婚約破棄はご褒美でした〜異世界でスイーツ職人始めます〜

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第一話:婚約破棄は突然に、でも私にはご褒美でした

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  燭台の灯りが幾重にも揺れる大広間は、宝石を散りばめたように輝いていた。
 壁には豪奢なタペストリーが飾られ、上方からは巨大なクリスタルのシャンデリアが光を降らせる。
 まるで夜空を閉じ込めたかのようなその場所に、今日集まったのは王都の名だたる貴族たちだった。

 けれど、今夜は舞踏会でも祝宴でもない。
 ――婚約破棄の儀。
 そんな不吉な響きの儀式を、王太子自らが執り行うのだ。

 私は、緊張と興奮が入り混じった空気の中、真っ直ぐ立っていた。
 濃紺のベルベットドレスは少し重たく、胸元には先祖代々の家紋があしらわれたブローチがついている。
 少し前なら、誇りに思ったその紋章が、今日は何故か遠いものに思えた。

「……エリシア・グランフォード公爵令嬢」

 高い壇の上に立つ王太子カイル殿下が、私の名を呼んだ。
 その瞬間、大広間の視線が一斉に私に集まる。
 金と銀の扇を半ば顔に当て、息を潜める令嬢たち。
 好奇心に目を光らせる貴族の紳士たち。
 ――誰もが、私が泣き崩れる瞬間を待っている。

「この婚約は、ここに破棄とする」

 朗々とした声が響き、シャンデリアの水晶が微かに揺れた。
 それは、この上なく冷酷で、私の未来を断ち切る宣告だった。

 ……もしも、前世の記憶がなければ。
 私は今ごろ膝から崩れ落ち、泣きじゃくり、彼に縋りついていただろう。

 だけど。

「……まあ、それは光栄ですわ、殿下」

 私はそっとスカートを摘み、優雅に一礼してみせた。
 にこり、と唇の端を上げる。
 胸の奥がひどくすうっとした。

「……なっ」

 周囲が、ざわり、と波打つ。
 膝が砕け散ったような小さな悲鳴。
 慌てて顔を背ける友人。
 私を蔑んでいた令嬢が、心底気味の悪いものを見る目でこちらを見た。

 けれど、私はそんな視線など何とも思わなかった。

「これまでのご縁には感謝いたしますわ。どうぞ、これからはお好きな方と……どうぞお幸せに」

 言葉を紡ぐ自分の声が、どこか遠くから響いているように感じる。
 こんなふうに、この場からも、王太子からも、そして私を息苦しく縛っていたものすべてから――
 解き放たれる瞬間を、どれほど待ち望んでいたことか。

「エリシア……お前……っ!」

 王太子の声には、驚きと、そしてほんの僅かな苛立ちが滲んでいた。

 私はその表情を、静かに見返す。

 ――貴方はきっと、一生私を思い出すでしょうね。
 でも残念ながら、私の心はもう遠くへ行ってしまったの。

 スカートを翻し、大広間を歩き出す。
 左右に並ぶ貴族たちが、まるで私に道を開けるように少しずつ退くのがわかった。
 まるで厄災から逃げるように。
 あるいは、底知れない何かを感じ取ったように。

 最後にそっと息を吐くと、胸の奥がふわりと軽くなる。

 ――これで、ようやく自由だわ。

 もう王都の陰湿な噂話に怯える必要もない。
 同盟や家柄を天秤に掛けられることも、兄に代わって一族の面子を守るために微笑み続ける必要もない。

 私はただ、自分のために生きる。
 粉雪のような小麦粉を計り、バターを練り込み、卵を割る――
 甘い甘い、幸せの香りに包まれる未来が、すぐそこまで来ている。

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