くちなし町、夜の記録

コテット

文字の大きさ
1 / 31

第1話『夜を写したフィルム』

しおりを挟む


くちなし町の南側、国道を越えてしばらく進んだところに、「橋本写真館」と呼ばれていた建物がある。
名前のとおり、かつては地元の人間の七五三や入学式、あるいは葬儀の遺影写真などを扱っていた老舗だった。けれど今はもう、白く剥がれた看板と、埃をかぶったショーウィンドウだけが残っている。

シャッターは錆びていて、壁は蔦に覆われている。だが、町の古い人はみな、あそこに灯りがともっていた頃のことを、どこかで覚えている。

——あの写真館で、フィルムに写してはいけないものを撮った者がいた。

そう言い伝える者もいる。
その話を、私は母から聞いた。

いや、正確に言えば、母の遺品から「見るべきではなかったフィルム」が見つかったのだ。



母が亡くなったのは、今年の春だった。
癌の進行は早く、入院してからわずか三ヶ月。葬儀も済み、ひととおりの手続きが終わったあと、私は実家の片付けをしていた。

母の部屋の押入れの奥、古いアルミのトランクが出てきた。鍵はかかっておらず、中には手紙、文集、写真、カセットテープ、そして何本かの古い35mmフィルムが丁寧に包まれて入っていた。

フィルムはどれも白い紙に巻かれ、油紙でさらに保護されていた。
——何のフィルムだろうか?と、私は軽い気持ちでそのうちの一本を現像に出すことにした。

くちなし町にはもう写真屋はない。車で隣町まで出て、若い店員に依頼する。

「ちょっと古いけど、大丈夫ですよ。仕上がりは二週間後くらいですねー」

そう言われて、私は預けたフィルムのことを忘れかけていた。
が、戻ってきた現像結果は、奇妙なものだった。

写真は全体的に黄ばんでおり、昭和中期の空気を感じさせた。被写体は母と思われる若い女性と、その友人たち。喫茶店、公園、商店街、盆踊り、そして——

最後の1枚。
写真の中心に、橋本写真館の正面が写っていた。

だが、その写真の右奥に、妙なものが写っていたのだ。



それは、立っているのかしゃがんでいるのか分からない、黒い影だった。

一見するとゴミ袋のようにも見えたが、じっと見つめていると、形が妙に歪んでいる。
膝を折った人のようでもあり、腕が長くて床に付いているようでもある。

そして——その「影」は、写真に写る母たちのグループとは明らかに無関係な存在だった。

私は背筋が冷えた。

この町で育った人間なら誰でも、「写ってはいけないものが写る」という話を一度は耳にしている。特に古い写真館は、そういう“もの”が集まりやすいとされていた。

その夜、母の遺品のカセットテープを再生してみた。
ガチャ、という音と共に、カセットのテープは再生された。

「……これは、誰にも言えなかったことだけど」

——母の声だった。まだ若く、少女のような震えを孕んでいた。

「高校の時、写真部だったんだけど。友達と肝試しみたいなことをして、廃業した橋本写真館に入ったの。たまたま鍵が開いててね……」

音声は少しノイズが混じっていたが、母の語りは止まらなかった。

「中にはまだ現像機材が残ってて、撮影台もあった。でもね……奥の暗室で、見つけたの。使いかけのフィルムが。なぜか、ロールの中に1枚だけ写真が入ってて、それが……」

母の声が、そこで止まった。

数秒の沈黙のあと、ガタン、という音がして、誰かが急に近づいてくるような足音。
そして——録音はぷつりと途切れた。

私は、手のひらに汗をかいていることに気づいた。



その夜、私は奇妙な夢を見た。

橋本写真館の前に立っていた。ガラス越しに、誰かがこちらを見ていた。
それは、母だった。

だが、彼女の顔には色がなかった。血の気がなく、表情もなかった。
目だけが、フィルムの影のように黒く、じっと私を見つめていた。

「返して」

そう言った気がした。

「返して……あれは、持っていってはいけなかったのに」

——夢から覚めたあと、私は再び現像された写真を見た。
最初に見た黒い影とは別に、もう1人、奇妙な違和感のある人物が写っていた。

それは、中央の人物の肩越しに、顔だけをのぞかせている“誰か”。
しかし、その顔は、母のものと瓜二つだった。

私は写真を裏返し、そこに走り書きされた文字を見た。

《撮影日:1984年7月14日》

——その日は、母が「親友が行方不明になった」と語っていた、あの日だった。



私は、まだ包まれている他のフィルムには手を出していない。

けれど、あの影と、あの写真と、あの音声が——
この町の「夜の記録」の一端であることだけは、確かだと思っている。

もしあなたが、この話を“読んでしまった”のなら。
どうか、灯りを消さずにいてほしい。

たとえ、後ろから「返して」と囁かれたとしても。

(第1話 了)

【あとがき】
ご覧いただきありがとうございました。
この物語『くちなし町、夜の記録』は、くすんだ町に残る“語られなかった怪異”を拾い集めていく連作短編です。

1話ごとに完結しながら、読者の皆様が少しずつ繋がりを見出せるよう、細部にも仕掛けを込めています。

ぜひ、感想やレビューで「あなたが感じた怖さ」を共有していただけたら嬉しいです。

【応援のお願い】
★お気に入り登録・いいね・エール(広告視聴)などで応援いただけると励みになります!
読者の皆様の声が、次の話への灯火となります。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

処理中です...