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第六話 豊臣秀吉 ①

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山の中に馬の足音と石田正澄の大きな笑い声が聞こえる。

「さようか、さようか! 道頓殿と仲良くなったのだな! どうだ? 素朴な御仁であっただろう?」

正澄が平兵衛に尋ねる。

「……素朴な中に芯の強さを感じる」

と平兵衛は一言だけ返すと、石田三成が微笑み、

「であろうな」

と呟いた。

そして、正澄が
「さすが、平兵衛よ!」
と笑い声を山中に響かせる。
三成は正澄を窘めるように言う。
「もうすぐ、太閤様がいらっしゃる伏見の城。兄上は無礼のないようにな」
正澄は三成のストレートな物言いに少しだけ腹を立て
「私は堺奉行のときに太閤殿下とはずっと共にいたが何も咎められんかったわ。三成よ、貴様のそう言うところだぞ。皆からの信を得れぬのは」
三成は何も答えない。
険悪な空気が流れ始めるが、大坂で出会った少女が指を刺して、

「見て!」

と言う。

滝が流れ落ち、虹を映し出している。

「綺麗や」

少女が呟く。

平兵衛、三成、正澄、彼等の家臣は虹の美しさに言葉を失う。
正澄と三成はくだらないことで言い争っていた自分たちを恥じた。
三成は馬から降り、少女に目線を合わせて彼女の頭を撫でる。
「そなた、『道頓殿が太閤様の養女に』と平兵衛が連れてきた娘であるな?」

「うん!」
少女は頷く。

「大義であった。私は兄上に斬られてもも仕方ないほど無礼なことを言ってしまい、場の空気を乱した。お主はそれを救ってくれたのだ。礼を言う」
三成は深々と礼をした。
「礼として、太閤様の養女となれなくとも私がそなたの婿を探し、幸せになれるよう尽くしましょう」

彼がそう言うと、正澄はまた笑いながら
「案ずるな! 三成の物言いは幼少より変わらぬ! 兄上を窘める言葉ばかりで耳が取れそうだわ」
と言い、また場が和んだ。


一方の伏見城。

秀吉が辛そうに息をしながら布団の中で横になっている。
彼は病により、かつての太閤としての威圧感はなく、小さな体格をした老人と化している。
侍従の一人が秀吉に三成が近くに来ていることを告げる。
「もうすぐ、三成様が……」
「そうか、ご苦労であったな。紀之介……」

紀之介とは大谷吉継のことであり、彼は単なる侍従であり人違いである。
病により記憶が曖昧になり始めているのだ。
しかし、侍従は間違いを正そうとはしない。
それをすると、秀吉に何をされるかわからない。
侍従は聞こえないフリをして去っていく。
すると、秀吉は一人になると、いつも涙を流しながら延々と

「秀次、すまぬ……」

呟く。

病床の彼は命を奪った秀次や命を奪ってしまった人間に対して詫び始める……それが日課となっている。
秀吉は死を間際にして、罪の意識に苛まれているのだ。

しかし、三成と正澄がやって来る。
彼は立ち上がることすら、すでに辛い状況ではあるが、死が近いことを周囲に見せてはいけない。
自分の死は豊臣家の滅亡を意味する。
自分が築き上げてきたものを破壊されたくはない。
そして、豊臣家の滅亡は愛しい息子である秀頼の死にも繋がる可能性がある。
必死の思いで起き上がり、侍従を呼ぶ。

「誰ぞ、誰ぞおらぬか?」

ーー猿の亡骸……誰にも見せれぬな。

秀吉は自嘲気味に微笑みながら、やってきた侍従に介護されながら三成との会談の場へと向かった。



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