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第5話『廃駅のホームで』
しおりを挟むくちなし町の北端、草に埋もれた坂道を登った先に、もう使われなくなった小さな駅がある。
駅名は「くちなし北口」。かつて、地域住民が通勤や通学に利用していた無人駅だった。
廃止されたのは二十数年前。だが、いまでもその駅のホームは残っている。
錆びついたベンチと、朽ちた電光掲示。
線路は草に覆われ、すでに列車が通れる状態ではない。
だが——夜になると、列車の音が聞こえるという噂がある。
そして、誰もいないはずのホームに、誰かが立っていることも。
*
私は高校時代、この駅を抜けた先の塾に通っていた。
最短ルートを通ろうとすると、どうしても廃駅の裏手の坂道を通らなければならない。
最初は怖かった。だが、通い慣れてくると、それもただの“背景”になっていった。
ある日、塾帰りが遅くなった。
夜の九時半過ぎ。月明かりのない夜で、坂道はまるで井戸の底のように暗かった。
いつもなら自転車で通り抜けるのだが、その日はパンクしてしまい、仕方なく押して帰る途中だった。
廃駅の前を通りかかったときだった。
カン、カン、カン……という音が、闇の中から響いてきた。
最初は気のせいかと思った。だが、確かにあった。
それは“遮断機の音”だった。
ここにはもう遮断機などない。そもそも列車が通る線路も消えかけている。
だというのに、その音は間違いなく、レールの先から響いていた。
私は思わず、自転車を止めて音の方向を見た。
ホームの影に、人影が立っていた。
ベンチのそば、時刻表の真下。
制服のような服を着た誰かが、こちらに背を向けて、じっと線路の先を見ている。
髪が長く、動かない。風もなく、静止していた。
「……誰?」
そう思わず口にした瞬間、カンカンカンという音が急に速くなった。
次の瞬間、音がぴたりと止まった。
風もなく、虫の声も聞こえない夜だった。
だが、その人影だけはまだ動かなかった。
私は一歩、踏み出した。
——そのときだった。
ふいに、「列車の通過音」が響いた。
本来なら通るはずのない場所を、風圧と共に何かがすり抜けていった感覚。
目を閉じたわけでも、倒れたわけでもない。
だが、あまりにリアルだった。
体が動かなかった。
そして音が消えたあと、ホームの上には誰もいなかった。
*
家に帰ってから、妙なことに気づいた。
制服のポケットに、見慣れない紙片が入っていたのだ。
小さく折りたたまれた、車内検札用の「乗車券」だった。
《くちなし北口 → 不明 1994年3月18日 最終》
印字された文字は赤く滲み、ふちには焦げたような跡があった。
不思議に思って調べてみると、その日付は廃駅となる前の最後の営業日だった。
だが、それだけではない。
くちなし町には、ある「最終列車」に関する記録が残っている。
最後の日、誰か一人の女子生徒が“姿を消した”というのだ。
通学帰りに友人と別れたあと、ホームで誰かを待っている様子を見たという証言。
その後、彼女は戻ってこなかった。
失踪事件として扱われたが、目撃証言も乏しく、やがて風化した。
そして、写真が一枚残っている。
駅の閉鎖前に撮影されたホームのスナップ写真。
そこには、夕焼けを背に、ホームに立つ女子生徒が写っていた。
その制服姿は、私があの夜に見た人影とまったく同じだった。
*
もう一度だけ、私は廃駅を訪ねた。
朝方だった。日差しの中、ホームは草に埋もれ、鳥の声が響いていた。
誰もいなかった。
ベンチの近くに立ってみると、不意に風が吹いた。
かすかに、制服の裾を揺らすような、冷たい風。
ふと足元を見ると、落ち葉の隙間に何かが光っていた。
小さなピンバッジだった。学校名と、卒業記念の文字が入っている。
私はそっと拾い上げた。
その裏に、ペンで書かれた文字があった。
《また ここで まってる》
たぶん彼女は、いまでも待っている。
廃駅のホームで、通らない最終列車を。
乗れなかった誰かと、もう一度会うために。
——私は、その日から列車の音を耳にしなくなった。
たぶん、誰かがその乗車券を、ようやく受け取ったのだと思う。
(第5話 了)
【あとがき】
本作は「使われなくなった場所」が記憶を留め続けるというテーマで描きました。
時間が止まったホーム、通らない最終列車、それでも立ち続ける人影――
あなたの町にも、似たような“待っている場所”があるかもしれません。
【応援のお願い】
★ブックマークやお気に入り登録・エール(広告視聴)など、いつもありがとうございます。
読者の皆様の応援が、この連作の「次の灯」をともしてくれます。
次回は『風鈴と遺書』――夏のはじまりと、とある祖父の遺品をめぐるお話です。どうぞお楽しみに。
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