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第三十九話『僕は謝罪する』

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 その笑顔を見て、僕の呼吸がなぜだか止まる。息が上手く吸えなくて、頬が熱を帯びるのを感じる。……視線が、千尋さんから逸らせなかった。

「……やっぱりだめ、かな?」

「ううん、そんなことはない。……その、あまりにも意外だったから」

 心配そうに問いかけてきた千尋さんを見て僕はふと我に返り、必死に首を振りながら僕は答える。それを聞いた千尋さんの表情がほっとしたように緩んで、また僕の息が詰まった。

 ……やっぱり、千尋さんは笑っているのが一番似合っている。キラキラしてて、笑うだけで回りに花が咲くみたいで。……『笑う』って言葉に『咲』の字を当てることがある理由が、今目の前にあるような気がした。

 そんな僕の視線に気づいているのかいないのか、千尋さんは嬉しそうにキーホルダーをゆらゆらさせている。しばらくそうしていた後、千尋さんは唐突に口を開いた。

「……あたしのお母さんとお父さん、離婚しちゃっててさ。小学生の時の事だったから、ロクにお土産を買う機会ってあんまりなくて。……お揃いなんてことを考えたの、一回もなかったんだ」

「……っ、そう、なんだ」

 その話があまりにも千尋さんの奥底に踏み込むようなもので、僕は違う理由で息を詰まらせる。お姉さんとのやり取りで何となく察することはできていたけれど、それでも実際に聞くと胸に大きな重りを落とされたような気分に襲われた。

 千尋さんは、皆が――そして僕が思っている以上に、過去に大きくて重いものを抱えている。もしかしたら、僕の抱えているものがとても小さく思えるぐらいのものを。

 だけど、それを悟らせることなく千尋さんは笑っている。……凄いことだ、とんでもなく。

「だからね、今照屋君が『いいよ』って言ってくれたことがすごく嬉しいの。……照屋君の家族との仲に割り込んじゃうのは、少し図々しい気もするけどね」

「ううん、そんなことはないよ。……多分、家族も喜んでくれる」

 お母さんが僕のことをずっと心配して、どうにかしてくれようとしているのは知っている。お父さんも仕事の関係でなかなか顔を合わせることはないけれど、思いやってくれているのは分かっている。……だからきっと、千尋さんのことを知ったら喜んでくれるだろう。……どういう関係だと思うかは、ちょっと未知数だけど。

「……うん、そうだったら嬉しいな。あたし、実は友達の家ってあまり行く機会がないから」

 にっこりと笑みを浮かべて、千尋さんはそんなことを言ってくれる。友達の家にあまり行かないのは意外だったけれど、それを深く聞こうとは思わなかった。……機会があれば、きっと千尋さんが話してくれると思うし。

「……ねえ、照屋君」

 その予感を裏付けるかのように、千尋さんはおずおずと僕の名前を呼ぶ。それは話題が切り替わる前触れで、きっと大事な話だ。……千尋さんが普段見せない、心の奥に近しい部分の話。

「……ほんとのあたしはね、きっと皆が思ってるようなあたしじゃないんだ。あ、別にいつものあたしがニセモノってわけじゃないんだけど……だけど、あそこにいるあたしだけが全部じゃない。照屋君には、少しだけバレてるんじゃないかな?」

「まあ、ね。千尋さんがとんでもない秘密を抱えてるの、僕だけが知ってるわけだし」

 まあ、千尋さんも僕の重大な秘密を知ってるわけなんだけど。……その秘密をきっかけにして僕たちは今に至ることが出来ているわけだし、多分悪いことじゃないんだと思いたい。

「うん、それもほんとのあたしのひとつ。……今まではバレないようにしなきゃって思ってたから、照屋君には打ち明けても大丈夫ってだけで気が楽なんだよ?」

 大事そうにキーホルダーを揺らしながら、千尋さんは柔らかい声で続ける。……その視線がまっすぐに僕の方を捉えていて、また呼吸が苦しくなった。

「……だからね、もっと照屋君に知ってもらいたいんだ。……皆が知らない、あたしのことを――」

「――あ、お前らこんなところにいたのか!」

 意を決して千尋さんの言葉を待っていた矢先、聞きなれた元気な声が棚の影から聞こえてくる。それを受けてとっさに視線を逸らしてみれば、そこには信二の姿があった。

「ったく、お土産屋に入るや否やすぐにいなくなりやがって……。結構探したんだぞ?」

「……それにしては、随分と買い物を満喫しているみたいだけど?」

 両手にもたれた買い物かごに目線を送りながら、僕は信二に言葉を返す。それに対して信二は答えることなく、ただ頭をカリカリと掻くだけだった。

「……まあ、何はともあれみんな買うものは決まったみたいだな。これから会計行くから、今度こそ逸れるなよ?」

 そして話題を切り替えて、信二はレジへと歩いていく。……逸れたのが僕たちである手前、おとなしく歩いていく以外の選択肢はなかった。

(……ごめん、信二)

 その背中を追いかけながら、僕は信二に内心で詫びを入れる。それは、友人への心からの謝罪だった。

 僕にとって信二は大事な友人で、特別だと思っている存在だ。だからしたいことがあるならできる限り力を貸したいし、頼られることが嬉しいとも思う。

 その気持ちに嘘はない。信二は友達で、忘れたくも忘れられたくもない存在だ。……だけど、だけど。

「……本当に、ごめん」

――さっきの信二を『邪魔だ』なんて思ってしまったのは、言い訳しようもない事実だった。
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