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第六章 王立学院サフラン・ブレイバード編

第120話 思いは皆バラバラで

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---ライネル視点---

 
 揺さぶられた衝撃で脳が目覚めた。
 視界良好。
 蝋燭の火はまだ消えていない。
 目の前には髪の長い女の子。

 「よかった…!本当に…」

 泣きじゃくるミラにひんやりとした細腕で抱き締められた。
 一気に体温が下がった。
 でも、心は温まった。

 「どうしてここに…ってのは野暮なのかな?」

 聞くまでもない。
 助けに来てくれたんだろう。

 「ええ、あなたの帰りがあまりにも遅いから飛んで来たのよ」

 「ミラだけか?」

 「……」

 ミラに睨まれた気がする。

 「違うから!単に、単独で乗り込んできたならヤバいだろって話!」

 「ああ、そゆことね。それなら心配いらないわ。今、外でテオネスがメリナとかいう女と戦ってる。スレナも協力してくれてるから、逃走時間は稼げるはずよ」

 そう言って俺を軽々しくお姫様抱っこするお姫様。
 凄い力だ。
 俺って寸胴体型なようで実は筋肉質だから、体重はかなり重いはずなのに。
 
 「リードとルリアは何処にいるかしら?」

 「ふぇ?」

 リードとルリアも捕まってるのか。
 何故?
 いや、理由はミラ達と同じだろう。
 本当に申し訳ない。

 「手当り次第探してみよう。というわけで、そろそろ降ろしてくれると嬉しいな」

 「じゃあライネルが私をお姫様抱っこして」
 
 「いいよ」

 今度は俺がミラをお姫様抱っこした。
 そのまま扉を蹴破り、長い廊下をひた走る。
 ここは地下だ。
 俺の監禁部屋だけ特注である模様。
 リードとルリアの部屋は恐らく中層にあるので、下層は無視して一気に階段を駆け上がる。
 途中、通路に投げ捨てられていた青楼の刃はミラが紐で括り取った。

 「ここか…!」
 
 中層。地下五階。
 メリナが愛してやまない玩具箱がここにある。
 必ず一人だけを入居させるその部屋は、超がつくほどの危険な調教室になっている。
 今は誰が入っているのか。
 それは、開けて直ぐにわかった。

 立派な装束を身に纏った男。
 貴族のような、では無い。
 貴族だ。
 それも、俺の友人であり、俺の義兄弟。

 「リード!」

 リードは首に縄をかけられていた。
 その身は針金で固定され、生殺与奪を握られた状態で椅子に座らせられていた。
 割れた爪に、全身痣だらけ。
 首筋には手跡がべっとりとついていた。
 リードは空虚な瞳で俺を捉え、微かに光が宿った。

 「間に合ったようだね…」

 「ごめん…じゃなくて。ありがとう」

 「こちらこそ…」

 俺はリードの拘束具を斬った。
 次はルリアだ。

 「ルリアは何処にいる?」
 
 「ついさっきまであの子もここに居たんだけど、僕が強制転移させて家に帰した。僕より痛めつけられたからね…」

 「そうか…」

 リード以上なんて想像したくない。
 無事帰れたら謝ろう。

 「乙星極おつせいきょく夭桃ようとう号哭ノ真珠星ごうこくのすぴか

 俺は深紅の魔力を身に纏い、ミラとリードに防御魔術を付与した。
 久しぶりに使用したせいか、魔力の色が濃い。
 黒ずんだ赤だ。

 「天井を突き破るのね」

 「ああ。この際、メリナ邸を消し飛ばす勢いで飛ぶ」

 俺は二人を抱えて、地上まで一気に飛んだ。
 何枚もの天井を貫き、建物が崩壊するほどの轟音が耳に入った。
 そして、最後の屋根を突き抜けて上空へ。
 外に出た。
 外に出てすぐ、重厚な空気が肺を圧迫した。
 新たなる酸素の供給を阻んだ。

 「待ってたぞ、ライネル」

 メリナは、近代的な天使を思わせる幻想的な姿形をしていた。
 頭上に浮かぶ金色の大時計。
 半透明な薄桃色の翼が六枚。
 見るもの全てを魅了する絢爛な羽衣。
 メリナから発せられる魔力は、今まで感じてきた現世の魔力とはまるで違っていた。
 燦然めいた景色すら塗り替えてしまうような、絶望的な重力を感じさせた。

 「容赦しませんから」

 俺はリードとミラを先に逃がした。
 メリナは追う素振りを見せない。
 俺から目を離さず、地面に倒れるテオネスの頭をぐりぐりを踏みつけていた。
 スレナは樹木に縛り付けられ、意識が無い。
 いつの日かリンドウ師匠に聞いた背水の陣という言葉は、今、この瞬間のために存在するのだろう。

 「うん。それでいい…」

 メリナは寂しそうにそう呟いて。
 俺の背後から手刀を振りかざしてきた。
 威力は凄まじく、咄嗟に剣でガードしたのに、上腕が筋断裂を起こし、肩甲骨にヒビを入れた。

 「ぐがっ…!」

 俺は音速で地面に叩きつけられた。
 呼吸ができない。
 無理やり深呼吸して、身体を起き上がらせた。

 「タフでいいな」

 メリナは、またしても俺の背後にいた。
 やがて、人影が細長く縦に伸びる。
 振り下ろされる。

 「つぇあッ!」

 俺は剣を全力で振り抜いた。
 しかし、メリナが背後にいたのは過去で、今はもういない。
 俺が振り抜いた剣の上に胡座をかいている。

 「理解したか?お前はもう逃げられないんだよ」

 「すみませんが、自分馬鹿なもんでちっとも理解できません。あんたを叩き潰して帰れると思ってます」

 「虚勢を張るな木偶の坊。その技は一撃必殺を旨とする隙だらけの欠陥品。師は教えてくれなかったのか?」

 メリナはこの技を知っているのか。
 まあ、リンドウ師匠が使用していたものだし有名なのだろう。

 「欠陥品なら俺が完全なものにするだけだ」

 視界を覆い尽くす剣撃の嵐。
 メリナが後方に転移した。
 予測不可能な攻撃は避けるらしい。
 いや……わざと戦闘を長引かせているんだ。
 実力差を知らしめんがために。

 「連星極!結想のッ━━━━!」

 俺は技を繰り出す直前で口を塞がれた。
 右手から剣が離れた。
 血流にもまれた魔力が硬直し、全身が凍りついて動けない。

 「それは受けられん」

 メリナの靴底が光って見えた。
 刹那、臓腑をぶちまけたような激痛が腹部を襲った。

 「ンンンンッ…!グガァアアァアアアア━━━━!」

 そうか。
 俺は光の速度で蹴られたんだ。
 メリナが遠のく。

 「ゴファ…!」

 鉄壁に叩きつけられた。
 バケツをひっくり返したような吐血をした。
 とうに致死量は越えている。
 何枚の壁を突き抜けたのか。
 俺はなぜ生きているのか。

 「脆い。脆すぎる」

 瞬きしたらメリナがいた。
 転移よりも早い速度で、眼前に現れた。
 どういう原理かは知らないが浮いている。
 神々しいくらい残酷な翼で、俺に鞭を振るった。

 「グハッ…!ゴッ…!」

 「痛いか?痛よなぁ。でも、わたしの心はもっと痛い」

 …ダメだ。
 体力は有り余っているのに魔力が空だ。
 思えば、出血が止まっている。
 治癒魔術をかけられたのか?

 なんて、悠長なことを考えている時間は、メリナにとって不愉快極まりないもの。
 俺は、メリナに首を踏みつけられた。

 「壊れない玩具おもちゃは玩具じゃない。玩具は消耗品でなければならない。完全を超えた究極に至るには、何度も痛めつけられ、嬲られ、縛り上げられ、空虚を纏いて混沌カオスを食わねばならない。そして、そこから昇華された存在を人々は勇者と呼ぶ。お前は壊れない。故に玩具じゃない。だからわたしは、お前を徹底的に痛めつける。素地が既に備わった卵は、必ず早く羽化する。将来的に、お前は誰よりも強く、わたしに比肩しうる可能性も秘めている。なのにお前と来たら生意気な口を聞くわ、わたしの身体に興味を示さないわ、才能に胡座をかいて鍛錬を怠った。姉さんと一緒だ。やっぱり血筋なのだな…」

 メリナは悲しそうな笑みを浮かべて。
 別空間から七色の長剣を取りだした。

 「あ……あぁ…」

 額が熱い。

 「もういい、目障りだ。死んでくれ」

 メリナが剣を振り上げた。
 もう終わりか。
 呆気なかったな…。
 無様過ぎるよ。

 「チッ…!」

 メリナが視界から消えた。
 いや、距離を取った。
 一体なぜ。
 その疑問はすぐに消えた。
 
 白いローブを身に纏った男が居たのだ。
 薄い緑色の髪を持つ、高価な片眼鏡をかけた男だ。
 彼は重装を帯びた大軍隊を背にして、杖を付いて立っていた。

 「そろそろウチの生徒を返してくれませんかね。メリナさん」

 「おまえェ…」

 睨み合う二人。
 伝説の魔術師と呼ばれるメリナに対して、一切臆することなくコルチカムは眼力を凄ませる。

 「少しでも彼を思う気持ちがあるのなら、この辺にした方がよろしいかと。焦りは禁物と言っていたのは貴方でしょう?」

 「時期が来たんだよ。お前にとやかく言われる筋合いは無い」

 「…は?だから、ウチの生徒だって言ってるでしょうが。彼の管理は僕が行う」

 「天穹守護てんきゅうしゅご風情が、一端な口を聞くな」

 話はまとまらず臨戦態勢に入った。
 思わず戦慄してしまうほどの高濃度な魔力が、大気中に溶けだしていた。

 「ライ…ネル?」

 耳元で声がした。
 女性の声だ。
 それも、この一年間で随分と聞き馴染んだ声だ。

 「セスティー先生?」

 「ああ…うん」

 俺はセスティーにぎゅっと抱き締められた。
 泣き喚かれて、ごめんごめんと謝られた。
 悪いのは、弱くて惨めな俺なのに。

 「おいセスティー。誰の何に触れてんだ?」

 メリナが発する濁り尽くされた声。
 その声を聞いた時、剃刀で首を掠め取られたような寒気が走った。

 「メリナさん。俺、もっともっと強くなります。子供みたいに、我武者羅に強さを求めます。貴方の理想には程遠いかもしれませんが、必ず、貴方を納得させてみせます」

 漠然的で現実味の無い話だ。
 でも、だからって諦めるものか。
 記憶に残ってんだよ。
 俗物的な理由で強さを求めていた俺に説教して、前へ前へと押し進めてくれた少女が才能を認めてくれたことを。
 ライネル・ティッカードという人間を形作ってくれたことを。
 きっと、彼女は未来を見ていた。
 俺よりもずっと、遥か先を見ていた。
 名前を聞けなかったあの日の続きが、そこにあった気がしたんだ。

 「だから、どうか…」

 俺は馬鹿だから、頭を下げることしかできない。
 みんなを助けて欲しいなんて、態度でしか示せない。

 「チッ…」

 メリナは不機嫌そうに背を向けた。
 その後、コルチカムが手を挙げて軍隊を整列させ、攻撃の意思がないことを遠回しに伝えた。

 「ご協力感謝します。メリナさん」

 「月に一度。貸せ」

 「もちろん。二度とこのような暴挙に出ないと誓って下さるのなら」

 「取引はしない。何をしようと私の勝手だ。でも…もう、ライネルが嫌がることはしない…」

 そう言い残し、メリナは突如発生した竜巻に包まれて消えた。
 住む家はどうするのだろうか。
 
 「よし。じゃあ帰ろうか!」

 コルチカムが態度をころっと変えて、右手に持つ長い杖を地面に突き刺した。
 杖は一度二度発光して、古代文字が羅列された帯を天に向かって無数に伸ばした。
 これにより極大の魔法陣が足元に出現。
 俺を含む、この場にいる全員が光に包まれた。
 戦いは終わった。
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