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4 山院の珠輝王
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後世、酒呑童子についての伝説は多い。
いわく、幼いころは絶世の美少年で、多くの女性から恋文を寄せられたが、そのすべてに目もくれず焼き捨てたところ、恋文の炎が若き酒呑童子にまとわりついて鬼と化した。
いわく、母の胎内にいるときより常人を越えた能力を持ち、16か月という長い時を経て世に生まれ出た時には、すでに言葉を話し大人のような頭脳を持っていた。
いわく、幼いころより人並み優れた能力と容姿を持っていたために傲慢であり、その性質を危惧した両親により早くから寺に預けられたが、山寺の稚児として過ごしているうち、彼を叱責した寺の住職を殴り殺して出奔し、比叡山や高野山などの高僧の暮らす聖山に逃げ込んだ。しかし、かの聖なる山に、最澄法師や弘法大師など尊い聖人が寺を築き、祈りをささげたためにその山を追いだされ、やがては大江山に移り住んだ。
いわく、酒呑童子は貴族のような風雅な趣味の持ち主で、大江山に彼が築いた館は素晴らしい寝殿造りの豪壮な屋敷であり、主の趣味の良さが一目でわかる素晴らしいものである。
だが、後に都の人々に「交野少将」「香具師少将」などと呼ばれることになる藤原の若君「珠輝王」が見た酒呑童子は、この時はどこまでも粗野な、文化人のかけらもない、粗野で豪放な男だった。
「てめぇが今業平とか光る君とか言われている摂関家の御曹司か」
彼が住まう寺の僧侶を殴り殺した「鬼」、酒呑童子は、茫然と衣を掻き寄せて座り込む貴公子を見下ろして、嘲笑った。
「噂にたがわぬ美童ぶりではないか。道理で、元服の歳をとうに越えながら、いつまでも寺の坊主共の稚児をやっているわけだ」
「……下郎が」
「おい、頭が高いぞ、『都落ち』の小僧が!!」
ひときわ体格の良い片腕の男が、いきなり珠輝王の背中を踏みつけて床に這いつくばらせた。酒呑童子は声を立てて嗤った。
「やめてやれ、いくら見捨てられたとはいえ、摂関家の末席に連なる小僧だ。珠輝王、だったか? 帝から名も賜っている高貴なお方だ、丁重に扱え」
丁重に扱え、と言われたとたん、背中に乗せられた重みがやわらぎ、珠輝王は跳ね起きようとした。その瞬間、草鞋を脱いだらしい裸足の足が、がつりと珠輝王の頭を踏みつけた。額と鼻を打ち付けて、目の前に火花が散る。
「箱入りの貴公子のわりに、良い動きをするなあ?」
「藤原の土御門の関白家は、家令に藤原保昌、朝家の守護として源頼光を置いている。彼らの薫陶を受けたこともあるのだろうよ」
「頼光か。保昌はともかく、頼光は娘ですらも『鬼姫』と呼ばれるほどの武勇を持つらしいからな」
髪をつかまれ、顔をあげさせられた珠輝王は、その言葉に目を見開いた。鬼姫、の呼び名に、かつて別れた美しい幼馴染の姿が閃いた。男勝りで気丈で、そのくせ、本当は繊細な優しい藤の花のような少女。美しいもの、かわいらしいものが好きで、それを守るために女性の身で剣を取った源氏の姫。
ぼくの、紅真珠の、姫武士。
「『鬼姫』? 頼光の奴は四天王などに我らを討伐させながら、自分も鬼を飼っているのか」
「頭、頼光の実の娘だそうですよ。末の四の姫だそうだが、男のようななりをして、剣を振るって盗賊を切り捨てる、弓を連射して百鬼夜行をも追い払う。挙句に、暴れ馬をも乗りこなす。並の男もかなわぬような武勇の、とんでもない醜女だそうだが」
「そうか? 男のなりをしているが、世に言うほどの醜さではないというがな。先日堀河の中納言邸に押し入ろうとした者共が、頼光の手のものと検非違使に追われて失敗したそうだが、その捕り物の中にその鬼姫がいたらしい。見た者に言わせると、藤の花の如きたいそうな美女だったそうだ」
富裕で知られる中納言邸に押し入った酒呑童子の配下の配下にあたる盗賊たちは、検非違使に阻まれ、せめて中納言邸の姫や北の方、女房たちを強奪しようと奥に駆け込んだが、そこで現れた一人の女官に阻まれた。現れたのは13、4の少女、翠の黒髪を一つに結い上げ、小袖の袖をきりりと結び、緋の袴を踏み抜いてたくし上げ、首に山伏の如く紅の真珠と翡翠でできた数珠をかけ、常のものよりやや短くしつらえられた太刀を刷いた美女。彼女が御簾の内より飛び出してきて、堀河中納言邸に押し入った盗賊団の前に立ちふさがったという。突如現れた艶やかなる美女の勇ましい姿に盗賊たちは驚き、美しき獲物が自ら手の内に飛び込んできたと侮って、御簾の奥で震えているだろう中納言邸の女たちをそっちのけに、彼女を取り囲んだ。しかし、その藤の花の如き美女は、美しい眉一つ動かさずに、取り囲む下郎と切り結び、とっては投げちぎっては投げ、縦横無尽の活躍で、応援の検非違使や中納言邸の侍たち、そして頼光の配下である四天王と侍たちが駆け付けるまで、見事に盗賊たちを打ち倒し、中納言邸の人々を守り切った。かなわじと見て逃げ出した盗賊の一人が、何とか重囲を切り抜けて逃れ、そしてその姫の話を盗賊仲間に伝えた。
首に紅真珠と翡翠の数珠をかけた、姫武士の話を。
いわく、幼いころは絶世の美少年で、多くの女性から恋文を寄せられたが、そのすべてに目もくれず焼き捨てたところ、恋文の炎が若き酒呑童子にまとわりついて鬼と化した。
いわく、母の胎内にいるときより常人を越えた能力を持ち、16か月という長い時を経て世に生まれ出た時には、すでに言葉を話し大人のような頭脳を持っていた。
いわく、幼いころより人並み優れた能力と容姿を持っていたために傲慢であり、その性質を危惧した両親により早くから寺に預けられたが、山寺の稚児として過ごしているうち、彼を叱責した寺の住職を殴り殺して出奔し、比叡山や高野山などの高僧の暮らす聖山に逃げ込んだ。しかし、かの聖なる山に、最澄法師や弘法大師など尊い聖人が寺を築き、祈りをささげたためにその山を追いだされ、やがては大江山に移り住んだ。
いわく、酒呑童子は貴族のような風雅な趣味の持ち主で、大江山に彼が築いた館は素晴らしい寝殿造りの豪壮な屋敷であり、主の趣味の良さが一目でわかる素晴らしいものである。
だが、後に都の人々に「交野少将」「香具師少将」などと呼ばれることになる藤原の若君「珠輝王」が見た酒呑童子は、この時はどこまでも粗野な、文化人のかけらもない、粗野で豪放な男だった。
「てめぇが今業平とか光る君とか言われている摂関家の御曹司か」
彼が住まう寺の僧侶を殴り殺した「鬼」、酒呑童子は、茫然と衣を掻き寄せて座り込む貴公子を見下ろして、嘲笑った。
「噂にたがわぬ美童ぶりではないか。道理で、元服の歳をとうに越えながら、いつまでも寺の坊主共の稚児をやっているわけだ」
「……下郎が」
「おい、頭が高いぞ、『都落ち』の小僧が!!」
ひときわ体格の良い片腕の男が、いきなり珠輝王の背中を踏みつけて床に這いつくばらせた。酒呑童子は声を立てて嗤った。
「やめてやれ、いくら見捨てられたとはいえ、摂関家の末席に連なる小僧だ。珠輝王、だったか? 帝から名も賜っている高貴なお方だ、丁重に扱え」
丁重に扱え、と言われたとたん、背中に乗せられた重みがやわらぎ、珠輝王は跳ね起きようとした。その瞬間、草鞋を脱いだらしい裸足の足が、がつりと珠輝王の頭を踏みつけた。額と鼻を打ち付けて、目の前に火花が散る。
「箱入りの貴公子のわりに、良い動きをするなあ?」
「藤原の土御門の関白家は、家令に藤原保昌、朝家の守護として源頼光を置いている。彼らの薫陶を受けたこともあるのだろうよ」
「頼光か。保昌はともかく、頼光は娘ですらも『鬼姫』と呼ばれるほどの武勇を持つらしいからな」
髪をつかまれ、顔をあげさせられた珠輝王は、その言葉に目を見開いた。鬼姫、の呼び名に、かつて別れた美しい幼馴染の姿が閃いた。男勝りで気丈で、そのくせ、本当は繊細な優しい藤の花のような少女。美しいもの、かわいらしいものが好きで、それを守るために女性の身で剣を取った源氏の姫。
ぼくの、紅真珠の、姫武士。
「『鬼姫』? 頼光の奴は四天王などに我らを討伐させながら、自分も鬼を飼っているのか」
「頭、頼光の実の娘だそうですよ。末の四の姫だそうだが、男のようななりをして、剣を振るって盗賊を切り捨てる、弓を連射して百鬼夜行をも追い払う。挙句に、暴れ馬をも乗りこなす。並の男もかなわぬような武勇の、とんでもない醜女だそうだが」
「そうか? 男のなりをしているが、世に言うほどの醜さではないというがな。先日堀河の中納言邸に押し入ろうとした者共が、頼光の手のものと検非違使に追われて失敗したそうだが、その捕り物の中にその鬼姫がいたらしい。見た者に言わせると、藤の花の如きたいそうな美女だったそうだ」
富裕で知られる中納言邸に押し入った酒呑童子の配下の配下にあたる盗賊たちは、検非違使に阻まれ、せめて中納言邸の姫や北の方、女房たちを強奪しようと奥に駆け込んだが、そこで現れた一人の女官に阻まれた。現れたのは13、4の少女、翠の黒髪を一つに結い上げ、小袖の袖をきりりと結び、緋の袴を踏み抜いてたくし上げ、首に山伏の如く紅の真珠と翡翠でできた数珠をかけ、常のものよりやや短くしつらえられた太刀を刷いた美女。彼女が御簾の内より飛び出してきて、堀河中納言邸に押し入った盗賊団の前に立ちふさがったという。突如現れた艶やかなる美女の勇ましい姿に盗賊たちは驚き、美しき獲物が自ら手の内に飛び込んできたと侮って、御簾の奥で震えているだろう中納言邸の女たちをそっちのけに、彼女を取り囲んだ。しかし、その藤の花の如き美女は、美しい眉一つ動かさずに、取り囲む下郎と切り結び、とっては投げちぎっては投げ、縦横無尽の活躍で、応援の検非違使や中納言邸の侍たち、そして頼光の配下である四天王と侍たちが駆け付けるまで、見事に盗賊たちを打ち倒し、中納言邸の人々を守り切った。かなわじと見て逃げ出した盗賊の一人が、何とか重囲を切り抜けて逃れ、そしてその姫の話を盗賊仲間に伝えた。
首に紅真珠と翡翠の数珠をかけた、姫武士の話を。
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