くちなし町、夜の記録

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第30話『古写真の家』

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くちなし町の中心街から少し外れた場所に、今はもう誰も住んでいない木造の大きな屋敷がある。

二階建てで瓦屋根は半分崩れ、庭の植木も荒れ放題で、門の木戸は片方が外れていた。

私は仕事でこの町の古地図や資料をまとめていて、その家を調べる必要があった。

町役場で借りた地図には、そこに「旧佐倉邸」と書かれていた。

近くに住む老人によれば、戦前からあった家で、一族は代々この町で商売をしていたが、今は誰も戻ってこないという。



調査のため、昼間にその屋敷へ入った。

鍵などとっくに壊れていて、引き戸は力を入れるときしみながら開いた。

埃の匂いと、土壁が湿った匂いが鼻を突く。

玄関の広い土間には、古びた傘立てが残され、傘の骨が錆びて折れ曲がっていた。

奥の座敷に上がると、そこには古い写真がいくつも置かれていた。

床の間の棚、畳の上、破れた襖の陰――。

どれもモノクロで、台紙の角がぼろぼろになっていた。

写真には、この家の住人らしき人々が写っていた。

和服姿の男や女、笑う子供。

だがどの写真にも、必ず一人だけ――顔が塗り潰されている人物がいた。

筆で黒く塗りつぶされ、ただ輪郭だけが残っている。

私は背筋が冷たくなった。

これらの写真を誰が、何のために塗り潰したのだろう。



奥の部屋に進むと、薄暗い仏間があった。

仏壇は開け放たれ、位牌や古い供物がそのまま残されていた。

その前に、また一枚、額に入った集合写真が立てかけられていた。

古い家族写真。

並ぶ大人たちの真ん中に、やけに小さな影がいた。

子供かと思ったが、その顔は妙にぼんやりとして、他の人物より輪郭が溶けているようだった。

よく見ると、その影の顔には小さな黒い穴がいくつも開いていた。

目や鼻や口があるべき場所に、虫が食ったような穴が並んでいた。

思わず額を棚に戻すと、その奥から埃にまみれた手鏡が転がり落ちた。

反射的に拾い上げると、その鏡に映った自分の肩越し――

誰かがこちらを覗き込んでいた。

長い髪が垂れ、顔の部分だけがぼんやりと闇に溶けていた。



鏡を取り落とし、その音が部屋に反響した。

息を荒げ、振り返ったがそこには誰もいなかった。

ただ、仏間の襖がいつの間にか少しだけ開いていた。

風もないのに、黒い隙間がこちらを誘うように揺れていた。

私は逃げるように屋敷を出た。



家に戻り、資料整理のためにカメラを確認すると、撮った覚えのない写真が一枚だけ増えていた。

それはあの仏間の奥からこちらを見た構図。

襖の隙間から誰かがこちらを覗いていた。

ぼんやりとした輪郭、闇に滲む白い頬、そして黒い穴のような目。

カメラをテーブルに投げ出した瞬間、背後でふっと冷たい風が吹いた。

思わず振り返ると、暗い廊下の奥に、小さな影が立っていた。

頭の中で声がした。

「……また いっしょに うつろうね」

電気を点けると影は消えていた。

ただ床に、埃にまみれた古い家族写真が一枚落ちていた。

そこには、知らないはずの私が写っていた。

他の人々と並んで、黒く塗り潰された顔で。
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