くちなし町、夜の記録

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第2話『拾ったカセットテープ』

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それは、雨の続いた六月のある日のことだった。
古道具屋を出たすぐ横の溝に、それは落ちていた。

何かの拍子に足が滑り、傘を落とした拍子にしゃがみ込んだ拍子に、私はそれに気づいた。
小さな黒いケース。ラベルのはがれかけた、昔のカセットテープだった。

側面には手書きの文字で、こう書かれていた。

《くちなし一丁目 北側の音》

気になって拾いあげ、表面の泥をぬぐいながら私はふと思った。

「……これ、まだ動くのかな」

今どきカセットなんて、とも思ったが、実は実家には再生できるデッキがある。
亡くなった祖父が物持ちで、昔の演歌を録音しては繰り返し聴いていた。
そのまま物置になった部屋に置かれていたラジカセが、今でも使えるかもしれない。

私はなんとなくそのテープを持ち帰ることにした。



家に戻ったのは夕方過ぎだった。
気まぐれにあのラジカセを取り出し、ACケーブルを差して電源を入れてみると、機械は意外なほど素直に応じた。
かすれた赤いLEDが点灯し、カセット部分も問題なく開いた。

拾ったテープをセットし、再生ボタンを押す。

——しばらくは、何も聞こえなかった。
テープが回るだけの音。ひゅるひゅるというモーターの唸り。

だが、3分ほど経ったころ、不意に“それ”が始まった。



ザーッ……というノイズの向こうから、かすかに音が聞こえる。
それは、人の話し声だった。だが、内容は聞き取れない。距離があるような、あるいは隣室の壁越しのような音質。

「……ねえ、きこえて……る……?」

それは女性の声だった。

「……こっち……に、いるの。ずっと、ずっと……」

声は、やがてフェードアウトしていく。
だが、それに重なるように、別の音が浮かび上がる。

カン、カン、カン。

何か硬いもので鉄を叩いているような音。

その音が、一定の間隔で、そして次第に近づいてくるような錯覚を覚えた。

私は、不意に寒気を感じて立ち上がった。
気づけば、背後のふすまがわずかに開いていた。

閉めたはずのふすまだ。
だが、風など吹いていない。エアコンも切っていた。

再生ボタンを止め、巻き戻しもせずに、私はカセットを取り出してケースに戻した。

——それで終わるはずだった。

だが、その夜、私は夢を見た。



誰もいないくちなし町の北側を、私は歩いていた。

足音が響く。自分の足音ではない。
誰かが、一定のリズムで“カン、カン、カン”と何かを打ち鳴らしながら、こちらに近づいてくる。

振り返る。誰もいない。

進もうとする。だが足が動かない。
その音だけが、耳の中に染み込んでくるように、ゆっくりと、だが確実に大きくなっていく。

そのとき——私は見た。

町の北側、通学路の突き当たりにある“使われなくなった掲示板”の前に、誰かが立っていた。

顔はわからなかった。ただ、髪が濡れていて、両手に何かを持っていた。
音の正体は、それだった。
鉄パイプのようなものを、アスファルトに打ちつけていたのだ。

私が声を出そうとした瞬間、その人影がこちらを向いた。

——顔が、なかった。

つるりとした皮膚の上に、目も鼻も口もなかった。
だが、私はその「顔のない顔」に、確かに見られている感覚を味わった。

夢から覚めたとき、汗びっしょりだった。



翌朝、あのテープを再生しようとしたが、もう音は流れなかった。
巻き戻しても、ノイズすらなかった。
まるで最初から何も録音されていなかったかのように。

私は静かにテープを元のケースに戻し、それを防湿袋に入れて押入れの奥へしまった。

けれど、あの夜から、私は音に敏感になってしまった。

誰もいない部屋で、ふと「カン」という小さな音を聞く。
寝ていて、耳元に水が滴るような音を感じる。
そして、ふと道を歩いているとき、町のどこかで“誰かがこちらを見ている気配”を感じる。

——この町には、確かに「夜の記録」が残っている。

拾ったカセットテープが、それを思い出させてくれただけだ。

今でも、雨の日には時折思い出す。

あの声の最後の一節を。

「……ずっと、ずっと……ここにいるの……」

(第2話 了)

【あとがき】
“音”は、目よりも早く心を刺してきます。
この話では、忘れ去られたカセットから聞こえる「記憶に残らない声」をモチーフにしました。

町という場所には、記録されない記憶があります。
それらがどこに“保存”されているか、誰にも分かりません。

次回も、くちなし町の夜のどこかで、お会いしましょう。

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