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第七十六話『千尋さんは不敵に笑う』

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「――紡君、期末テストどうだった?」

 すっかり僕たちの居場所になった小さな階段の踊り場で、千尋さんは僕にそう問いかけてくる。その表情を見る限り、今回も千尋さんはうまくテストをしのげたのだろう。……多分、国語を除けば学年トップクラスに至っておかしくはないはずだ。

「まあぼちぼち、かな。正直他の優先したいことが多すぎて、テスト勉強も全部に手が回ったとは言えないかも」

 一方の僕はそんな風に答えているが、実のところ中間テストからは少し順位を落としている。赤点だったり目立って悪い成績があるわけではないけれど、逆に言えば僕の中でも得意教科だと言えた面々の点数も軒並み平凡なものに収まってしまっていた。

 言ってしまえば可もなく不可もなく、咎められることも褒められることもない成績だ。幸いなことにうちの学校は順位が大々的に張り出される形式というわけでもないし、誰にも詳細な順位は知られないことがせめてもの幸いだった。

「夏に向けてたくさん書かなきゃいけないし、紡君も頑張ってたもんね……。その過程でいろんなお話が聞けたから、あたしとしては大満足って感じだけどさ」

「千尋さんが楽しんでくれるなら本当に何よりだよ。僕の小説が書かれるのを楽しみにしてる人が居るってのは本当にモチベーションになるからね」

 もちろんこれは僕のファンでいてくれている人たちにも言えることなのだけれど、それが僕にとっても特別な人となると効果はさらに跳ね上がる。小説を書くのは体力のいる作業だけど、その疲れを苦にしなくなるぐらいには僕は千尋さんの反応に救われていた。

「テスト期間が終わったってことはこれから夏休みだし、紡君はもっと書くことに集中できるね。……まあ、課題とかはやらなくちゃいけないんだろうけど」

「そうだね、去年みたいに締め切りギリギリで全部こなすことになるのはどうにか避けたい」

 千尋さんが発した『課題』という言葉に、僕の脳裏を去年の悲惨な記憶がよぎる。あの時はいろんな打ち合わせやら新作の構想やらで学校のことを進める気が起きなくて、さんざんやるのを渋った結果ああなったような記憶がある。課題に対するモチベーションなんてものはもちろん今年もないし、より小説に打ち込むと決めた今課題なんて構っている暇がないとも言えるのだけれど――

「あ、それじゃあ今年はあたしと一緒に勉強会しよ? お互い得意分野も違うし、協力すればその分だけ早く終わらせられると思うんだよね」

「ああ、それいいね。僕も国語の分野なら千尋さんの力になれるし、そのまま遊びに行くこともできるし」

「勉強会の合間に紡君のお話が聞ければ、退屈な課題も長くやれるかもしれないからね。……どうしよ、お姉ちゃんにまたカフェ使わせてくれるように頼もうかな?」

「まあそれもありだし、どこかの図書館とかも使えば結構なペースでできるんじゃないかな。……問題は、デートが全部勉強会になりやしないかって所なんだけど」

 決して自慢ではないし美点でもないのだけれど、この学校の課題の量は多い。思わず目が飛び出そうになるぐらい多い。全国の学生に多く存在する『最初にスパートをかけて後半遊びまわる』っていう派閥でも、最初のスパートで息切れしてしまうであろうレベルで多い。

 千尋さんと一緒にやってもその強大さは変わらないし、小説の事とかも合わさるとそんなに遠出することもできない可能性もある。折角の高校二年生の夏を課題だけで終わらせてしまうのも、それはそれで惜しいような気がしないでもなかった。

 だが、千尋さんはその問題もすでに対策済みのようだ。……僕を見つめる瞳が、得意げにキラキラと輝いている。

「大丈夫だよ、それに関してはもう対策法を見つけてるから。……紡君が心配してるのは、あたしたちがいつも同じ場所でデートすることになって退屈になっちゃったりしないかなって所でしょ?」

「うん、そうだね。千尋さんと一緒に居られるだけで僕はありがたいけど、高校二年生の夏って一番何のしがらみにもとらわれてない時間だと思うからさ」

 来年になれば受験やら何やらが視界に入ってきて、遊ぶ時にも完全にその影から逃れられなくなってしまう。だからこそ、気兼ねなく青春を謳歌するなら今年しかチャンスはないのだが――

「――大丈夫だよ、紡君。勉強会があたしたちの行き先を狭めてしまうんなら、『向かった場所で勉強会をすればいい』んだからね」

「……へ?」

 得意げに笑う千尋さんの言葉をいまいち理解しきれなくて、僕は思わずそんな声を上げる。……千尋さんの真意を僕が知ったのは、夏休みに入ってから少ししてからの事だった。
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