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第四話「霧中の彷徨」
しおりを挟む霧中の彷徨
一
「あんな親馬鹿は他にはおらん」
「あいつみたいな者を烏賊(いか)のぼり、言うんや」
そんな噂を立てられたのは、播州名塩(なしお)の紙商人で名を億川百記(おくかわひゃくき)であった。
烏賊のぼりとは、空を飛ぶものと言えば凧だが、烏賊が凧(蛸)と勘違いして飛ぶ様から身の程知らずの者をこのように表現した。ではこの百記のどこが烏賊のぼりなのか。それは紙商人には不要な医学に熱中したいたからだ。名塩の名産は頑丈で実用性に富んだ「名塩紙」である。さほど肥沃でない名塩であったがこの名塩紙のおかげで潤うようになっていた。この里では紙すきの季節になるとあちこちで老若男女がこんな歌を口ずさむ。
摂津名塩で見せたいものは、白い紙漉くひな男、赤いたすきで紙はく乙女
乾板に湿紙を貼りつけ、赤いたすきをかけた乙女たちが甲斐甲斐しく立ち働く。塗り家造の低い屋根に乾板をかけ、白い紙に日が反射して照らされる若い衆たちの顔は実に美しかった。名塩紙は藩札や壁紙、薬袋用として広く使用されてきた。需要は近隣の大藩、小藩だけでなく大坂でも重宝されている。百記はその名塩紙を手広く売ることで財を築いたのである。彼は無類の働き者で、その行動範囲であるが北は盛岡、南は松江まで広がっていた。百記が烏賊のぼりなどと陰口を叩かれたのは成功者への妬みもあった。また、この当時は身分不相応を忌む風潮が色濃く漂っているのも理由の一つであった。
さらに言えば彼の年齢である。四十を過ぎてから一念発起し、勉強を始めた。そのため人々は驚き、そして首をかしげたのである。だが百記は気にせず、紙を商い、そしてその利で医学に励んだ。百記はまた娘を溺愛しており、妻の志宇(しう)までもが同じであったため人々は呆れ果てている。
――目に入れても痛くないとはあのことだ。
そんな声が夫婦の耳に入る。だが百記は嬉しげに、「その通りや」と相好を崩して、答えた。
「この娘はまさに貴物(とふともの)(宝物)」
周囲がどのように囁こうとも娘への愛情は止まることを知らない。貴物とは幼い頃から聡明であった弘法大師・空海のことで、親馬鹿もここまでくれば大したものであった。
「志宇よ。この娘の婿殿は偉いなるお方――当代一の医者やないとあかん。わしの医学は四十の手習いや。どんなに励んでもたかが知れている。この娘は貴物で聡明に育つ。そやからこそこの娘の婿殿はわしなどがはるかに及ばぬ偉いなるお方であるべきなんや」
至って真面目に百記は語り、そして妻もまた真剣な眼差しを向けながら深くうなずく。
だが人々があきれているのは娘がまだ三つの幼子であり、聡明であるかわからない。だが百記たちはどこまでも本気で婿を探さねばならないと悩んでいたのである。
それから四年の歳月が過ぎた。億川家は住まいを大坂備後町に移し、百記は商いをしながら日々医を学び続けている。
娘は七歳になっており、期待通りに聡明に育ってくれた。名塩では百記の医学修業や親馬鹿ぶりは辟易されていた。だが大坂ではそうではない。何しろ変わった者が集う街なだけに、むしろ面白がられる傾向にあった。さらに言えば百記は何事誠実な人であり、親馬鹿ぶりが愛嬌となっていたのだ。
医学は大きく分けて二つの流派がある。一つは漢方、そしてもう一つは蘭方であった。百記は後者を選んでいる。
蘭方は無論、蘭学書を読まなければならない。そのためには語学力が必要であった。だが四十を過ぎてから語学を修業することは並大抵のことではない。語学で大切なのは感性であり、若者に比べてどうしてもその点では不利であった。しかし努力に努力を重ね、そこいらの若者が及ばないほどの読解力を身に付け、人々を驚嘆させたのであった。その結果、百記は医者として認められ、彼の熱冷まし「雑腹蘭園(サフラン)」は妙薬として大坂人に愛用されるまでになった。
だが百記はこの程度で満足はしなかった。世に役立つ医者になるにはやはりしっかりとした師に付いて学ばなければならないと考えた。そこで坂本町にある塾に通うことを決意したのである。
父の環境の変化は当然娘にも多大な影響を与えた。百記は塾に娘を連れていき、また師夫妻も大いに可愛がった。そのため診療所や塾が遊び場所となり、娘にとって医術は身近にあるごく当たり前のものになっていった。
塾には当然ながら百記以外の者が通っており、若者が多かった。実に馬鹿馬鹿しいことながら、これが百記をやきもきさせたのだ。
「摂(せつ)君が声をかけていた」
摂君とは有馬摂蔵のことで塾の寄宿生である。だがまだ十一歳の少年に過ぎない。その少年が七歳の少女と話していただけで、百記は騒いでいるのである。
「子供のことなんだから」
と、夫をたしなめるべきだが、志宇は真剣な表情で答えた。
「摂蔵さんは……」
そう言うと、摂蔵の長所を数多く挙げ、良い婿になると太鼓判を押してしまうのである。
つまり夫は否定的、妻は肯定的であったが、どちらもまだ七歳にすぎない娘の相手をいちいち真面目に検討してしまうのである。
そんな両親の思惑など何のその、娘は天真爛漫に日々を過ごす。娘は年相応にままごとが大好きであった。この頃の玩具はもっぱら陶磁器である。魚の焼き物や鍋を模した物から、算盤や大福帳、墨汁入れなどを模したものなど身近なものが作られた。
だが娘の陶玩具は一風変わっている。薬を磨り潰す薬研や薬箱など医療具を模したものばかりで、すべて百記が作ってやっていた。百記は手先が器用で、精細な陶玩具を作る。
「変わっているなァ」
物珍しそうに覗き込んだのは佐賀出身の大庭雪斎、二十歳であった。皆からは忞(びん)さんと呼ばれている。
「誰が怪態やて?」
「こ、これは億川先生。いや、誰も怪態なんて申しておりませんよ」
「娘に何か御用で?」
「先生。私は二十、お嬢さんは七歳ですよ」
「たった十三しか違わないやないですか。いやいや見ての通り、この娘は七つでも器量佳し。いやはや怪しい」
困り果てた雪斎であったが、ふと塾内が騒がしいことに気が付いた。
「忞君、話は逸らしたらアカン」
「いえ、そうではなく……何かあったのかもしれませんよ」
雪斎の言う通りで、それも師のいる書斎が特に騒がしいように思えた。百記は娘への思いと同じく、師への崇敬も人後に落ちない。
「お八重」
百記は娘の名――八重に尋ねた。
「今、どなたが来られたのか知ってるかい」
八重は何事も集中する娘であったため、ままごとをやめようとしない。だが再度父が尋ねてきたため気もそぞろに答えた。
「汚らしい人が大先生と会ってる」
そう答えたため、百記と雪斎は驚き、互いの顔を見合わせた。大先生とは蘭学者で医師でもある中天游、塾の名を思々斎塾と云った。
汚らしいとは随分な言い様であったが、それよりもそんな得体の知れない者と天游が話していることに二人は危惧した。蘭学は最先端の学問であり、思々斎塾に訪れる若者は多い。八代将軍吉宗の頃から蘭学は許容されてきたが、それでも幕府の法は鎖国である。そのため幕府中枢が保守派に固められてしまうと、しばしば規制をかけられてきた。それは流行り病のようでいつ何時害を蒙るか知れたものではない。さらに言えば日本国そのものを見つめなおす国学が興隆し、蘭学を敵視する者も増えつつあった。国学かぶれの者が蘭学者を襲うことがあっても不思議ではない。
天游の性格にも問題がある。まっすぐな人だが、買わなくても良い喧嘩を買うため、弟子である百記たちはその都度はらはらさせられた。
「そうや、奥様は?」
すでに夕刻である。いつもなら天游の妻が帰宅している頃だ。
「あの様子だといらっしゃらないのでは?」
雪斎の言う通りであった。奥方がいれば天游が騒ぎ立てることはまずはない。あれこれと思案していた。だがそんなことをしているうちに早く行こうと雪斎が誘い、百記も慌てて草履を脱ぎ捨てて書斎へと急いだ。
「知らん言うたら知らんッ」
天游の声は無駄に大きい。そのため廊下にまで鳴り響く。小さな中庭に廊下が面しており、二階に塾生たちが勉学するか、または起居している。書斎は一階の奥にあり、夏は涼しく、冬は陽光が差して暖かい。塾での講義は夕方までで、この日もほとんどの塾生は帰宅していた。残っていたのは五人ほどの寄宿生たちでそれぞれ復習し、裏庭で七輪に火を入れて食事の準備をしていたのである。
一体誰と揉めているのか――百記たちが慌てて入ると、そこには薄汚れた十八頃の青年が必死な面持ちで対面していた。
「何や、お前は」
雪斎がその青年をつまみ出そうとすると、青年はにらみすえた。
「ひどいやないですか」
「何がや」
「私は先生の言葉を信じて参ったのですよ」
「そやからわしは何も覚えとらん、言うてるやろ」
このやりとりを聞き、百記も雪斎も察しがついた。
――また大先生の悪癖が出たんや。
天游にはどうしようもない悪癖があった。素面の時から気宇な人であったが、酔ってしまうと止め処もなく気が大きくなってしまう。そしてその都度、様々な空約束をして多くの人を困惑させ怒らせてきた。だが酔っている間の記憶がなく、後始末をさせられるのはいつも弟子や身内であった。察するにこの青年もまた天游の被害者なのであろう。
「このままでは無宿者になってしまうのです」
無宿者とは住居不定の者である。無宿者は不逞の輩として厳しく取り締まられる対象で、奉行所で烙印を押されてしまい、人生を棒に振ってしまう。
「君はどこかの家中の者やろ。蔵屋敷でも何でも潜り込めばええやないか」
「それが適わぬからお願いしているのです。今や浪々の身なんです」
――国抜か……。
世情に通じた百記はやや気の毒に思った。だが同時に寄宿生を増やす余裕がない塾の台所事情もよく知っている。そもそもや、と天游は語る。
「歌道習いに思々斎塾へ来るとはどういう料簡や」
これには百記も雪斎も唖然とした。何を考えて蘭学塾に歌道を習いにくる阿呆がいるというのであろうか。だが青年はなおも食いつく。
「ですから、私は思々斎塾ではなく小柴の屋に入門したいのです」
小柴の屋は天游が開いた国学の交流場である。だが天游は国学趣味だけで立ち上げた塾であり、彼はあくまで蘭学者であった。とても人に教授出来るような教養があるわけではなかったのだ。
――あくまでここは蘭学塾で、医を学ぶ所だ。
天游は幾度もそう諭したが、青年は頑として聞かない。そればかりかとんでもないことを言い出したのである。
「ついででええんです」
聞き捨てならん、と言った表情を天游は浮かべたが、青年は意にも介さない。あくまで歌道が第一である。だが蘭学を学ばなければ寄宿させてくれないのなら、ついでに医や蘭語を学んでも良いとまで言ってしまったのだ。青年のこの言いざまは侮辱以外何物でもなかった。特に百記は烏賊のぼりなどとどんな悪口を言われようとも医術を学んできており、この言い方はとても許せるものではない。おい、小僧――百記が憤怒しかけた時、なぜか天游は愉快そうな笑い声を上げた。
「おもろい奴ゃ」
どんなに難があろうともひと癖ふた癖ある人物が大好きで、あまりの風変わりに天游は可笑しくなってしまったのである。おもろい奴ゃ――と笑ってみたものの、やはりかぶりを振った。
「そやけど、小柴の屋はもう閉じてもうた」
小柴の屋は所詮、天游の趣味であり、最初から閉鎖の危機にさいなまれていた。さらに言えば開いた頃こそ天游は国学に熱中していたが、やがて本人が飽きてしまい、そして閉鎖してしまったのである。それよりも医業や蘭学塾の方が忙しく、趣味に時間を費やす余裕がなかった。
「あとな。二足の草鞋は好かん。二兎追う者は一兎も得ん。さっさとお帰り」
「私は緒方三平です。絲漢堂の前でお会いした。それに藤井先生の親戚ですよ」
この必死に訴える汚らしい青年はそう――足守を出た緒方三平であったのだ。
――小柴の屋へ……思々斎塾へ来い。
馬鹿正直に酔っ払い――天游の言葉を信じてやって来たのだ。だがいかに叫ぼうとも天游は動じない。ゆっくりと煙管を取り出して煙を吹かせるのみであった。
「緒方君――やったな。無理なものは無理や」
にっちもさっちもいかなくなったこの時。三平の耳に聞き覚えのある「素っ頓狂」な声が届いた。
「あれぇ?」
皆が驚いて振り返ると、そこには八重が首をかしげながら立っていたのだ。
「八重ねぇ。その人、知ってる」
三平は土埃に塗れた顔を拭きながら、娘の顔を凝視した。
「おい、うちのお八重とどういう関係や?」
百記は面を冒して三平を怒鳴りつけた。だが三平はどこ風吹くぞとばかり相手にしない。
夕暮れ、素っ頓狂な声、そして八重という童女の名。
「あッ」
鮮明に――。三平の脳裏に鮮やかなほど夕焼けに染まった思案橋でのことが浮かんだ。
「貝吹き坊――」
眼前に童女の父御がいることも何もかもを忘れ、つい叫んでしまったのである。
「だ、だ、誰が貝吹き坊やッ」
可愛く貴物の愛娘を事もあろうに物の怪呼ばわりするとは何という小僧か。百記が怒るのも無理は無かった。
――君子危うきに寄らず、や。
天游は一目散に逃げ出そうと、転がるようにして廊下に飛び出ると、そこに一人の女性が立っていた。
「あら、お前様。どうなされたのです。この騒ぎは一体何事です?」
お前がおらんから大変やったと言いたいばかりに天游は手を振ったが、妻にしてみれば随分と身勝手な言い方であった。そもそも天游が酔いに任せていい加減なことを言ったことが元凶であり、少なくとも妻のせいではない。
「これは小町先生、エエ所へ――」
半ば泣き出しそうになっていた雪斎は顔を明るくして、安堵の息を漏らした。
――小町先生?
その名を聞き、三平は驚いて廊下に飛び出した。そして「小町先生」と呼ばれた天游の妻の顔を確かめ、言葉が出ないほど驚きに驚いた。あれほど探しに探した小町先生とまさかこんな形で再会しようとは夢にも思わなかった。
思えば、今日に至るまでの原動力は小町先生――中天游の妻・さだとの出会いにあった。
彼女への恋慕が三平の自我を生み出し、その自我は父への反抗に繋がった。そして回りに回って、あの頃思いも付かなかった国抜という大胆な行動をする今の自分に繋がっている。
「……どこかでお会いしたかしら?」
当たり前のことであったが、さだの言葉に三平は傷ついた。好きな女に忘れられることは当然であったとしてもこれほど切ないことはない。所詮は路傍の石か――我ながら情けないことだと嘲るしかない。
さだは診療用の風呂敷を八重に手渡し、改めて何事かと尋ねた。
「一体、何の騒ぎなのです?」
酔っ払ってエエ加減なことを言ったんや――とは言えず、天游はただ口篭るばかりであった。だが風呂敷を手にした八重がくすくす笑いながら耳打ちした。
「大先生たらまた酔っ払ってこの人にどうぞ、て言っちゃったんやって」
またか、とさだは呆れかえっている。当初、思々斎塾には寄宿生はいなかった。だが天游が酔っ払うと気に入った若者に声をかけ、それを真に受けた者が三平と同じようにやって来ては受け入れていたのだ。そのたびにさだは夫のいい加減さに苦言を呈するのだが、一向に天游は改善しようとしない。
「大庭君もそうやったね」
さだはちらりと雪斎の顔を見つめ、苦笑した。ただ雪斎の場合は少し違っている。彼は二重鎖国とまで言われた佐賀出身で、大坂へ上ることが許されるほど優秀な人物であった。そのため中之島から鉾流橋を北に渡った場所にある蔵屋敷に住むことが許されており、寄宿する必要はなかった。ところが酔っ払った天游が無理やりに坂本町に引っ張ってきたのである。
さだは思案した。聞けば三平は国抜をし、頼る場所がどこにもないと云う。このまま見放しては天游の名がすたるというものだ。だが塾の広さから考えてもこれ以上受け入れができないことも事実であった。だが彼女の思考を明るい声が打ち破った。
「うちに来たらエエんとちゃう?」
それはまたしても八重であった。八重は億川家に寄宿するよう提案したのである。この突拍子もない提案に驚いたのは他でもない百記であった。
「あかん、あかん、アカン」
ただでさえ娘のことが心配でならないのに、こんなどこの馬の骨かわからない汚らしい青年を自宅に住まわせるなどとんでもない話であった。だが八重は愛くるしい瞳を向けながら父の拒否を理解できないでいた。
「お父様いつも仰ってるやない。困った人は見捨てたらアカン、て」
この時ばかりは子供に迂闊なことは教えられないと軽い後悔をしたが、それでも三平を受け入れることを諾とは言えなかった。
「大先生」
百記は恨みがましい表情で天游の顔を見つめた。元々は天游の悪癖が招いたことではないか。ここはやはり思々斎塾で面倒を見てほしい――百記の眼は強くそれを求めた。
だが天游はあくまで首を縦に振ろうとしない。彼は頑固者だが不人情な人ではない。それが何故か頑なになっているのかよくわからない。さだが不思議に思っていると、その原因が何であるか察しがついたのである。
――あ、この人お腹減っているんだわ。
見れば用意をしてあった夕餉の膳がそのままで天游はまだ食べていないようであった。
「またお食べにならなかったのですね」
天游は疎ましそうな声で反応した。
「今朝申しましたよね。遅くなるので夕餉はお先にどうぞ、と」
天游は腕を組み、拗ねる素振りを見せた。
「わしは亭主やぞ。亭主が一人で寂しゅう飯を食えるか。お前はわしの女房や。女房が世話せんでどないするんや」
これにはさだも苦笑せざるをえない。さだは女医である。医療先端の大坂であるが女医は珍しい。天游は名医であり、大坂人の評価を表す医者番付では大関とされるほどであった。だが天游の上位の裏にはさだの存在が欠かせない。研究家として天游は大坂随一の人であり、臨床の腕も確かだ。だが彼は癖が強く、人によっては敬遠されることが多々ある。もし、さだが妻でなければ大関の評価は貰えなかったかもしれない。
それに、さだは三平が一目惚れしてしまうほど容姿端麗で魅力的だ。医者としての腕もあり、何よりも患者に優しく接する術を心得ている。そのため、近頃では病でもないのにさだに会うために診療所へやって来たり、また回診を依頼する。
彼女の患者は何も男ばかりではない。その大半が女性であり、女医だからこそ心許して診療が受けられることで評判であった。こうした事情からさだは日々東奔西走しており、どうしても夕餉の時間まで戻ってくることが難しくなっている。
「はいはい、わかりました。お前様の腹の虫はこのさだが面倒を見ましょう」
まるで幼子を諭すような言い方であったが、天游は満足げにうなずく。
「でもその前に。人情のない仕打ちは許しませんよ。この子を追い出したら中天游の名は廃るというもの。諸人が許してもこの私は許しません」
「おい、さだ……」
「それとも咽喉元過ぎれば、ですか?」
天游は怪訝な表情をしながら首をかしげた。
「お前様も昔は身の置き所がなかったではありませぬか」
このことを持ち出されると天游は何も言えなくなってしまう。なぜなら天游の人生は居候の連続であったからだ。江戸で大槻玄沢に、京で海上随鴎(うながみずいおう)宅に住み込み、そして勉強に励んできた。さだはその随鴎の娘で、入り婿のように海上家に入ったのだ。口ごもる天游にさだはやや意地悪そうな顔つきで、「あの時は?」と、鸚鵡返しに尋ねる。
「亡き父は初めの頃、それはもう随分お前様を怪しいだの、風変わりだの、それこそ服が汚らしいだのと散々でしたよ」
でも、とさだは胸を張った。渋る随鴎に天游の心は錦であり、必ず天下に名を馳せる人になるとまで言い切って寄宿させることを許させたのである。もし随鴎が寄宿させてくれなければ今の天游はなかった。だからといってさだは恩着せがましいことを言いたいのではなく、ただ眼前の若者に機会を与えてやるべきだと主張しているのである。
「そやけどな、うちは蘭学の塾や。でもこいつはな、蘭学は二の次や言うやないか。寄宿する者がそれやと困る」
「……何とまあ。器の小さいこと」
さだは心底呆れる風な顔つきでため息をついた。蘭学、いや塾の趣旨が二の次がいけないと言うのなら天游はどうなのかと彼女の眼が責め立てる。なぜなら天游自身も医者である随鴎に弟子入りを願いながら、医学にはさほど熱を入れていなかったからだ。彼は西洋の科学に強い興味を抱いていた。
医学を最も大切にする随鴎はそれが気に入らなかったのだが、さだは独自の教育理念を持っている。彼女は父や夫に随って江戸、京、西宮、上総など各地を転々としてきた。そして多種多様な人々が集う大坂へと辿りついた。そうした経験から本物の人材は決して師と全く同じ道を歩んではいないことを知ったのである。むしろ師の業績を擬える者は二流か三流にすぎず、その都度さだは落胆させられてきた。だが師とは違う道に見えても、その教えから自分なりの生き方を見つけ出した者が世を動かす。
――我が夫・中天游こそまさにそうだ。
さだは頑固で酒飲みで、甘えん坊の天游を心の底から愛しているのは、天游が父とは違いながらも父の真の志を受け継いでくれているからだ。
――この小僧がそうやと言うんか。
さだの本心を知れば天游はきっとそう尋ねたであろう。その問いに対しての答えはわからないとしか言えない。そこまでの確信を抱けるほど三平のことをさだは知らない。だが塾などというおよそ面倒なことをやっているのは人材を見出すという「道楽」あってのことではないか。さだほどこの道楽を楽しんでいる女はいないし、天游もまた口にも顔にも出さないが教え子たちの成長を好ましく思っていた。
それと彼女がしつこく三平の寄宿を認めさせようとした理由がある。天游とやりとりしている間に三平のことを思い出したからだ。
思案橋の上で肩肘を張っていたあのひ弱な少年が、今は故郷を飛び出して単身でやって来ている。相変わらず道は定めかねているが、再び会えたのも因縁というものかもしれない。そう考えていくうちに三平に機会を与えてやりたいとさだは思ったのであった。
「億川先生」
何を考えたのか、さだは急に百記に話を振り替えてきた。
「お八重ちゃんはこの方を住まわせたいと言っているのでしょう」
「はあ」
「でも億川先生はお八重ちゃんが可愛くて可愛くて仕方ありませんものねぇ」
さだは静かに目を閉じながらふむうと腕を組んだ。
「ではこうしましょう」
寄宿に当てる部屋がない――これが最大の障害であったが、実は一つ解決策があった。
「小柴の屋に積まれている本を何とかすれば一人ぐらいは何とかなるでしょう」
これには天游が慌てふためいた。小柴の屋は閉鎖したが、だが長年集めた国学の本を捨てるつもりなどさらさらない。男は物を集めたがる習性があるが、女であるさだにはそれがどうしても邪魔で仕方がない。まさに一石二鳥であった。
「捨てるとなれば大先生は嘆き悲しむことでしょう。そして億川先生はこの方を住まわせたくはない。では方法は一つ」
さだは屈託のない笑みを浮かべた。
「億川家で小柴の屋にある本を引き取っていただき、この方をそこに寄宿させる。そうすれば大先生の義は立ち、このさだも――」
あんな邪魔な本に煩わされずに済むと言いたかったのだが、さすがにそれはまずいと思って、口をつぐんだ。
「それでよろしいですね?」
天游はなおも渋っていたが、黙ってうなずくしかなかった。百記はなおも納得できないでいた。なぜ億川家が負担せねばならないのか、意味がわからない。しかしさだは中々の策略家のようで、傍らにいる八重に目配せをした。
「お父様はひどい」
愛娘の目から発せられる青い炎ほど百記を萎えさせるものは他にない。八重には勝てぬと、無言であるがうなずいた。
「これで一件落着、ですわね。……ようやく思い出しました。思案橋の上でしたわね」
愛しき人が憶えてくれていた――このことほど嬉しいことはない。三平は顔を紅潮させながら何度もうなずいた。
「お名前は確か田上……」
「今は緒方三平と申します」
「緒方君、ですね。寝る場所と朝夕の御飯は差し上げましょう。ですがただ寝て食べて暮らすことはなりませんよ。大坂という街は――」
「無料はないのでしょう?」
「そうです。ここに住む者、学ぶ者は皆、何かしら芸を身に付けて生きています。按摩でも駕籠かきでも道頓堀で芝居の呼び込みでも選ばなければ仕事がいくらでもある。しっかりと働き、そして学んでください」
大庭君――さだは呆然としていた雪斎に声をかけた。
「緒方君はご覧の通り、世間を知らない。あなたが色々と教えてあげなさい」
「……承知しました。緒方君、言うたな。運良かった思ったら大間違いやで。さだ先生に捕まったら最後。中途半端は許してもらわれへんからな。それだけは覚悟してきや」
歌道を志したい――そう口にしたものの、実はさほど強く思ってはいなかった。道を定めよという父に反発して無理やりに見出した志であり、この道では食っていくことが出来ないことは明白だ。今は医学でも何でも生きていく糧を得ることを学ぶ必要があった。
――一身独立して一国独立する。
これは後年、三平の教え子が語った言葉である。この考えだが三平は思々斎塾で学び、哲学として身に付けていく。とにもかくにも三平は一歩新たな道に足を踏み入れた。
二
三平が人生の一歩を踏み出したその頃。「西田」格之助は未だ足踏みをさせられている。
「どういうつもりなのでしょう」
一人ごちたのは平八郎の継祖母で、格之助にとって大叔母にあたる大塩せいであった。せいは格之助を大いに可愛がり、格之助もまた病床にあった彼女を手厚く看護していた。
「何のことでしょう?」
甲斐甲斐しく世話をしながら格之助は優しく尋ねた。
文政十一年(一八二八)七月。
せいは六十四歳。年始めより体調を崩し、春以降は起き上がれなくなってしまっていた。 本来ならば平八郎の妻役であるゆうが看病すべきであったが、せいはそれを頑として受け入れない。
――ゆうの何がいけないのか。
そのようなことはとは格之助は言わずもがな、屋敷にいる者は誰も聞けはしない。もちろんゆうが世話を忌んでいるわけではなかった。叶うことならば、ゆうは世話をしたかったが、せいが頑なまでに拒んではどうしようもないのだ。せいは、ゆうの何が気に入らないと言うのか。
――あの女は茶屋の娘だから。
茶屋とは色茶屋など風俗的な店が多く、そこで働く女性は歴とした家柄の妻としては認められない。ただ茶屋の娘を家に入れる方法はある。それなりの家の養女とし、正妻ではなく妾として迎え入れるのだ。だがあくまで妾として囲むのであって、妾の他に正妻を娶らなければならない。
だが平八郎は一途であった。正妻を迎えることを断固拒否し、ゆうただ一人を実質的な大塩家の主婦に据えたのである。ちなみに、ゆうは平八郎の古くからの門人であり、経済的に大塩家を支えてきた豪農・橋本忠兵衛の養妹にしてもらっている。ゆうが忠兵衛を「義兄様」と呼ぶのはそのためであった。
「平八郎殿を惑わせている」
正妻を迎え入れようとしない平八郎に大塩家の正式な「主婦」であるせいはどうしても許せなかった。せいが主婦の座を譲るべきは平八郎の正妻であって妾ではない。武家に生まれし者は男でも女でも次代に受け継がせることが使命であり、全てであった。
せいは自分に与えられた主婦の座を伝えられないことが先祖に申し訳が立たず、ゆうを疎ましく思っていたのだ。
だがせいの頑なな姿勢はゆうを愛する平八郎にとっては不愉快であり、やはり血の繋がっていない祖母は自分のことを冷たく思っていると子供じみた意地を張ってしまっていた。 同じ屋敷に住まい、そして長年祖母と孫の関係にありながら、二人の間には埋めがたい溝が立ちはだかっている。せいが格之助に大塩姓を与えないのはそのためだと考えても不思議ではなかった。
だがせいが、どんなに心配をし、そして平八郎がどうかと問われても格之助にはどうすることも答えることもできない。大塩姓を継がせることも、与力職を伝えることも当主である平八郎の心一つであったからだ。また影であれこれと画策するような陰険さを格之助は持ち合わせてはおらず、ただせいの言葉に返事せず優しく微笑むしか術はなかった。
切支丹事件では粗相をしでかした。だがその後は献身的に働き、奉行所での評判もすこぶる良い。そのため格之助に同情を寄せてくれる人は多い。その中に一人、同情ではなく共感を示してくれる人がいた。その者は内山彦次郎と言う西町奉行配下の与力見習であった。
「俺も親父殿に疎まれた者や」
カラカラと笑いながら、格之助の肩を叩くのである。彦次郎はこの時、三十一歳でとうに家督を継ぎ、与力となっても良いはずであった。だが老父が未だ現役にしがみつき、その座を与えようとしない。当時、当主と跡継二人に役職を与えることは慣習として許されない。
その慣習を破ったのが四十五年前の老中・田沼意次で、その在職中に嫡子の意知を若年寄に抜擢した。だがいかに権力でもって抑えようとも周囲の反感は大きかった。
意知は江戸城内で殺され、意次自身も全てを奪われてしまったのだ。つまり老主が粘れば粘るほど嫡子は延々と冷や飯を食わねばならず、その分出世が遅れてしまう。
では彦次郎が無能であったのかと言えばそうではない。無能どころか有能でありすぎた。 息子に反して老父は若い頃から無能だと嘲りを受けた人であり、そのため優秀な息子に嫉妬をしていたのである。
「君も有能やと西町奉行にまで聞こえてる。いや大変なことや」
彦次郎はそう言って哄笑するのだが、格之助にとって彼の「慰め」は甚だ心外であった。
――お前なんかと違って私は父上を崇敬しているんや。
格之助が露骨に嫌な顔をすると彦次郎は弾けるようにして笑った。
「まァあまり気張りなや」
彦九郎はつぶやくように忠告を残し、格之助は幾度も同じにするなと心中で叫ぶのであった。とにもかくにも配下違いの彦次郎までが気にするほどであったため、病床のせいが慮るのは当然であった。
一体、何が格之助を認めさせないのか。跡継ぎとして技量不足のためか。はたまた平八郎は彦九郎の言うように嫉妬しているのだろうか。それともゆうを認めないせいへの意趣あってのことか。
――そのいずれでもないような気がする。
せいはそんな気がしてならなかった。
「それは血の孤独かもしれんな」
そう分析したのは坂本絃之助であった。どう考えていいかわからなくなった格之助は玉造にある坂本邸を訪ねてみた。坂本家は代々鉄砲組に属しており、萩野流の達人としてその名を馳せていた。この時も絃之助は鉄砲の試し撃ちをしており、構えた姿は惚れ惚れするほど様になっている。
「どういうことでしょう、坂本さん」
だが絃之助は答えず、真剣な表情で種子島(鉄砲)の操作をした。
一射撃に必要な火薬を入れた容器「早合」を砲身の穴に入れ、朔杖で押し込める。そして火皿に口薬を入れ、火蓋を閉じる。その後、火縄を火鋏に付けて発射の準備が整う。
この間、十秒ほどの速さでいつもながら絃之助の手際は素晴らしい。やがて銃を構え、火蓋を切り、引き金を引く。
だぁぁぁぁぁんッ――。
轟音と共に発射された銃弾は見事的中し、格之助はその腕前に感嘆の声をあげた。
「砲蔵へ――」
絃之助は中間の一助に命じ、濡れ縁に腰を下ろした。
「後素さんはな。常に血の孤独に苛まれているんや。思えば懸命のお人やからなァ」
「懸命?」
「ああ。初めて後素さんと会ったことを思い出す」
あれはまだ絃之助が玉造口与力を継いだばかりの頃で、柴田道場に日々通い詰めていた。
ある時、師の柴田勘兵衛のお供で大塩邸へ赴いたことがあった。まだ洗心洞が開かれる前のことである。
「いきなり何言われたと思う?」
この問いに格之助は首をかしげるしかない。
「時候の挨拶もなしに切腹せなあかんと仰ったんや」
格之助も父は変わり者だと思っていたが、初対面でこれでは絃之助が驚くのも当然であった。
なぜ平八郎は切腹を口にしたのか。それは彼の義侠心に理由があった。与力の仕事は警察活動や市政だけでなく、商人たちから御用金を集めることも含まれている。
平八郎は廉直で賄賂を取らず、必要以上の御用金を集めなかったため、人望があった。
そんな商人の一人がある事情で破産寸前にまで追いやられてしまったのだ。すでに御用金を納めた後であったが、その金がなければ破産してしまうため返却を願い出たのである。
だがいつの世も国が一度納付された金銭を返すことはしない。「前例がない」だの「示しがつかぬ」などと愚にもつかない理由をあれこれつけては返還を渋ったのである。そのことに平八郎は義侠心を起こし、奉行を説得したのであった。
「無理強いすればかの者は財を失い、二度と献上することは適わぬでしょう。ただ、ご温情を賜りますれば家を建て直し、再び御公儀のお役に立てるは必定。どうか今一度お考えいただきますようお願いいたしまする」
そう熱く語り、聞き届けなければ自分の命を差し出すとまで詰め寄ったのである。絃之助が訪れたのは丁度、奉行からの返事を待っている時であったのだ。結局、御用金は返却された。そしてその商人は破産することなく、その後また御用金を納めることができたのである。
「後素さんの並々ならぬ一本気にわしは惚れたのやが……あの頑なまでの想いは血の孤独を埋めんがための行為なんやろうな」
またしても絃之助は、「血の孤独」と表した。だがやはり格之助にはよく意味がわからず、ただ首を傾げるしかなかった。
平八郎は七歳の頃に父母と弟を失った。
幸い祖父の政之丞が健在で、後見人として平八郎を支えてきた。だが幼くして家族を亡くした心の空虚までを支えることが出来ず、自暴自棄になっていたことを格之助は瀬田藤四郎に聞いたことがある。
「僕は三変した」
平八郎がよく口にしたことだが、たしかに三度彼は大きく変化した。
一つは十五歳で大塩家の家譜を目にした時で、自分には神君に認められた偉大なる血が流れていると自覚し、武芸に励むようになった。
一つは二十歳のことで勉学に出会ったこと。
そして最後は二十三歳のことで、明の学者・呂卓吾の『呻吟語』を読んで陽明学に出会った時であった。
親もなく兄弟もなく、そして残るは祖父のみ。さらに言えば平八郎は子に恵まれず、大塩の血を引くは平八郎ただ一人となってしまった。いかに祖母がいようとも養子がいようとも平八郎は孤独であった。その孤独を埋めようと時に尾張宗家に養子を求め、いつまでも格之助に大塩姓を認めようとしなかったのかもしれない。
「わかってやってくれ」
絃之助はそう言いたかったが格之助の顔を見ていると口をつぐんでしまった。努力で何とかなるのならともかく、血の流れという神仏以外どうしようもないことを求めるのはあまりにも酷であったからだ。
「後素さんは血の孤独を感じるあまり、継祖母であるせい殿を邪険にし、そして西田氏であるそなたに大塩姓を与えないのだろう」
絃之助の言うようにせいは政之丞の継室のため、平八郎とも大塩の血も引いていない。平八郎にすればどこまでもせいは余所者であり、そうした見方をすれば格之助のことを息子と思えなかったのかもしれない。
「もっと別の……とんでもないことを考えているような」
これは絃之助の予感に過ぎなかったが、格之助も危険であることを直感していた。
平八郎は奇人であるため、彼への愛憎は実に極端であった。病的なまでの正義感はやましい心の持ち主を萎縮させ、そして平八郎を殺したいと思わせてしまう。だが正しくありたいと思う者の心をつかみ、彼の一途な生き方を真剣に心配してくれる人がいる。
絃之助しかり、幼馴染の藤四郎しかり、そして平八郎を心配してくれる偉大なる学者が一人存在した。大坂には在野ながら――いや、在野であるからこそ当代一の学者が集結している。
その一人に頼山陽という巨人がいる。芸州の出で、その父・春水もまた天下一等の学者として名が通っており、彼の仕事で特筆すべきは何といっても『日本外史』の執筆であった。それまで日本には通史がなく、山陽が初めてそれを出版した。また彼の詩才も群を抜いている。
鞭声粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇
川中島合戦を題材にした『題不識庵撃機山図』は格調の高さ、写実性において他の追従を許さない。そんな大学者になぜか格之助は自宅へと招かれた。内密にということであり、しかも夜に会いたいと云うのだ。絃之助と会ってから三日後のことである。
――私如きに何のご用だろう?
山陽邸へ向かう道すがら格之助は考えに考えた。実のところ、山陽その人と会うのは初めてではない。
文政七年(一八二四)、つまり五年前のことである。
――あの時ほど父上が緊張されていたことはなかったな。
いついかなる時も凛然としている平八郎であったが、山陽の前だけは違った。陽明学者の中で山陽は唯一無二であると、平八郎から格之助は幾度も聞かされている。山陽のことを語る平八郎は瞳を輝かせており、まるで少年のようであった。その山陽宅に着いたのは指定された宵五ツ(午後八時ごろ)であった。
「こんな夜分に呼び出す非礼、お許しあれ」
「過分なるお言葉痛み入りまする」
緊張のためか、格之助は満面に汗を流しながらただ深く頭を下げる。
子起(しき)は――と山陽は言う。「子起」とは平八郎の字のことで、当時の知識人は漢籍にある英雄を模して字を名乗ることがあった。
「子起はご壮健かな」
「お陰様にて。年始に諸役をいただき、東奔西走いたしております」
「それは重畳」
山陽は満足げにうなずき、そしてほほえんだ。
与力には力量に伴って担当が割り当てられる。平八郎は先の切支丹事件の功から従来の吟味役に加えて盗賊役、唐物役を任じられたのである。そのため日々、忙しく走り回っているのだ。
「夜分のことゆえゆるりとお話するわけにも参りませぬな」
山陽はそう言いながらも酒を用意し、格之助に飲むよう勧めた。だが格之助は慇懃にそれを断った。
「倅殿は下戸であられたかな?」
「いいえ。父より未熟者は酒を嗜むべからず、ときつく教えられておりまする」
そう答えたため、山陽は思わず哄笑してしまった。
だが格之助が固辞したのはそれだけが理由ではない。陽明学は儒学であり、君主や年長者、そして師に対する礼儀は何よりも重んじられる。洗心洞において「若先生」と呼ばれる格之助にとって山陽は父の師であり、天下に隠れなき大学者を前に酒を口にすることは許されなかった。
「さすがは子起のご子息だ。この頼山陽、汗顔の至り。さて……君とは陽明学の徒として杯を交わしたいところだが、今宵はお父上のことについて是非話しておきたいことがあり、こうしてお呼びいたしました」
あまりにも真剣な表情に格之助は息を呑み、そして身体を強張らせた。
「……剣呑に思えて仕方がない」
「剣呑?」
「胸騒ぎとでも申しましょうか……書状からして子起は事を起こそうとしているように思えてならぬのです」
さらに山陽は続ける。
「彼はまさに明鏡止水」
山陽は感慨を込めて平八郎をそう評する。幾度も平八郎の詩を師として読み、そして指導してきた。技巧的には劣るものの、平八郎ほど素直に自分の心を表現できる者はないと山陽は感嘆させられた。
「詩もそうだが、書もまた素晴らしい。喩えるなら当代の顔魯公(真卿)だよ」
ここまで賞賛したことに格之助は驚いた。顔真卿とは唐代の書家であり、同時に安禄山の乱に寡兵で立ち向かった義士でもあった。彼の書はあふれんばかりの心を素直に表現しており、「顔体」という書家たちに多大な影響を与えた書体も編み出した。その顔真卿に比するということは最大の賛辞であった。
「子起はね、繊密さと聡明さを兼ねた人だ。だがあまりにも鋭く進んでしまうと折れてしまうものだ。人として彼は美しい。だが彼は奉行配下の与力という心の穢れが集う役目を頂戴している。廉直であるがゆえに心配でならないのだ」
「先生……」
「君は天命によって大塩家に入り、子起の子となるべき人だ。彼は器用な人でないから、さぞ君の心労は絶えないだろう。若き君には実に酷な話だ。だが天が与え賜うたかの人を決して世の穢れで折れさせてはならない。今宵お願いしたいことは君にその天命を……子起を助ける任を全うしてほしいということなのだ」
「天命……」
天下の頼山陽にここまで言われて感動しない者はいない。同時にここまで山陽を案じさせる何かが平八郎にあるのか不安でならない。
――なるようにしかならない。
そうであればどんなに楽か。
杞憂に違いない。だが弦之助にしろ山陽にしろ、いずれも一廉の人物たちが心配しているのである。思い過ごしであろうはずもなかった。頼邸を出た格之助はただ夜空に浮かぶ月を見上げるしか出来ず、いたずらにやきもきするばかりであった。
杞憂か否か。大塩姓を与えようとしない平八郎に何か深い理由があるのではないか。あれこれと憶測が飛ぶ中、意外な進展が見られた。その「朗報」に接したのは山陽と密会した翌朝のことで、それはせいからもたらされた。
「お喜びなさい」
病床のせいが相好を崩して格之助の手を強く握りしめる。
「ようやくなのですよ」
帰宅したばかりで格之助には何のことか意味がわからず、ただ首をかしげるのみであった。せいは余命いくばくもないためか、ひどくせっかちになっている。もどかしいためかしきりに格之助の手を揉んだ。
「許されたのですよ、あなたは大塩格之助にようやくなれるのです」
平八郎が何かを考えている――そう言われ、気を張っていただけに拍子抜けする思いであった。ほとんど寝ていないためもあってか、体中の力も気も一気に抜けてしまう感覚に襲われた。
「何という顔をしているのです?」
「いや、その……」
我ながら情けなかったが、どんな顔をしていいのか格之助にはわからない。本来ならば、喜び舞い踊りたいところだ。だがどうしてもそんな気持ちになれない。心から喜びが起こるたびに重々しい弦之助と山陽の顔が交互に浮かび、気持ちを抑えてしまうのである。いやむしろ急に大塩姓を許した平八郎の真意がわからなくなり、どうしても深刻な表情をせざるをえなかった。
「嬉しくはないのですか」
「もちろん喜んでおります。大塩の姓をいただくことはまこと喜ばしきこと。大塩の姓を頂戴いたしますからには東照大権現様の御恩を忘れず、ただただ精進せねばなりませぬ。それを思うとやれ踊るだの、唄うだのと浮かれてはおれぬのです」
「跡継ぎともなれば色々あるでしょう」
そう言って、せいは喜んでくれたが、自分の死後がどうなるのか心配でならなかった。だがとにもかくにも夫の政之丞の死後は平八郎を育て上げ、そして自分の血を引く格之助に大塩家を託す道をつけることができたのだ。あとは天の加護を祈り、心静かに冥途に旅立たねばならない。この日を境にせいは大塩家のことについて触れず、ただ楽しかったことばかりを語ってこの世を去った。
七月十九日。格之助が大塩姓を正式に名乗ることになったのはせいの葬儀と埋葬が済んだ後で、九月のことであった。
葬儀の夜。確かめることが怖かったが、どうしても見なければならないものがある。それは平八郎の表情であった。
もし冷淡であればどうしようか。無論どうしようもないのだが、だが血が繋がっていなくてもせいは孤児となった平八郎を育ててくれた祖母である。どのような確執があろうとも死しては皆仏になる。仏となる以上は過去のことは全て水に流し悲しむのが人としての有様であろう。
――どうか、どうか……。
願うように格之助が振り返ると意外にも――と言えば語弊があるが、平八郎からいつもの凛然さが消え失せていた。
平八郎は奉行所だけでなく、洗心洞や家庭内でも常に凛然としてきた。その迫力は他人を寄せ付けないものがあった。だがこの時の平八郎は別人のように無防備で、涙こそ流していなかったがただただ呆然としていた。
武士というものは二親の死以外は涙してはならないと教育されている。平八郎は洗心洞の主導者としてそれだけは守らなければならない。いや武士のたしなみを通したというより悲しみの極限が平八郎から湿った感情を奪い去っていたのである。
人は悲しみが極限になるとかえって涙が出ないものだ。涙が出る間は心に潤いがある時であり、悲しみの極限はその潤いすら奪ってしまう。ただ呆然とするしかなく、平八郎は天井を眺めるのみであった。
考えてみれば、この反応は平八郎とせいの歴史を考えれば不思議なことではない。
父母と弟を亡くし、どうしても打ち解けることができなかった二人。
ゆうについて依怙地になってしまった二人。
どちらも不器用で正直すぎたため、心を開いて話すことが出来なかった。だがせいの死で平八郎は意地を張る必要がなくなり、ただ長年暮らしてきた祖母への想いが全身を覆ったのである。
「これで後素さんは益々孤独やな」
平八郎の様子を見て、格之助につぶやいたのは弦之助であった。
「これから大変やぞ」
「これからは私が父上をお助けして……」
胸を張って言う格之助に弦之助は手を振りながら苦笑した。
「そうやない。お前の成すべきことは後素さんとまともに喧嘩できるようになることや」
「喧嘩?」
そうや、と弦之助はうなずく。平八郎とせいは不仲であった。喧嘩とまではいかなかったがたがいに意地を張り合い、それが両人に生きる力を与えてきた。だがせいが亡くなった今、平八郎と対等にやりあえる人がいるであろうか。
対等にやりあえない人がいないことほど孤独を感じることはない。
だがこの考えに格之助は疑問を抱いた。その役目なら弦之助がいるだろうし、藤四郎も、そして師である山陽もいる。さらに言えばゆうこそそうではなかろうか。
「いや、ちゃうんや」
まだ若いからわからぬだろうが、と前置きをしながら弦之助は語る。
「友は競い、そして助ける間柄。妻は支え合い、師は教え、弟子はその教えをもとに自らの道を見出す。だが……」
そう言いかけて弦之助はかぶりを振った。親と子がどうような間柄であるのか上手く説明する自信がなかったのだ。だが子となった格之助は今や平八郎にとってただ一人の肉親となってしまった。友として弦之助は格之助に成長し、平八郎を闇に向かわせないようにしてもらいたいと願うのであった。だが限られた者以外で平八郎の真意を知る者はおらず、間もなく格之助を驚愕させることが次々と起きていくのである。
「ゆうを離別する」
唐突な――あまりにも唐突なことを平八郎は宣言した。
「何を血迷っておいでかッ」
言葉を選ぶ余裕もなく格之助が叫んだのは当然であった。なぜ急にゆうを離別しなければならないのか。格之助は彼女を母のように慕い、ゆうも格之助を息子のように可愛がった。
それが何の話もなくこのようなことを言われてうなずけるほど格之助の心は枯れてはいない。
驚いたのは格之助だけではなかった。洗心洞の門人たちも同じように驚き、動揺が広がったのである。無理もなかった。ゆうは実質的な大塩家の主婦であり、平八郎の良き助手でもある。時に平八郎の代講をするほど陽明学に精通していた。さらに言えば五名ほどの寄宿生たちの面倒もよく見ており、寮母として敬慕の念を抱かれていた。
その彼女がどういった落ち度があるのかも説明されず大塩家を出されるのだから、誰も納得はしなかった。
いや、「誰も」ではなかった。一部の者は務めて冷静に事の推移を眺めており、何も語ろうとしない。人一倍騒がしい大井正一郎でさえ貝がふたを閉じたように黙りこくっている。
――どういうことだ?
ゆうの義兄である忠兵衛がそうであるならばまだ納得がいく。だが古くからの門人とはいえ正一郎は大塩家とは無縁の者だ。また瀬田済之助でさえ事情を知っていることに格之助は怒りを爆発させた。
「私は大塩格之助だ。なぜ母たる方が離別されるのを知らずにおれようか」
格之助はそう叫んで忠兵衛に詰め寄ったが、ただ哀しげにかぶりをふるのみで何も答えようとしない。
「正一郎さん」
いつも若先生と言って自分に付いてきていた正一郎も気まずい顔をするだけでやはり答えない。済之助も同様であった。
――俺は一体、何なんやッ。
許されるなら大塩邸の全てをぶち壊してやりたいほど暴れ、そして咽喉が破れるまで叫びたかった。だが祖母の葬儀から一転、すっかり威厳を取り戻していた平八郎が格之助を押さえ、ゆうもまた察してくれとばかりに頭を下げた。これでは格之助も成す術がなく、父も皆も勝手になさるが良い――とばかりに家を飛び出してしまったのだ。
「先生――」
さすがに正一郎が顔を青くしながらうろたえたが、平八郎は動じなかった。いやむしろ計算通りだと言わんばかりに安堵した表情をしている。
祖母の死、大塩姓の許可、そしてゆうの離別に格之助の家出。すべてある事に平八郎の思惑は動いており、事情を知る者たちは緊張のあまり身体を凝固させるのであった。
三
陽明学とは、王陽明が説く政の道である。政道には当然国を守ることも含まれており、兵法の要素も盛り込まれている。王陽明自身、宰相であると同時に有能な将軍でもあった。
兵は詭道(きどう)なり、と云う。詭道とはすなわち人を欺く道であり、大敵を前に身内であっても真意を隠さねばならない。では大敵とは一体誰のことを指すと言うのか。
――大塩家存亡の秋(とき)ぞ。
「大敵」を思うたびに平八郎の胸がさざめく。平八郎は独立独歩、人の師たる器の持ち主である。だが数少ないが己の生涯を託しても良いと思える人物もいた。
学問においては頼山陽。友においては坂本弦之助に瀬田藤四郎。そして上役として東町奉行・高井山城守実徳(さねのり)がそうであった。
実徳は還暦間際であったが、その性格は質実剛健で、一方では飄々とした風格もあり、配下を上手く用いることで定評のある人物であった。小柄な人であったが、小太刀を得意とし、老人ながら筋肉隆々でもある。
「わしは山椒。山椒は小粒でもぴりりと辛いものじゃ」
少しずれた音程でもって陽気に歌うその姿はどこか仙人然としており、平八郎は敬慕の念を抱かずにはいられなかった。
「やァ後素さん、参られたか」
本来ならば奉行が与力に対してこのようなくだけたことは言うことはない。両者の関係は戦国で言えば寄親と寄騎であり、遂行する任務――すなわち大坂市政と司法の仕事以外では上下関係がない極めて薄い関係にある。そのため自然と両者の間は格式張った冷めたものにならざるをえない。だが実徳は就任の挨拶から平八郎の人格を見抜き、絶大な信頼を寄せてきた。
「御奉行」
平八郎は脇に抱えた風呂敷を広げ、中の書類を実徳の前に差し出した。
「容易ならざる仕儀にござりまする」
実徳は気を落ち着かせるためか、愛用の煙管を吹かせながら書類に目を通した。内容を読むに連れ、表情が強張っていくことが平八郎にもよくわかった。
書類を閉じてから実徳はすっかり奉行の顔つきに戻っている。
「大塩、良いのだな。先年の切支丹どもとは訳が違うぞ」
「心得ておりまする」
実徳は再び煙管を吸い、そして深く目を閉じた。長い沈黙の後、一言「そうか」とだけ呟くのであった。
「御奉行は切支丹どもとは違う、と仰せですが、かの者共も、そしてこの者共も御公儀の仕置きを危うくする輩。国家百年の計を成すためにも一罰百戒、いや千戒のためにも是が非でもやり遂げねばなりませぬ」
「命がいくつあっても足りぬとしても、か」
「元よりこの大塩平八郎正高は代々大坂を守護せし家柄。東照大権現様の御恩に報いるために己の命を惜しみましょうや」
「そなたの命一つで済めばよろしいがのう」
「御恩はそれがし一人ではなく大塩家に賜りしもの。天下の害を除くことで大塩家が滅びようともそれは本望」
実徳はその覚悟や佳しと深くうなずいた。大坂は天下の境地(きょうち)、天下の台所と称せられるほど富が集まる地である。富が集まる場所には人が集うものだが、当然ながら悪人も集う。時を経て大坂には大きな闇が生まれ、魑魅魍魎な連中が良民を餌にその勢力を拡大してきた。そんな連中が肥え太るために目をつけたものがこの頃横行している。
それは「無尽(むじん)」と呼ばれる仕組みであった。
無尽。大坂では頼母子講(たのもしこう)とも云う。言わば民間による共済金融のことであり、本来は悪しき仕組みではない。
一定の期日に講の参加者が金品を持ち寄る。そして抽選や入り札で順を決め、集まった合計金額を受け取り、経済的援助とするものである。当選した者は全員が行き渡るまで講に参加し、金品は受け取らない。つまり一時的に大金が入るだけで、最終的に損も得もないのだ。
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「許されざるは悪民のみでないことです」
平八郎は深刻な表情で唇を噛み締めた。
「御奉行は弓削新左衛門なる与力をご存知でしょうか」
「弓削……。西町奉行筆頭与力だ。知らぬはずがない。まさかその弓削が不正無尽に関わっていようとはな」
取り締まる立場の与力が不正無尽の張本人であることに驚かざるをえない。
すぐさま成敗を――。
一本気な平八郎は強く進言したが、何故か実徳は首を縦には振らなかった。
「御奉行ッ」
平八郎は実徳が怖気ついたと思い、語気を荒げた。だが実徳は不敵な笑みを浮かべながら静かにかぶりを振る。
「怖気ついちゃいねぇよ」
わざと俗気のある言い方をし、再び煙管を取り出した。
「後素さんよ。兵法の極意は欺くことだぜ。弓削は筆頭与力だ。一筋縄でいかねぇことを知らぬ後素さんじゃあるめぇし」
くっくと笑いながら平八郎の顔をのぞき込む。不敵な笑みを浮かべる実徳を見て平八郎はこのまま放置する気がないことをすぐさま理解した。ではなぜ躊躇するのか。
――奴には後ろ盾があるだろうが。
言外に実徳は弓削が西町奉行・内藤隼人正のお気に入りであることを示唆した。勇み足で彼を捕らえても西町奉行の意向で釈放されてしまう。配下違いの与力を束縛する権限は実徳には与えられてはいないのだ。もし弓削捕縛を強行すれば越権行為だと西町奉行が訴え出ることは火を見るより明らかであった。そうなれば実徳は糾弾されることは必定で、必ず罷免されるに違いない。
「一気呵成だよ。機をとらえて一気呵成にやらなきゃ駄目ってことさ。しかし……後素さん。これはまことのことかねぇ」
思わず実徳が疑ってしまうほど弓削の悪行はひどいものであった。不正無尽は莫大な利益を生むため、競争が激しい。また元手も必要のため商人を巻き込む必要があった。
弓削は筆頭与力の立場を悪用し、あらゆる手を使って不正無尽の利潤を得てきた。例えば資金提供を渋った商人は難癖をつけて投獄したり、邪魔な者は管轄化の与太者どもをけしかけて殺しまでやってのけていたのだ。
その与太者どもとは――。
長吏の天王寺安兵衛
鳶田の勘五郎
千日前の吉五郎
そして弓削の妾を世話する妓楼八百新こと新蔵
天満、天王寺、鳶田、道頓堀の一角に勢力を張る殺しなど何とも思わない連中であった。その連中を使い、弓削は一大賭場のような不正無尽の網を築き上げていたのである。
「とにもかくにも、機が肝心さ」
「機……」
待て、と実徳は言う。だが探索はやめろとは言わなかった。どうやら実徳には何か策があるらしい。平八郎はその策を明かしてくれと尋ねようとしたが、実徳は厳しい目つきでそれを拒んだ。
「秘中の秘というものさ。今は我慢の二文字さ」
そう言うといつもの実徳の顔に戻っていた。
「ところで大塩。切支丹どもはどうなった」
平八郎は居住まいを正して詳細を語ろうとしたが、なぜか実徳は手で制する。
「江戸表からな。彼奴らは切支丹なのかとお尋ねがあった」
途端に平八郎の眉間に皺が寄り、顔を強張らせた。江戸表とは様々な諮問をする評定衆のことであり、豊田貢たちは似非切支丹ではないかという声が上がっていると云う。
豊田貢たちはたしかに耶蘇教を背景にしており、そうした意味では切支丹と疑うべきであった。だが本当の所はただ格好だけの切支丹であり、内実は狂気に走った豊田貢とそれに乗じた欲深どもの詐欺事件にすぎないと見たのだ。
「切支丹と言うなら豊田よりも藤田顕蔵と申す医者の方がよほど信心深いのかもしれぬ」
それでもどこまで信奉しているかと言えば怪しい。
例えば吟味に際して言を左右にして口を割らなかったり、命を投げ出して仕置きを請う「姿勢」だけは切支丹のようであった。だが教義について問いただすと見当違いなことばかり答え、様々な邪教を組み合わせたいい加減な新興宗教であることが露呈したのだ。
「では彼奴らを放免せよ、と」
「いやいや。そうではない。無論あの者たちの罪は死に値する」
その理由は結果的に被害者が十九人と少なかったが、このまま無罪放免すれば被害が拡大してしまう。またこうした宗教を背景にした詐欺者どもを抑えこむためには厳罰に処さなければならない。実徳は長年の役人生活で治安維持には一罰百戒こそが肝要だと考えている。
「まあこの際だ。本物か似非かなどは問題ではない」
今、平八郎は悪徳な与力を摘発するという危険な捜査をしている。万に一つも相手に知られてはならない。西町奉行に知られないためには東町奉行所は大々的に切支丹事件に取り掛かっていると見せつけなければならなかった。つまり実徳は切支丹事件を偽装(カモフラージュ)迷彩として使えと、平八郎に指示しているのである。真直ぐな平八郎は戸惑いを見せたが、実徳は苦笑しながら首を横に振った。
「切支丹であろうとなかろうとまるっきりの嘘ではあるまい。間違いなく邪教の輩じゃないか。妖邪の庶民を煽誘し、姦猾の庶民を蠧蝕する害を大々的に取り除いて何が悪い」
何とも強引な解釈であったが、確かに実徳の考えには一理あった。
切支丹は国禁であり、見せしめする意味は十分にある。この事件を使い、更なる悪を討てるのなら天とて異を唱えることもあるまい。平八郎はそう自分に言い聞かせることで、ようやく大義名分を得ることが出来た。
「大塩、良いな。派手に豊田たちを裁け。我らの目がそちらに釘付けになっていると世間に思わせるようにな」
平八郎は勢いよく平伏し、弓削に対する闘争心を燃え滾らせるのであった。
祖母の死、そしてその悲願を聞く形で格之助に大塩姓を授けての血統の保全。
祖母と折り合いが悪かったことを理由にゆうを離別。
いずれも平八郎は祖母の死をその髄まで利用したことになる。この真意を格之助は知らなかったが、もし知ればどうなっていたであろうか。いずれにせよ蚊帳の外におかれている格之助にはたまったものではない。
格之助は柴田道場に居候しながら、日々そこから奉行所に出仕をした。そうした中、格之助は三平と再会したのだが、驚くべき状態に陥っていたのであった。
「無宿者になってしまう……格之助、助けてくれへんか」
そう泣きついてきたのである。思々斎塾に寄宿が許されたはずの三平がなぜ追い出される羽目になったのか。重く口を閉ざすばかりで三平は話そうとしなかった。
緒方三平と大塩格之助。
二人の若者は五里霧中、ただ彷徨し、どこに向かうべきかわからないでいた。
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旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
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