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第百八十一話『千尋さんたちの目的地』

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「とりあえず振り切れた……か、な?」

「此処まで来れば流石に大丈夫だと思うけどね……。まあ、見つかったらまた追い掛け回されるかもしれないけどさ」
 
 少しだけ荒れた息を整えながら、僕達は踊り場の壁にもたれかかる。文化祭の空気の中でもいつも通りの静けさを保っているこの場所が、今の僕達にはとてもありがたかった。

「うん、もうついてきてる人はいないね……。思った以上に皆熱心だったなあ」

「アレを熱心ってレベルで済ませるのもそれはそれで凄いとは思うけど……まあ、そこは千尋さんの器の大きさってことなのかな」

 耳を澄ませながら一息つく千尋さんに、セイちゃんもため息を吐きながら苦笑する。三十分の劇を演じ切ってからすぐに走り出したこともあってかなり体力を使っているだろうに、二人のやり取りにはどことなくの余裕が感じられた。

「……それじゃ、気を取り直して文化祭巡りと行こうか。宣伝効果狙いって言っても別にタイトルとか声にしなくていいし、もし聞かれたら『体育館で演劇やってます』って返すぐらいの意識でいいよ。あくまで宣伝はついでって感じで」

「うん、それぐらいにさせてくれるとありがたいよ。……問題は、周りの人たちがそれぐらいで済ませてくれるかどうかなんだけど――」

 その先の言葉は濁り、明確な結論の代わりにセイちゃんは軽く肩を竦める。校舎の中だからあれほどしっかり囲まれることはないだろうけど、それでもセイちゃんの考えていることは正確なような気がした。

「出来るだけ早くお店の中に入った方がよさそうだね。他のお店の中でだったらあんまりあの人たちも自由にはできないだろうし」

「あ、それ名案かもだね。そうと決まればつむ君、少し先に行って廊下の様子を見てきてくれるかい?」

「うん、それぐらいならお安い御用だよ」

 セイちゃんの提案に頷いて、僕は足早に階段を下る。うっかり外に出るタイミングを間違えればあの自体がもう一回起きるし、様子見役は僕しかいないだろう。……まあ、僕なら仮に見つかったところでさしたる騒ぎにはならないだろうし。

 そんなことを思いながら階段を下りきると、そこには三年生の教室がある。今年が最後の文化祭という事もあってはっちゃけた出店が多く、それ故に人もたくさん集まっているという印象だ。……だけど、今降りる分には大丈夫だろう。

 その状況が変わらないうちに足早に階段を再び駆け上がって、『大丈夫だよ』と二人にサムズアップをすることで報告する。幸いなことに状況はあまり変わらなかったようで、僕達は無事に三年生の教室が並ぶ廊下にたどり着いていた。

「なんというか、凄い個性的な展示が集まってるね……。前の学校だったらこの半分ぐらいが通ってないんじゃないかな」

「私立の高校だし、公立と比べたら確かに色々と自由な部分はあるのかもね。何せ外からもこんなに人が来るぐらいだもん」

 教室の前に並ぶ看板の数々に目を丸くするセイちゃんに、千尋さんが少し誇らしげに胸を張って答える。そんな二人のやり取りは周りの目を引いていたけれど、直接話しかけてこようとする人はいなさそうだった。

 その遠慮がちな様子を見ると、あの中庭がいかに特異点じみていたかがよく分かるというものだ。中庭にはほとんど展示がないし、そういう意味では呼び止めるのにあれ以上適した場所もなかなかないんだろうな……。

 そんなことを思いながらあちこちを見回していると、まるで自分が有名人のボディーガードかマネージャーにでもなったかのような気分だ。流石に悪意を持って二人に近づいてくる人はいないだろうけど、万が一でもそんなことがないように気を張っておかなければ。

「……そうだ二人とも、入りたいところは決まった?」
 
 一人決意を新たにしながら、僕は前を歩く二人に問いかける。……すると、二人は即座に首を縦に振った。

「うん、もうあらかた目星は付けてるよ。これから一杯移動することになるし、あと二回分の劇も全力で頑張らないといけないから――」

「――何をするにしても、まずは腹ごしらえが最優先。それが私たちの結論だよ、つむ君」

 そう言いながら、二人の視線は同じ看板に注がれる。……ハンバーグやサラダが描かれたその中央には、『本格レストラン』という文字が堂々と躍っていた。
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