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新章・王宮編
第47話:疑念の渦、白百合の宴に潜む刃
しおりを挟む王都中心にある公爵家の離宮。その壮麗な庭園を彩るのは、一面の白百合だった。
その香りは、初夏の風に乗ってほのかに甘い。
本日は、王妃候補たちを称える祝賀を兼ねた《白百合の宴》。
王政顧問や貴族会議の長老たち、そして各家の令嬢令息が顔を揃え、誰もが笑顔で盃を交わす。
しかし、その微笑の奥には、決して穏やかとは言い難い気配が蠢いていた。
◇ ◇ ◇
ゼフィリア・リューデルは、薄青のドレスをまとい静かに立っていた。
周囲の貴婦人たちからは羨望とも冷笑ともつかぬ視線が注がれている。
――中間審査での第一位。
その結果が、彼女の立場を劇的に変えたのは言うまでもない。
リューデル家は依然として大貴族とは言えぬ地位にある。
それゆえ、この場で彼女の姿が誰よりも注目を集めることが、いかに多くの神経を逆撫でするかは明白だった。
「リューデル令嬢。中間発表は見事でしたわね」
声をかけてきたのは、ローゼンハイン家のサビーネだった。
柔らかな微笑を浮かべながら、指先で扇を打つ仕草は優雅そのもの。
けれどその瞳には、冷たい光が宿っている。
「ありがとうございます。ですが、まだ何も決まっておりません。これからが本当の勝負です」
「まぁ……真面目でいらっしゃるのね」
サビーネは楽しげに笑い、くるりと身を翻した。
「でも、気をつけて。貴女がこのまま“無垢”でいられるならいいけれど――
この宴には、思わぬ“刃”が忍び込むこともありますもの」
その言葉にゼフィリアは眉をひそめるが、何も言い返さなかった。
笑顔の奥に潜む本音――その毒を、今は無理に解き明かす必要はない。
◇ ◇ ◇
庭園の奥。白百合の花壇の間をそっと抜け、ゼフィリアは人気の少ない小径へ歩を進めた。
そこは宴席の華やかさが嘘のように静まり返っている。
すると、背後から小さな足音。
「ゼフィリア様」
振り向けば、そこに立っていたのはレオナールだった。
「……レオナール様。まさかこの場にいらっしゃるとは」
「学園代表の随行だよ。僕もこういう公的な宴に呼ばれるようになった」
少し自嘲気味に笑いながら、レオナールはゼフィリアに近づく。
「さっき、君に話しかけてきたローゼンハイン家の令嬢……あれは、あまり気を許さないほうがいい」
「分かっています。けれど、この場でむやみに敵を作るわけにもいきません」
「そういうところだよ、ゼフィリア」
レオナールは少し俯き、低い声で続けた。
「君は、自分がどれだけ人の目を惹きつけるのか、自覚がない。
だからこそ、誰も君を放ってはおけなくなる」
「……それは、お褒めの言葉でしょうか?」
「違う。君はもっと警戒すべきだって言ってるんだ」
真剣な声音に、ゼフィリアは目を見張った。
「僕が護れるのは、昔みたいに学園の中だけじゃない。
今の君は、もっと大きな場所に立とうとしている」
レオナールの瞳には、戸惑いと、それ以上の決意が宿っていた。
「だから……誰かに守ってもらうだけでなく、自分のために誰かを選べよ。
そうしないと、僕は――」
そこまで言って、彼は言葉を飲み込んだ。
「……いや、やめておこう。今言っても仕方ないことだ」
「レオナール様……」
「でも一つだけ覚えておいて。君のためなら、僕は何だってする。
誰が相手でも、何を犠牲にしても」
その声音は優しく、それでいて恐ろしいほどに真剣だった。
◇ ◇ ◇
再び賑わいの中へ戻ると、別の波紋が広がっていた。
「何ですって? リューデル家の書簡に“不正署名”の疑いが?」
「本当らしいわよ。王政局から調査官が来ているって話だもの」
あからさまにゼフィリアを見ながら囁く令嬢たち。
(来た……)
ゼフィリアは小さく息を整えた。
(必ず来ると思っていた。私を落とすなら、正面からではなく“疑念”を用いると)
彼女は視線を上げ、まっすぐに進んだ。
その先に見えたのは、王政局監査官の紋章をつけた初老の男。
「リューデル令嬢。少々お話を伺いたい」
「承知しました」
顔色一つ変えずに頷く。周囲が息を呑む気配が伝わってくる。
◇ ◇ ◇
宴席から少し離れた控室。
「こちらの文書、確かに貴女の家から提出されたものですね?」
「はい。ですが、その署名に偽造の疑いがあると?」
「残念ながら。幾つかの筆跡鑑定で“不一致”が出ておりましてな。
もちろん、正式に王宮書庫に残る印影とは照合予定ですが――この疑念は、大きな痛手です」
「分かっております。どうぞ徹底的に調べてください」
毅然とした態度に、監査官が少し目を細めた。
「恐れ入ります。これが無実であるなら、すぐに晴れることですので」
やがて監査官が去ると、ゼフィリアはそっと椅子の背に手をついた。
(大丈夫。これまでのすべてを二重三重に確認してきた。
不正などあるはずがない。あるとすれば――“誰かが”仕込んだもの)
それを証明するためには、まだやるべきことが山ほどあった。
◇ ◇ ◇
夜更け。宴も終わり、リューデル邸に戻る馬車の中。
「疲れただろう」
同乗していたアレクシスが、柔らかく声をかける。
「少しだけ……でも、平気です。むしろ、覚悟が決まりました」
「疑念に潰されるくらいなら、初めから王妃など目指さないほうが楽だぞ」
「それでも、私は進みます。殿下と、そして……私自身のために」
その言葉に、アレクシスは目を細め、微かに唇の端を上げた。
「そうか。なら、俺はもっと強くなろう。
お前が選ぶ未来を守り切れるだけの、焔になる」
ゼフィリアは静かに頷いた。
疑念の渦は確かに渦巻いている。
白百合の宴で向けられた無数の視線、その中に確かに刃が潜んでいた。
けれど彼女の傍には、焔の盾があった。
それがある限り――どんな影にも、決して屈しはしない。
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