『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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新章・王宮編

第67話:交わした沈黙、その瞳に映る決意

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 春祭りからしばらく経ち、王都の熱気は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
 街角の露店が片付けられ、広場にはまたいつもの市場が戻る。

 けれど人々の顔にはどこか晴れやかな余韻が残っていて、それがゼフィリアにはとても愛おしく見えた。

(あの笑顔は私たちが進めてきた改革がつくったもの。
 それは確かに私が選んだ未来の証)

 そう胸に刻むたび、誇らしさと同じ強さで胸が痛んだ。

     ◇ ◇ ◇

 その日、ゼフィリアは王宮の執務室で書類を束ねていた。

 エリオンは対面で筆を走らせながら、ときどき視線を上げてこちらを見る。

「ゼフィリア」

「はい?」

「最近……よく笑うようになった」

 不意にそんなことを言われ、ゼフィリアは少し戸惑う。

「そう……でしょうか?」

「君は自分で気づかないだけだ。
 以前よりずっと柔らかい顔をしている」

 そう言ってエリオンは小さく微笑む。

「君がこの国を支えてくれることが、どれだけ私の救いか。
 そして……君が笑ってくれることが、どれほど私を救うか」

 ゼフィリアは胸が熱くなるのを感じた。

(この人と国を選んだ。それは絶対に間違いじゃない)

 それでも同じ場所で、痛みがまた小さく脈を打つ。

     ◇ ◇ ◇

 夜、リューデル邸。

 窓辺で夜風を受けながら、ゼフィリアは静かに目を閉じていた。

(私は殿下と歩む未来を選び、この国の民を守ることを選んだ)

 その決意は誰よりも強い。
 だからこそ、この胸の痛みを消そうとは思わなかった。

(アレクシス様を想うこの痛みも、私の一部だから)

 それは罪ではなく、弱さでもなく、自分という人間をつくっている大事な欠片。

 誇りと痛みが同じ場所にあるのなら、それを抱えて生きていこうと決めていた。

     ◇ ◇ ◇

 翌朝。

 邸を出ようとしたところで、黒い軍装の姿が目に入った。

「……アレクシス様」

「王宮へ向かうのか」

「はい。今日は商業会議がございます」

 そう答えたゼフィリアの顔をじっと見つめ、アレクシスはわずかに視線を細めた。

「疲れが顔に出ている」

「そうですか?」

「誤魔化すな。お前は自分が思うよりずっと顔に出る」

 その言葉に、ゼフィリアは小さく息を吐いた。

「……私、殿下の前では平気なのです。
 でも、アレクシス様の前では駄目です。全部顔に出てしまう」

「そういうものだ」

 そう言ってふいに近づき、ゼフィリアの頬に触れる。

 冷たい手袋越しなのに、その奥から体温が伝わる気がした。

「痛むか」

「……少しだけ」

「なら、それでいい」

 短い言葉。それなのに胸の奥が苦しくなる。

     ◇ ◇ ◇

 二人はしばらく何も言わず、ただ沈黙を交わした。

 ゼフィリアは目を閉じて、そっと額を預ける。

「こうしていると……何も考えなくて済みます」

「考えなくていい時くらい、俺の前でだけそうしてろ」

「……わかりました」

 夜明け前の薄い光の中、二人はただ静かに寄り添った。

     ◇ ◇ ◇

 その後、馬車で王宮へ向かう道中。

 ゼフィリアは胸に手を置き、小さく微笑んだ。

(あの沈黙の中で、私はまた一つ決意できた気がする)

 愛していると伝えたあの日から、何かを変えたわけじゃない。

 けれど、痛みも誇りも全部自分だと受け止めることで、少しだけ強くなれた。

(これから私は――)

 誰かを愛しながら、別の誰かと国を治めていく。

 それは誰にとっても綺麗な物語ではないかもしれない。
 でも自分に嘘をつかずに生きると決めた。

(いつかこの痛みが私をもっと強くしてくれる。
 その時、私は今よりもっと大きく殿下を支えられるはず)

 そしてその胸の奥には、必ずあの人への想いも生き続ける。

 それが自分という人間の形なのだと、やっと確かに思えた。

 小さく息を吸い、ゼフィリアは未来へ向かってまた歩を進めた。
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