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第29話『夜更けの踏切』
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くちなし町の東端を走る単線の線路に、小さな踏切がある。
昼間は農家の軽トラックや自転車が静かに通るだけで、周りは田畑ばかりののどかな場所だ。
けれど、この踏切には奇妙な話がある。
「夜中に踏切が鳴ったら、絶対に止まるな」
小さい頃からそう言われて育った。
夜の列車などとっくに運行していないはずなのに、踏切がカンカンと鳴り出すことがある。
その時に立ち止まったり、周囲を見回したりすると――
連れていかれるのだと。
*
仕事帰り、終電を逃し、酔いを覚まそうと歩いて帰った。
夏も終わりかけで、夜風は少し涼しく感じられた。
薄暗い道を抜け、ふと気がつくといつもの道を外れ、あの踏切の前に立っていた。
おかしい。
普段は避けて通る道なのに、なぜか自然と足が向いてしまっていた。
「……まぁいいか」
そう思って踏切に差し掛かった時だった。
突然、静寂を裂くように踏切の警報音が鳴り響いた。
カン、カン、カン……
赤いライトが点滅し、遮断機がゆっくり降りていく。
私は思わず立ち止まった。
この時間に列車が通るはずはない。
頭の奥で小さい頃の祖母の声がよみがえった。
「夜中に踏切が鳴っても、絶対に立ち止まっちゃいけないよ。どんな音がしても、前を見て歩きなさい。」
心臓が早鐘を打った。
足を動かそうとしたが、膝が小刻みに震えて一歩も出なかった。
踏切の奥の闇から、ゴウッ……と風が吹いてきた。
その中に、車輪が軋むような音が混じる。
レールの上を何かが近づいてくる。
見えないのに、確かに感じる。
「……乗って」
誰かが囁いた。
すぐ耳元で。
慌てて顔を上げると、踏切の向こうに人影があった。
真っ黒い人影で、帽子のようなものを被っていた。
その顔は見えず、ただ赤い踏切灯に照らされて口だけが歪んでいた。
笑っていた。
私は目を背け、必死に足を動かし、踏切を駆け抜けた。
*
家に着いても、まだ心臓の鼓動は収まらなかった。
靴を脱ごうとして気づいた。
靴の先がどこか湿っている。
見ると、靴の底に暗い油のようなものがべっとりとついていた。
手で払おうとした瞬間、部屋の奥でガタリ、と音がした。
振り返ると、廊下の突き当たりの暗がりに、さっきの踏切の向こうにいた人影が立っていた。
帽子を被ったまま、こちらを覗き込むように。
「……ちゃんと 来て」
低い声が、頭の中に直接響いた。
瞬きした隙に、その影は消えていた。
けれど、廊下の床には靴底についたのと同じ黒い油のような跡が、玄関から奥へ続いていた。
まるで、私の部屋に入ってきた足跡のように。
*
それからというもの、夜になると家の中で踏切の音が聞こえる。
カン、カン、カン……
どこからともなく赤い光が差し込み、床や壁に影を作る。
もう外だけではない。
今は家の中にも、あの踏切が続いている気がする。
いつかまた、あの声が「乗って」と囁いたとき、もう逃げられないのだろう。
昼間は農家の軽トラックや自転車が静かに通るだけで、周りは田畑ばかりののどかな場所だ。
けれど、この踏切には奇妙な話がある。
「夜中に踏切が鳴ったら、絶対に止まるな」
小さい頃からそう言われて育った。
夜の列車などとっくに運行していないはずなのに、踏切がカンカンと鳴り出すことがある。
その時に立ち止まったり、周囲を見回したりすると――
連れていかれるのだと。
*
仕事帰り、終電を逃し、酔いを覚まそうと歩いて帰った。
夏も終わりかけで、夜風は少し涼しく感じられた。
薄暗い道を抜け、ふと気がつくといつもの道を外れ、あの踏切の前に立っていた。
おかしい。
普段は避けて通る道なのに、なぜか自然と足が向いてしまっていた。
「……まぁいいか」
そう思って踏切に差し掛かった時だった。
突然、静寂を裂くように踏切の警報音が鳴り響いた。
カン、カン、カン……
赤いライトが点滅し、遮断機がゆっくり降りていく。
私は思わず立ち止まった。
この時間に列車が通るはずはない。
頭の奥で小さい頃の祖母の声がよみがえった。
「夜中に踏切が鳴っても、絶対に立ち止まっちゃいけないよ。どんな音がしても、前を見て歩きなさい。」
心臓が早鐘を打った。
足を動かそうとしたが、膝が小刻みに震えて一歩も出なかった。
踏切の奥の闇から、ゴウッ……と風が吹いてきた。
その中に、車輪が軋むような音が混じる。
レールの上を何かが近づいてくる。
見えないのに、確かに感じる。
「……乗って」
誰かが囁いた。
すぐ耳元で。
慌てて顔を上げると、踏切の向こうに人影があった。
真っ黒い人影で、帽子のようなものを被っていた。
その顔は見えず、ただ赤い踏切灯に照らされて口だけが歪んでいた。
笑っていた。
私は目を背け、必死に足を動かし、踏切を駆け抜けた。
*
家に着いても、まだ心臓の鼓動は収まらなかった。
靴を脱ごうとして気づいた。
靴の先がどこか湿っている。
見ると、靴の底に暗い油のようなものがべっとりとついていた。
手で払おうとした瞬間、部屋の奥でガタリ、と音がした。
振り返ると、廊下の突き当たりの暗がりに、さっきの踏切の向こうにいた人影が立っていた。
帽子を被ったまま、こちらを覗き込むように。
「……ちゃんと 来て」
低い声が、頭の中に直接響いた。
瞬きした隙に、その影は消えていた。
けれど、廊下の床には靴底についたのと同じ黒い油のような跡が、玄関から奥へ続いていた。
まるで、私の部屋に入ってきた足跡のように。
*
それからというもの、夜になると家の中で踏切の音が聞こえる。
カン、カン、カン……
どこからともなく赤い光が差し込み、床や壁に影を作る。
もう外だけではない。
今は家の中にも、あの踏切が続いている気がする。
いつかまた、あの声が「乗って」と囁いたとき、もう逃げられないのだろう。
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