紅真珠の姫武士

五月野 翠

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6 酒呑童子

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「……嘘だ」
「嘘じゃねえ。今都には、道長と伊周の争いに敗れた伊周側の貴族が大勢いる。奴らからは財宝も女も捕り放題、だから俺たちもこうして勢力を伸ばしていられる」
「嘘だっ!! 返せ、その紅真珠をっ!! その真珠は朝廷に献上した真珠の残りだ、僕に帝御自ら『珠輝王』の名を授けてくださった! その真珠を見れば、今でも、きっと……道長殿が……!!」
「ほう? これは確かに見事な真珠だがなあ」

酒呑童子はにんまりと笑って、珠輝王の数珠を指先でくるくると回した。

「だが、たった一粒だけではなあ。確か貴様の父親は、荘園から上がる利益のほかに、香具師(商人のこと)共を率いて、ずいぶんと利益を上げていたそうじゃないか。この真珠はその名残か? これと同じような真珠は、もう持っていないのか?」
「……」
「答えぬか。所詮、何も知らぬ御曹司にすぎんか」

酒呑童子の腕が伸びて、珠輝王の襟首をつかんだ。片手だけで軽々と少年の体を引き上げて、その喉元にかけた手に、力を籠める。かは、と珠輝王の口から苦し気な吐息が漏れた。床に叩きつけられたせいで、鼻や口元から血が落ちている。そこに、ぼろぼろと涙が縞を書く。美貌を讃えられてきた貴公子とは思えぬ、哀れながら情けない姿である。

殺される。呼吸を奪われながら、その衝撃が珠輝王の全身を貫いた。殺される。このままでは殺される。この鬼どもがこれまで殺してきた下郎と同じように、何の価値もないまま、何もできないまま、殺される。

「ひ……い……いや……だ……」

吐息に混じって、かすかにこぼした本音を、酒呑童子だけが聞いていた。

ぱっと酒呑童子が手を開く。どう、と珠輝王の体が落ちて、板張りの床の上で跳ねる。首元で束ねた青いほどに黒い見事な髪は乱れてほつれ、白い秀麗な顔はあざができ、鼻血と唇の血と涙でひどい有様になっている。酒呑童子はそんな無様な貴公子をじっと見下ろしている。赤銅色の髪を振り乱し、巌のような険しい顔からは、何の感情も読み取れない。

酒呑童子を名乗り、鬼と恐れられる男にも、情けはあったのだろうか。冷たく硬い床の上でのたうちまわる少年の、もはや見る影もない美貌を見つめて、彼はかすかに考えるそぶりを見せた。酒呑童子の名をもつものは、彼で三人目である。この集団で最も強く最も残虐なカリスマ性を持つものが、頭として「酒呑童子」を名乗ってきた。この時代、決して寿命は長くはない。珠輝王と呼ばれる少年が、杖とも柱とも頼んでいた身内の中関白家の藤原道隆は、40代前半で亡くなっている。伝染病などで、若い貴族も簡単に世を去る。「人生50年」と謳われるのは、必ずしも戦国時代だけではない。

現在酒呑童子を名乗るこの男も、そろそろ50の坂を越えて、後継者を考える年齢になっていた。次の「酒呑童子」の最有力候補は、茨木童子だったが、その茨木童子は片腕を渡辺綱に切り落とされてしまった。片腕を失ったとはいえ、茨木童子の剛腕と気迫は相変わらず一味の中で群を抜いている。が、やはり全盛期と比べて、明らかに力が落ちている。

そして、現在の酒呑童子は、かなりの貴族趣味の持ち主だった。「賊」や「鬼」と蔑まれるが故だろうか。本拠としている大江山周辺ではなく、わざわざ都まで活動範囲を広げているのは、貴族の女性、それも男ずれしている下位から中位貴族の女官などではなく、もっと高位の姫を我がものにしたいという野望があったからである。それも、できれば美貌を讃えられる摂関家や高位貴族の、女御や更衣にもなれるような美女を手に入れたい。手あかのついていない世間知らずの高貴な花を、汚泥の底に叩き落して踏みにじる。散りゆく花の美しさはいかほどであろうか。

あるいは、この正体の知れぬ酒呑童子という男は、もとは都で藤原摂関家と権力を争った貴族の成れの果てであったのかもしれぬ。大江山に本拠を築き、険しい山中に見事な館を建て、そして、鬼と呼ばれて畏れられるほど幾度も都を狙うのは、失われたものを取り戻すためか、それとも、手を伸ばしても得られぬものを、奪い取ってでも得ようとしているためか。

そのためならば、使えぬコマでも用いるし、使えるものは使いつぶす。ゆえに、彼は「鬼」と呼ばれた。
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