上 下
183 / 185

第百八十二話『僕たちとレストラン』

しおりを挟む
「お待たせしました、こちらお冷になりまーす!」

 ファミレスの制服を模したような服を着た男の人が、お冷と称して小さな天然水のペットボトルを人数分差し出してくる。きっと予算で買い入れた物なんだろうけど、今の繁盛っぷりだと最後の時間まで保つだけの量があるかどうかだけが気がかりだった。

 高校生活最後の文化祭ともあって気合が入っているのか、このレストランの出来は相当なものだ。客席もざっと見る限り七か八席は確保されているし、その大半がお客さんで埋まっている。うまくお客さんの出入りの間に滑り込めたからよかったものの、そうじゃなかったら結構並んでいてもおかしくはなかっただろう。

「凄いね、外装だけじゃなくて内装もこんなに凝れるんだ。……変な話になっちゃうけど、文化祭の予算ってどれぐらいだっけ?」

「分かんない、そこらへんは他の子たちに任せちゃってるからなあ……あの衣装とか大道具作るのに一切迷いがなかったあたり、相当余裕があるんだってことはまあなんとなく分かるけど」

 セイちゃんたちが着てる衣装も相当生地に拘っているみたいだし、背景を作る大道具も土台は段ボールとはいっても他の画材やらには相当お金をかけているように見えた。本当の所は会計の人のみぞ知るって感じだろうけど、まあきっと六桁は下らないんだろうな……。

「ここに書いてあるお料理、全部ファミレスとか似合ってもおかしくないもんね。なんでこんなに安く売ってるんだろうって不思議になっちゃうぐらいに」

「そこらへんは文化祭の暗黙のルールって感じだろうね。……自然、このレストランは赤字覚悟でやってるってことにもなるわけだけど」

 さすが私立高校と言うべきか、こういうイベントに対する熱量とか投じるリソースはやっぱりずぬけている。去年は信二に連れまわされるだけであまりそういう所にまで目がいかなかったけど、皆で回るとそれは際立つと言ってもいいだろう。

 そっちの方が思い出にもなるし、こうして回る分にはそれでいいとは思うんだけどね。……ただ、あまりに普段の教室と違って少し緊張するというのはあるけれど。

「よし、それじゃああたしはこのハンバーグにしようかな。二人も決まった?」

「うん、僕はこの『和食セット』って奴で」

「それじゃあ私はこっちのエビフライ定職にしようかな。いろんな料理の形式在りすぎて不安になるけど、これで出てくるのめっちゃ遅いってことはない……よね?」

「大丈夫大丈夫、結構なペースで先輩たち行ったり来たりしてるし。調理室が近いってのもレストランにはぴったりだね」

 少し不安げなセイちゃんに千尋さんはぶんぶんと首を縦に振りながら、ご機嫌な様子で机の隅に置かれていたベルを手のひらで叩く。軽快なチーンという音が教室内に響き渡ったのとほぼ同じタイミングで、さっきお冷を持ってきてくれたのとは違う人がこちらに駆け寄ってきた。

 メニュー表を指さしながら注文を伝えると、丁寧にメモをしながら教室の外へと飛び出していく。ふと周りに目を向けてみるとウェイターさんは四、五人ほどいるようで、僕達が注文をしている間にもレストランは滞りなく回っていた。

「……どうする、乾杯でもしようか?」

「いいや、まだ遠慮しとくよ。まだ舞台が全部終わったわけじゃないし。……ま、今日になってから僕が出来ることなんてそう多くはないけど」

 冗談っぽくペットボトルを掲げるセイちゃんの問いに、僕は首を軽く横に振って答える。視界の隅でペットボトルを掲げかけていた千尋さんが、それを受けてすっと戻したのがなんだか可愛かった。

「そうだね、確かにまだ気を抜くには早いか。後二回、しっかりクオリティを下げないように頑張らないと」

「あたし、もしかしたら台詞また変わっちゃうかも……あの時のアドリブでなんて言ってたか正直よく覚えてなくって」

「それでいいよ、そっちの方がより自然な言葉ってことだし。大丈夫、アドリブ力には自信があるから」

 何せ私も作家だからね――と。

 少し申し訳なさそうな千尋さんにセイちゃんが笑みを返し、二人の周囲を和やかな雰囲気が包む。前からいいコンビではあったけど、この演劇を通してさらに仲良くなってきた印象だ。お互いに自分の底を見せることを躊躇わなくなった、とでも言えばいいだろうか。

 そんなことを考えていると、教室のドアが開いてウェイターさんが器用に料理を抱えてくる。僕達の視界に入ってきたそれは、明らかに文化祭で出てくるクオリティを超えているように思えて――

「お待たせしました。――こちら、ご注文の料理になります」

 僕達に告げるウェイターさんの表情は、どことなく誇らしげに思えた。
しおりを挟む

処理中です...