『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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新章・王宮編

第92話:涙を力に変えて、選んだ道を歩き続ける

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 王都の春は完全に満開だった。

 街角には色とりどりの花が咲き乱れ、商人たちの屋台は賑わいを見せ、子どもたちは手を繋いで小さな輪を作り、花冠を頭に載せて歌を口ずさんでいた。

 それを眺める大人たちの顔にも自然と笑みが浮かぶ。

(この街の笑顔は、殿下と私が選んだ未来の結果)

 ゼフィリアは馬車の中からそんな風景を見つめていた。

(誇りに思う。心から……でもやっぱり、胸の奥はまだ痛い)

 アレクシスを愛したまま、それでも殿下を選んだ自分。

(それを罪だとはもう思わない。
 この痛みは私が選んだ生き方の証だから)

     ◇ ◇ ◇

 王宮の執務室には次々と書類が運び込まれていた。

 国境からの交易申請書、地方領主の財政報告、王都の治安隊配備案――
 どれもがこの国を一歩先へ進めるための礎。

 ゼフィリアはそれらに目を通し、必要があれば細かな朱を入れていく。

(私は殿下の未来を支えると決めた)

 どれだけ痛みを抱えていても、それを理由に手を止めたくなかった。

「ゼフィリア」

 エリオンが優しく声を掛ける。

 顔を上げると、殿下は少し疲れた顔をして、それでも柔らかく笑っていた。

「この国は君のおかげで、随分遠くまで歩けるようになった」

「殿下……それは違います。
 殿下がこの国を導いたからです。私はその隣にいただけ」

「いや、君が隣にいたからこそ、私は歩けたんだ」

 胸が詰まった。

(殿下はいつも私の痛みを分かっていて、それでも私を信じてくれる)

「殿下……私はこれからも痛いままです。
 でもそれでも、殿下とこの国の未来を選びます」

「分かっている。だから私は君を誰より信じている」

 自然と目から涙が零れた。

 でももう、恥ずかしくはなかった。

(これが私だから。痛くて泣き虫で、それでも誇りに思える私)

     ◇ ◇ ◇

 夜。

 リューデル邸の庭園には白い花が満開だった。

 夜風がそれを揺らし、かすかに甘い香りを運んでくる。

(この庭でどれだけ泣いてきたんだろう)

 殿下を選び、未来を選び、アレクシス様を愛した自分を許した夜。
 泣きながら決めてきた夜ばかりだった。

(でもそれでいい。泣いたぶんだけ私はちゃんと選んできた)

     ◇ ◇ ◇

 「また泣きそうな顔をしてるな」

 低く響く声。

 振り返れば、やはりそこには黒い軍装の騎士がいた。

「……アレクシス様」

「泣かないって決めたんじゃなかったのか」

「はい……でも、やっぱり私は泣き虫です」

「そうだな。泣き虫で弱いくせに、一番しぶとく立ち上がる女だ」

 そう言って髪に触れる手が優しくて、胸の奥がまた痛んだ。

「お前はこれからも痛いまま生きろ。
 殿下の未来を選び、俺を愛したまま泣き虫でいろ」

「……はい」

 自然と涙が零れた。

「泣け。泣いた分だけまた立てる。
 そしてまた殿下の未来を歩け」

「……ありがとうございます」

 零れる涙は悲しみだけじゃない。

(この痛みがあるから私はちゃんと愛している。殿下も、アレクシス様も)

     ◇ ◇ ◇

 「私はこれからもずっと痛いままです。
 でもそれを恥じません。それが私の生き方だから」

「分かってる。
 それがお前だ。そして俺がずっと誇りに思うお前だ」

 強く抱き寄せられた。

 冷たい甲冑の硬さが胸に当たるのに、それが一番温かく感じた。

     ◇ ◇ ◇

 夜空にはもう夏の星が微かに滲み始めていた。

(私はこれからも泣き虫なまま生きていく。
 痛いままで、それでも殿下の未来を選び、アレクシス様を愛して)

 その全部を抱いてまた歩き出す。

(涙を力に変えて、何度でも選んでいく。
 それが私――ゼフィリア・リューデル)

 そっと目を閉じ、小さな微笑みを浮かべた。

(痛みも涙も全部、誇りにして。
 これからも、ずっと――)
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