそっと抱き締めていった。
エルネスタは掌の土をそっと胸に押し当てた。
土から伝わる冷たさの奥に、確かに人のぬくもりがあった。
それはこの場所に来て、
名を告げず、声を押し殺したまま土に身を預けた無数の誰かたちの体温だった。
「ここにいたい、って思ってくれただけでいいの。
それがもう、この畑にとっては大切な祈りだから」
土の奥では、根がまた小さく震えた。
その震えは闇の底で重なり合い、
声を失くした祈り同士がそっと触れ合っているのを教えてくれた。
やがて、それが織りなす見えない網の中で、
新しい小さな光が生まれた。
名を呼ばれることのなかった祈りが、
再びそっと芽吹こうとしていた。
エルネスタは長く息を吐き、その気配を胸に刻み込んだ。
土は沈黙したままだった。
けれどその奥で織られ続ける名もない光の綾が、
何より確かな返事だった。
けれどその闇は冷たいだけのものではなかった。
土の奥から伝わってくる静かな脈動が、
闇にひそむ無数の声を優しく撫でている。
それは、名を呼ばれぬまま置き去りにされた声たちが、
決して一人きりにはならぬように寄り添い合う、
柔らかな網目のような温もりだった。
エルネスタは神枝苗《ネスタリア・コア》の根元に膝をつき、
そっと土に掌を伏せた。
目を閉じると、すぐに土の奥から微かな音が返ってくる。
――ざわり
――ざわり
それは根が静かに動く音。
根は声にならなかった無数の祈りを抱え込み、
名前を告げることなく、それでもしっかりと結びついていた。
掌の下でその細かな震えを感じるたび、
胸の奥に熱がゆっくりと満ちていった。
そのとき、遠くから人影が近づいてきた。
薄い外套を羽織った旅の男。
顔は隠れ、視線はずっと地面を見つめたまま。
やがて彼は無名花《ナナシグサ》の群れのそばに立ち止まり、
ゆっくりと土に膝をついた。
声はなかった。
ただ小さく肩が震えていた。
長い時間、そうしていた。
やがて男は手を伸ばし、土を掬い上げた。
その手は痩せて血管が浮き、爪の間には古い泥が詰まっている。
――この人は、どれだけ長く名を呼ばれないまま歩いてきたのだろう。
エルネスタはそっと息を呑んだ。
次の瞬間、男は掌の土を胸に押し当てた。
そして、何も言わずに目を閉じた。
土の奥で無数の根がわずかに撓んだ。
その動きは呼吸のように優しく、
男の胸に押し当てられた土の中に隠れた祈りへそっと触れた。
男はゆっくりと立ち上がり、畑を去っていった。
その足元には何も残らなかった。
ただ、土の奥で小さな芽がわずかに動き、
やがて無名花の葉を一枚そっと開いた。
それは声をあげることなく、ただそっと夜気を吸い込んでいた。
エルネスタは畦道に座り込み、手のひらで土を掬った。
「呼ばれたくなかったんだね。
でも、それでもここに来てくれてありがとう」
土は何も答えない。
けれど、その沈黙の奥から小さな音が届いた。
――ざわり
――ざわり
声にならなかった願いが、土の奥で他の影たちと結びつく音。
それは誰にもほどくことのできない、名のない絆だった。
夜空を見上げると、雲の切れ間から月が覗いていた。
畑のあちこちに散らばる無名花が、
月光を受けてそっと葉を震わせる。
葉先から零れた露は、白い光の粒となって静かに地面へ落ちた。
それは誰の名も呼ばなかった。
けれど土は、その露を吸い込むたびに、
またひとつ祈りをそっと抱き締めていった。
エルネスタは掌の土をそっと胸に押し当てた。
土から伝わる冷たさの奥に、確かに人のぬくもりがあった。
それはこの場所に来て、
名を告げず、声を押し殺したまま土に身を預けた無数の誰かたちの体温だった。
「ここにいたい、って思ってくれただけでいいの。
それがもう、この畑にとっては大切な祈りだから」
土の奥では、根がまた小さく震えた。
その震えは闇の底で重なり合い、
声を失くした祈り同士がそっと触れ合っているのを教えてくれた。
やがて、それが織りなす見えない網の中で、
新しい小さな光が生まれた。
名を呼ばれることのなかった祈りが、
再びそっと芽吹こうとしていた。
エルネスタは長く息を吐き、その気配を胸に刻み込んだ。
土は沈黙したままだった。
けれどその奥で織られ続ける名もない光の綾が、
何より確かな返事だった。
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