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第28話『路地裏の犬』
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くちなし町の駅近くに、古びた飲み屋やスナックが軒を連ねる細い路地がある。
夜になると、赤提灯がぼんやり光り、酔客たちの笑い声が途切れ途切れに響く。
私は仕事の帰りによくその道を抜ける。
人通りは少なく、狭い路地に残る油や酒の匂いは、どこかこの町の裏側を感じさせた。
*
ある晩のこと。
残業で遅くなり、終電間近に駅へ向かうため、その路地を歩いていた。
昼間の喧騒は跡形もなく、店の明かりもほとんど落ちていた。
そのとき、路地の奥に何かがいた。
街灯に照らされて、地面に長く影を伸ばしていた。
小さな犬だった。
黒い雑種のようで、痩せて肋骨が浮いていた。
夜に野良犬を見かけることは珍しくない。
けれど、その犬はじっとこちらを見ていた。
動かない。
息をしているのかすら分からなかった。
何気なく目を逸らし、また前を向くと――犬はいつの間にか目の前にいた。
まるで瞬きをした隙に移動してきたように。
私は思わず立ち止まった。
犬は動かず、ただ黒い目で私を見つめていた。
その目はどこか人間のようだった。
息を呑んで立ち尽くすと、犬の口が僅かに開いた。
そして――笑った。
人間のように口角を引き上げ、歯を見せて。
「……みつけた」
声がした。
犬のものとは思えない、低く湿った声。
私は恐怖でその場から動けなくなった。
次の瞬間、犬は細長い舌を垂らしながら、ぺたりと私の足元に座り込んだ。
背筋に氷のような冷気が走る。
「……ついて おいで」
声が頭の奥で響いた。
私は反射的に踵を返して駆け出した。
後ろから小さな爪音が追いかけてくる。
リズムよく、私の走る速さに合わせて。
やがて、後ろで何かがくぐもった声で笑った。
*
ようやく駅の明るい通りまで出ると、追いかけてくる気配はなくなっていた。
振り返っても、あの犬はいなかった。
胸を押さえ、必死に呼吸を整えた。
そのまま電車に飛び乗り、家に帰った。
玄関で靴を脱ぐと、靴下が泥で汚れていた。
床に細い犬の足跡がついていた。
私が歩いてきた泥とは違う、もっと黒く、ぬめりのある跡だった。
*
それから毎晩、夢にあの犬が出てくる。
真っ暗な路地で、私は立ちすくみ、その先に犬がいる。
犬は私に背を向けて歩き出す。
「……ついて おいで」
夢の中でだけ、その声がはっきりと聞こえる。
私は必ず、犬の後を追って歩き出してしまう。
気づけば、道はどんどん狭くなり、足元は泥に沈み込み、引き返そうとしても足が動かなくなる。
犬は振り返り、またあの笑みを浮かべる。
「……もう はなさない」
目が覚めると、決まって布団の上に黒い毛が数本落ちている。
*
最近、夜道を歩くと小さな爪音が背後からついてくる。
振り返っても誰もいない。
でも気配はすぐ近くにある。
そのうち、夢ではなく現実であの犬が「ついておいで」と言い出すかもしれない。
その時、私はもう逆らえずについて行ってしまうだろう。
そして二度と、家には戻れなくなる。
夜になると、赤提灯がぼんやり光り、酔客たちの笑い声が途切れ途切れに響く。
私は仕事の帰りによくその道を抜ける。
人通りは少なく、狭い路地に残る油や酒の匂いは、どこかこの町の裏側を感じさせた。
*
ある晩のこと。
残業で遅くなり、終電間近に駅へ向かうため、その路地を歩いていた。
昼間の喧騒は跡形もなく、店の明かりもほとんど落ちていた。
そのとき、路地の奥に何かがいた。
街灯に照らされて、地面に長く影を伸ばしていた。
小さな犬だった。
黒い雑種のようで、痩せて肋骨が浮いていた。
夜に野良犬を見かけることは珍しくない。
けれど、その犬はじっとこちらを見ていた。
動かない。
息をしているのかすら分からなかった。
何気なく目を逸らし、また前を向くと――犬はいつの間にか目の前にいた。
まるで瞬きをした隙に移動してきたように。
私は思わず立ち止まった。
犬は動かず、ただ黒い目で私を見つめていた。
その目はどこか人間のようだった。
息を呑んで立ち尽くすと、犬の口が僅かに開いた。
そして――笑った。
人間のように口角を引き上げ、歯を見せて。
「……みつけた」
声がした。
犬のものとは思えない、低く湿った声。
私は恐怖でその場から動けなくなった。
次の瞬間、犬は細長い舌を垂らしながら、ぺたりと私の足元に座り込んだ。
背筋に氷のような冷気が走る。
「……ついて おいで」
声が頭の奥で響いた。
私は反射的に踵を返して駆け出した。
後ろから小さな爪音が追いかけてくる。
リズムよく、私の走る速さに合わせて。
やがて、後ろで何かがくぐもった声で笑った。
*
ようやく駅の明るい通りまで出ると、追いかけてくる気配はなくなっていた。
振り返っても、あの犬はいなかった。
胸を押さえ、必死に呼吸を整えた。
そのまま電車に飛び乗り、家に帰った。
玄関で靴を脱ぐと、靴下が泥で汚れていた。
床に細い犬の足跡がついていた。
私が歩いてきた泥とは違う、もっと黒く、ぬめりのある跡だった。
*
それから毎晩、夢にあの犬が出てくる。
真っ暗な路地で、私は立ちすくみ、その先に犬がいる。
犬は私に背を向けて歩き出す。
「……ついて おいで」
夢の中でだけ、その声がはっきりと聞こえる。
私は必ず、犬の後を追って歩き出してしまう。
気づけば、道はどんどん狭くなり、足元は泥に沈み込み、引き返そうとしても足が動かなくなる。
犬は振り返り、またあの笑みを浮かべる。
「……もう はなさない」
目が覚めると、決まって布団の上に黒い毛が数本落ちている。
*
最近、夜道を歩くと小さな爪音が背後からついてくる。
振り返っても誰もいない。
でも気配はすぐ近くにある。
そのうち、夢ではなく現実であの犬が「ついておいで」と言い出すかもしれない。
その時、私はもう逆らえずについて行ってしまうだろう。
そして二度と、家には戻れなくなる。
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