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新章・王宮編
第46話:夜の誓い、焔の盾が傍に在る
しおりを挟むリューデル邸にて、夜の帳が静かに降りる頃。
ゼフィリアは応接間の一角に設えられた小さな書斎で、今日もまた新たな制度提案書を推敲していた。
だがその指は、ここしばらく続く過度な緊張からか、僅かに震えていた。
――記録庫で渡された旧文書。
――そこに記されたリューデル家の不名誉な影。
――そしてエリオンから託された「政治結婚の対案」という重責。
(大丈夫。私は、何度でも立ち向かうと決めたのだから)
けれど人の心は、理屈だけで立ち続けられるものではない。
不意にノックが響く。
「ゼフィリア嬢、失礼する」
扉を開けて入ってきたのは、アレクシスだった。
漆黒の騎士服に銀の飾緒がきらりと光る。その立ち姿は、剣そのもののように研ぎ澄まされている。
「……本当に、ここに?」
「王命だ。今日からこの屋敷に常駐し、お前の護衛をする」
「でも、それは……」
「嫌か?」
低く、けれどどこか冗談めかした声に、ゼフィリアは首を横に振った。
「いいえ。ただ、アレクシス様にまで私のことで重荷を背負わせてしまうのではと……」
「馬鹿を言うな。俺がここに居るのは、殿下の命令だからだけじゃない」
彼はふいにゼフィリアの前に進み出て、その目を真っ直ぐに見つめた。
「お前がどう思おうが、俺は“自分の意志”でここに居る」
「……」
「思い出せ。お前がまだ屋敷の外に出るのも怖がっていた頃、
護衛の俺がどれだけ腹を痛めたか」
「それは……昔の話です」
「いや、今でも同じだ。お前は確かに強くなった。
だがな、その強さは誰かに見せるためのものじゃない。
お前が“お前らしく”立つために在るものだ」
ゼフィリアは思わず視線を落とした。
それをアレクシスは優しく、しかし逃がさぬように顎先をそっと指で持ち上げた。
「ゼフィリア」
「……はい」
「この先どれだけ陰謀に晒されようと、どんな過去を暴かれようと、
俺はお前を護る。王妃になろうがなるまいが、それは関係ない」
「……どうして、そこまで……」
「簡単だ。俺は、お前が――」
アレクシスは言葉を切り、息を少し整えるように間を置いた。
「……いや。今はまだ言うまい。
だがこの焔が、お前の傍に在り続けることだけは、覚えておけ」
その言葉は、焔のごとく熱を含んで胸に突き刺さった。
◇ ◇ ◇
護衛が本格的に付いたことで、リューデル邸の動きは大きく変わった。
屋敷の門には王宮近衛の紋章旗が掲げられ、騎士たちが交代で警備を固めている。
使用人たちも最初は戸惑いを隠せなかったが、アレクシスの的確な采配で、やがて平穏を取り戻した。
「……少し、静かになりましたね」
夕方のテラスで、ゼフィリアは一息ついていた。
「それは“何かが動いていないから”じゃない。“動くのを、待っているから”だ」
近くに立つアレクシスが、冷徹な目で庭を見渡す。
「奴らはお前の“過去”だけじゃなく、“今”をも汚そうとしている。
それを防ぐためには、俺たちが先に動くしかない」
「先に、ですか?」
「お前の提案書。あれを提出する前に、必ず仕掛けてくる。
書庫を襲うか、あるいは屋敷の中に偽の証拠を紛れ込ませるか……」
ゼフィリアはそっと胸元に手を置いた。
そこには、王政法規に基づき纏めた対案の下書きが仕舞われている。
(これが完成し、殿下に届けば……必ず、この国は変わる)
それを阻もうとする者が、必ず現れる。
「ならば、守ります。私も――誰かの背に隠れるだけではなく」
「お前……剣も持ったことがないくせに」
「剣は持てませんが、心は折りません」
アレクシスは吹き出すように息を吐き、そして肩をすくめた。
「強いんだか、脆いんだか……」
「脆くはありません。貴方がいる限りは」
「……!」
一瞬だけ、普段は鉄面皮の騎士の目が揺れた。
そのわずかな隙を、ゼフィリアは見逃さなかった。
「アレクシス様。夜、少しだけ話を聞いていただけますか?」
「いいだろう。護衛が目的だが……それ以上の時間も、お前にくれてやる」
◇ ◇ ◇
夜。月の光が降り注ぐ中庭。
ゼフィリアとアレクシスは、灯りを落としたテラスで向かい合っていた。
「どうしても、今夜でなければならなかったのです」
「……?」
「私、自分の中にずっと決めかねていたことがあります」
「決めかねていた?」
「はい。私はこれまで、殿下のために、家のために、自分自身の誇りのために、色々なものを選んできました。
けれど一つだけ、まだ選び切れずにいたことがあるのです」
「……」
「アレクシス様。貴方は、私に何度も言葉をかけてくれました。
護るだけじゃなく、“選んでほしい”と」
その言葉に、アレクシスの手がわずかに拳を握る。
「――それで?」
「私は、まだ殿下のことを……尊敬しています。憧れています。
けれど、貴方がそばにいるときだけ、どうしようもなく心が騒ぐのです」
アレクシスは驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には低く笑った。
「馬鹿だな、お前は。そんな曖昧な言葉を、俺は待ってたんじゃない」
「……!」
「だが、それでもいい。今のその顔を見たら、もうどうでもよくなった」
そう言うと、彼はゼフィリアの肩を抱き寄せ、そっと額を触れ合わせた。
「これが、俺の誓いだ。
お前が誰を選ぼうと、何を選ぼうと、俺はお前を守り続ける。
それがたとえ、俺自身を選ばないという結末でも――だ」
「……っ」
ゼフィリアは堪えきれずに、そっと目を閉じた。
この温度が、これほどまでに胸を満たすとは思わなかった。
焔のように熱いのに、痛くない。むしろ穏やかで、怖いほどに心地よい。
(私はまだ決め切れない。けれど、この人がいなければ、きっと今の私はいない)
だからこそ。
「ありがとうございます、アレクシス様」
小さく囁くように、その名を呼ぶ。
それだけで十分だった。彼はもう、それ以上何も望まず、ただ黙って抱き寄せた。
焔の盾が、確かに彼女の傍に在る。
それが、どれほど強い誓いよりも、今は確かな証だった。
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