『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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第2話:天然令嬢、恋のフラグに全力スルーする

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 ゼフィリア・リューデルは、目の前に立つ壁に困っていた。
 壁と言っても、それは感情の壁ではない。本当の意味での――物理的な壁だった。

「……あれぇ? こっちって、講義室じゃなかったかしら……」

 アルファート王立学園・第一日目。
 ゼフィリアは、初等騎士訓練棟と文官棟をまんまと間違え、教室とは真逆の方角へ迷い込んでいた。

 校内地図もあるにはあったが、なぜか彼女の手元のそれは「カエルの落書き」で埋まっていた。原因は、朝、弟が間違って貸したものだ。

 

「困ったわねぇ。遅刻しちゃうかも……」

 そう呟きながら、ゼフィリアはしゅんと肩を落とした。
 その瞬間――背後から優しくかかる声があった。

 

「ゼフィリア。そんなところで何をしているんだい?」

 振り返れば、まばゆい銀髪と柔らかな微笑み。
 王太子エリオン・アルファートである。

「あら、エリオン。あなたも迷子?」

「違うよ!? 僕は教室に戻る途中で、君があらぬ方向に進んでるのを見かけただけだよ」

「なるほど。エリオンってば、さすが偉いわねぇ」

「……うん、それは……ありがとう……」

 彼はほんのり顔を赤らめた。
 だがゼフィリアは、まるで深い意味を感じ取ることなく――まるで小動物を褒めるように、王太子を見上げていた。

 (やっぱり……彼女、何も気づいていない)

 心の中でエリオンは溜息をついた。
 昨日、再会できたときは嬉しかった。けれど今日、あらためて知る。

 ゼフィリアは――天然を越えて、恋に関しては無知すぎる。

 

 エリオンは思い切って、距離を詰めた。

「ねぇ、ゼフィリア。久しぶりに、手でも繋いでみようか?」

「えっ? どうして?」

「……え? あ、いや……その……君が転びやすいから、ってことで……」

「ああ、なるほど! 気が利くわねぇ、さすがエリオン! お願いするわ!」

 ぱしっ。

 手を繋がれたことに、ゼフィリアはにっこりと満面の笑みを浮かべる。

 (あああああ!! そうじゃない!! 僕はそういう“お世話モード”で繋ぎたかったんじゃない……!)

 心の中で、エリオンの胃はキリキリと音を立てた。

 

◆ ◆ ◆

 

「……手を繋いだ?」

 屋上で、エリオンは昼食を食べながら騎士団教官アシュレイに報告していた。
 もちろん、心のモヤモヤを誰かに聞いてもらいたかったからだ。信頼できる男に。

「彼女、何も疑わずに、ただの“お世話感覚”で喜んで……」

「……それは……あまりにも可哀想だな」

「誰が?」

「お前が」

 アシュレイはパンをかじる手を止めずに、淡々とした口調で言った。

「だが……理解はできる」

「え?」

「私も昨日、彼女の落としたハンカチを拾った」

「へえ」

「彼女は、こう言った。“ありがとう、まるで落ち葉を拾ってくれたお庭番みたい”」

「……まるで風景の一部のような扱いだね……」

 沈黙が流れた。

 二人とも、共通の悩みを抱えていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 一方その頃――学園の図書室では。

 クラヴィス・フォン・ネイアは、難解な政治史の書籍を読みながらも、視線の片隅でゼフィリアを捉えていた。

 彼女は、図書室の一角で一冊の本を持ったまま――ページを一切めくらずに寝落ちしていた。

「……またやってるのか、あの子は」

 それでも、誰も咎めない。
 それが“ゼフィリア”という存在だった。

 

 クラヴィスは静かに立ち上がると、彼女の隣に座る。

「本、落とすぞ」

「んにゃ……はっ、えっと、寝てません!」

「全力で寝てたね。いびきついてたよ?」

「そんなっ……おしとやかな令嬢としての尊厳が……!」

「もともとあったの?」

「ひどいわっ!」

 ゼフィリアがむくれると、クラヴィスは珍しく声を出して笑った。

 

 (……まあ、こういうのも悪くない。少なくとも、あの王子様や騎士様より、俺のほうが彼女の素に近づけてる気がする)

 彼はそう思いながら、彼女の隣にもう一冊、本を差し出した。

「これは、読みやすい。恋愛小説だ。君でも楽しめると思うよ」

「ありがとう、クラヴィスって親切ねぇ。……って、“恋愛”? わたし、読めるかしら?」

「(そこからか……)」

 胃が、きゅっと痛む音が聞こえた気がした。

 

──つづく
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